Chapter16
4月5日の15時過ぎ、理吹はまたしても渋谷ベースに向かっていた。数日間に渡って呼び出し等が続くこと自体は然程珍しくないが、3日後に高等学校の入学式を控えた身としては余暇が欲しいところだ。
護神兵は存在自体が秘匿されている組織故に、その構成員の身分は異なる肩書きで取り繕う必要がある。成年者であれば元より内務省や専守防衛軍に所属する者が多く、そうでない者は護神兵が活動の為に用意した企業の籍を与えられる。そして未成年者の場合、やはり学生としての身分を得る者が多数派であった。
護神兵の傘下にある私立中学校に在籍していた理吹は、全日制高校への進学を選択した。夏凜明のように通信制高校を選択した方が護神兵の活動と両立させ易いことは自明であるが、理吹としてはそんな理由で自らの進路を決定したくはなかった。ある種の意地と言える。そういう事情への理解を備えた進学先があったことも大きいが。
なお東原仙一は満16歳の誕生日を迎えた後に高等学校卒業程度認定試験を受験。合格を以て大学の受験資格を確保し、学校には通わず個人事業主という肩書きを使用している。
渋谷ベースが存在する区画に入る直前、理吹はチャットアプリの通知を確認した。これは“ジップス”という名称で、オーソン時信が開発したものだ。オンラインゲームの愛好家を中心にそれなりの評判を得ているアプリだが、その真価は極めて高い秘匿性にある。即ち、内務省や米国などによる監視網を潜り抜けることが可能。理吹達は内輪の連絡において必ずこれを使用している。
そのジップスにて、白縫深影からメッセージが届いていた。昨晩の帰り際、今後の連絡用としてインストールさせたのだ。絵文字も使用した朗らかな文面で、救出に対する改まった礼と、「魔力の出し方が解ったかもしれない」旨が綴られている。誘拐の被害者となった挙句に殺人の現場を見せつけられた少女とは思えなかった。元は明るく、そして案外強靭なメンタルの持ち主かもしれない――と理吹は苦笑する。
ジップスを非表示に切り替え、彼は歩みを再開させた。
本日の集合場所は、会議室ではなく地下の射撃場であった。しかし射撃場としての設備は大半が一時的に撤去され、コンクリートの無機質さばかりが際立つ空間と化している。もう少し天井が高ければ魔術士同士の模擬戦を行うフィールドに丁度良いだろう。
「度々すまないな」
到着した理吹を視界に捉えた鈴木三義中佐が言った。昨日と同様、呼び出しの主は彼である。
正式に護神兵の所属となった魔装、DIVAモジュールの試験起動を上層部が決定した。
次の実戦がいつ、どのような形で訪れるかは不明であるが、本番の前に試験を行うべきとする判断は至極当然のものである。理吹としても、改めてDIVAとの融合を確認せよという命令に異存は無かった。
しかし気に食わないのは、その決定を下した者達――例えば煌条穂熾大佐などがこの場に居ないことである。魔力の影響で録画の類は意味を成さないため肉眼による評価が必要なのだが、それは鈴木と、穂熾の秘書官である彩堂律華大尉に委ねられていた。使徒との戦闘において示した莫大な魔力が制御を離れ、爆発でも起こされては困るということだろう。あるいは理吹個人の暴走を警戒したか。
権力者は常に危険な現場から距離を置こうとする。
兎も角この場に集められた人員は、理吹の他には試験の監督役たる鈴木と律華、不足の事態に備えた戦力として夏凜明少尉以下5名の魔術士。事故が発生した際の犠牲の候補者は最低限と言えるだろう。施設としての渋谷ベースを管理する職員や、周辺の民間人を考慮しなければ。
尤も、一度DIVAを使用した理吹自身は爆発なり暴走なりが起こるという懸念を特段抱いていない。
理吹が凜明と挨拶を交わしたところで、DIVAモジュール本体もといリーゼリア・ヴァレンハルト准尉が律華に連れられて入場する。その被服は使徒との戦闘後に理吹の前で実体を晒した時と同じく、魔力によって形成されたドレスとブーツだった。異なるのは最初からダークグレーの色彩であること、所々に存在した装甲がオミットされていることだ。薄手かつ丈が短いため、清純よりは奔放に近い印象である。
「よろしく。七川中尉」
リーゼリアが敬礼の代わりに開いた右手を差し出して言った。口調は粗雑、澄まし顔に近い無表情であるが、赤紫の視線は真っ直ぐに理吹の顔を見据えており軽んじるような含みは感じない。理吹も「よろしく」と返して握手に応じた。
「さて、始めるか」
並ぶ両者を見て鈴木が言った。それを受け、律華は金属製のケースからDIVAの起動に用いる黒いグリップを取り出して理吹に渡す。
「私が指示をしたら、前回と同じように操作してDIVAを使え」
律華が指示すると、理吹の横からリーゼリアが付け加えた。
「“コンソウル”って名称だ」
使用者と融合するというDIVAの特性に由来する造語――“con-soul”である。制御盤と発音は変わらないため理吹は気付かなかったが、頭字語で歌姫と読ませる命名といい、開発に関わった者は言葉遊びを好むようだ。
「了解」
理吹は軽い口調で言ってグリップ改めコンソウルを受け取り、射撃場の奥、通常はターゲットが設置されている辺りまで移動する。リーゼリアもそれに続いた。
「それでは煌条大佐、予定通り試験を開始します」
鈴木の隣に立った律華はタブレット端末越しに報告し、次いで理吹へ視線を向ける。渋谷ベースではない何処かに居る穂熾の承認を受けてか、鈴木が敢然と指示を放った。
「七川理吹中尉、DIVAモジュールを起動せよ」
それを受け、理吹はコンソウルのトリガーを引いた。人差し指と中指を通したリングの冷たい感触が魔力の熱によって上書きされてゆく。相対したリーゼリアの軽く結わえられた美麗な頭髪が解けて赤紫のヴェールと化した。彼女から流れ込む魔力を認識した理吹は続けて親指でスイッチを押下し、DIVAを起動する。
途端、強烈な魔力の発光が射撃場全体を覆った。魔術士達は反射的に魔力を展開し、各々の得物に触れる。魔族ですらない鈴木のみ、年齢とキャリアが齎した割り切り故に何ら動じなかった。
「うわ、すッごいな――」
自身の前方に魔力の障壁を張った凜明が溢した。彼女も多量の魔力を有するが、眼前の理吹――DIVAを使用した魔術士は次元が異なる。横浜で交戦した使徒のディートリヒが『魔女の簡易量産』と評した通り、正しく無限の魔力が放出されていた。
「中尉、発光を抑えろ」
視界を塗り潰されたままでは困るとして、鈴木が命じた。
理吹は際限無く溢れ返る魔力を手繰り寄せ、自身の制御下へと収めていく。そして横浜の時と同様、肩や背中の辺りから伸びた魔力のヴェールが翼の如く翻った。理吹自身が持つワインレッドの魔力をフレームとし、その輪郭からピンクに近い赤紫色――鮮烈なマゼンタの粒子が噴出している。それは一個人が駆るには過剰な出力の兵装であるという事実を、視覚に突き付けるものだった。
『上手いじゃないか』
改めてDIVAの機能に感嘆する理吹の思考に、自身とは異なる声が割って入る。聴覚を通さず脳に直接響くそれは、直前まで実体を持って彼と相対していた少女、リーゼリアのものだった。
――念話?
理吹は困惑する。少なくとも彼は、完全なテレパシーを再現する魔術など聞いたことが無い。
『そりゃあ、融合しているんだからコレくらい出来るだろ』
再びリーゼリアの声が届く。さも当然のことであるかのように言う彼女に理吹は突っ込みを入れかけたが、そもそもDIVAとは人智を超えた存在たる魔女の発明品。使用者が全てを理解し切れる道理は元より無い。
理吹は「そういう仕様」として割り切ることにした。
『お前の意識がある状態なら、何か機能は変わるのか?』
彼は早速、念話を利用してDIVAの人格に問う。音声もデータも不要なコミュニケーションの手段。融合中しか使えないだろうが、慣れさえすれば非常に利便性が高いものと思われた。
『オレがアシストすれば、実体部分の機能を使用できる。オレの身体そのものだからな……試そうか?』
使徒との戦闘において、翼のような外見に相応しい高機動を実現させた魔力のヴェール。単に使用中のDIVAが持つ実体や余剰な魔力を放出するフィンという訳ではなく、武装の一つということか。
また、前回の使用時に受けた副作用――電撃のような違和感や内臓への圧迫感を今は感じない。これもリーゼリアが意識を保ってDIVAを制御しているためだろう。
彼女の提案に対して数秒の検討を挟み、理吹は念話で答える。
『いや、今はいい。命令されてるのは融合の確認だけだし』
兵装としての機能を披露する場合、周囲には破壊して構わぬ物しかない状態が望ましい。慎重を期した判断だった。
『了解。砲撃戦がしたくなったら言ってくれ』
それを最後に、リーゼリアの声が途切れる。念話のオンオフは自由に切り替えられるようだ。
しかし両者の無言を穴埋めするかのように、理吹の意識に見ず知らずのイメージが流れ込む。念話が聴覚であるなら、こちらは視覚。鮮明な一人称視点の映像が否応無く再生された。
薄暗い何処かに寝かされた仰向けの視界を、妖艶なマゼンタの頭髪を持つ少女が占めている。貌も躰も幼いが、悪い意味で熟した妖気を放っていた。彼女の唇が組み敷いた視界の主に近付き、捕食のような愛撫を始める。
――“メルト”に飼われていた。
――彼女の夜の相手は地獄だったけどさ。
昨日の聴取におけるリーゼリアの供述。理吹は思い返し、この映像が彼女の記憶の再生であることを理解した。
愛人を貪る少女の背中の肉が蠢き、破裂して頭髪と同色の魔力に染まった血肉を噴き出す。それらは持ち主から分離せず宙に留まり、性質と形状を変容させていった。一部は硬質な金属と化して幾何学模様を描き、別の一部はヒトと異なる様々な生物の骨格や臓器を構築する。そんなカオスを縫うように無数の荊が翻って激しい脈動を繰り返した。
愛撫を受けるリーゼリアが恐怖と快感の入り混じった痙攣を起こすと、興奮を高めた魔女はより多量の魔力を撒き散らす。そして幾つかの荊をリーゼリアの肢体に突き立て、惨殺を厭わぬ勢いで抱き潰し続ける――。
こんなのが魔女か、と理吹は冷めた心境でその光景を眺めていた。リーゼリアの話から凡庸・俗悪な存在であることは認識していたが、改めて軽蔑を抱く。世界の法則を超越しておきながら、所業は暴力性と肉欲に染まった獣の次元。無論この記憶に映されたものが彼女の全てではないのだろうが、『魔術士の戦術的価値の次元を変える』という魔装の開発者らしからぬ痴態は嘲笑を買うに相応しい。
だが理吹にとって魔女“メルト”のゴシップなど重要ではなかった。彼は懸念する。
――リーゼリアの記憶を見せつけられたが、自分の記憶はどうなのか?
場合によっては相応の対処を行わねばならない。理吹の抱いた不安と焦りは、即座に冷たい思考へと切り替わる。
「七川中尉、DIVAを解除せよ」
そこで鈴木の指示が通常の聴覚に届き、理吹はDIVAとの融合を解除した。
DIVAの試験起動が終了すると同時に、理吹達は射撃場からの退出を求められた。撤去していた設備を戻し、速やかに射撃場としての機能を回復させるらしい。
「少しいいか?」
視線を合わせることなく、リーゼリアが理吹に言った。理吹が了承すると、彼女はロッカールームへと歩き出す。装備品や私物の保管に加え、着替えにも使用される場所。本日の利用者は恐らく、魔力のドレスを纏うに際して元々の衣服を脱いだリーゼリアくらいだろう。
ロッカールームに入ると、理吹は自身を連れ込んだ相方を見据えて発言を待つ。両者の立つ位置は監視カメラの死角であった。
リーゼリアは若干の躊躇を滲ませつつも切り出す。
「――アンタはこの国で、何をする気なんだ?」
それを聞いた瞬間、理吹は動いた。左右の袖口から“アマルガムソード”のグリップを念力で射出して両手に保持する。左手のグリップから飛び出した液体金属の刀身が鞭のようにしなってリーゼリアの胴を一周、両腕も纏めて縛り付けた。続けて右手のグリップを彼女の首筋に押し当て、壁と挟み込む形で拘束する。
制圧まで僅か2秒。彼女が単独でDIVAの魔力を行使できるなら、予兆を認識した瞬間に理吹はその首を刎ねる覚悟だ。独断の処刑を正当化する言い訳は、東原に相談すればよい。
「おい――」
リーゼリアが苦悶に歪んだ表情で咎める。冷血な視線を保ったまま、理吹はアマルガムソードのグリップに魔力を込めた。
――知られては困る。お前が『こちら側』でないのなら。
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