Chapter14
七川理吹が受けた任務は昨晩のDIVA強奪に引き続き、魔道組織“ムーンフェイズ”と関わるものだった。
事前の入念な計画によって1つのDIVAを確保したムーンフェイズであるが、横浜港における取引とは別に、3月末から不審な動きを見せていたという。それこそが、白縫深影も被害者となった魔族の拉致である。東京都足立区、北区、板橋区、加えて埼玉県川口市と戸田市で立て続けに発生した住民の失踪がムーンフェイズによるものと察知した護神兵は、1つの現場を強襲。確保した構成員らは懐柔や拷問の果て、受領したDIVAの試験に用いる魔族を無差別に拉致している旨を自白した。
そこで急遽、実行グループの掃討と拉致された魔族の救出を兼ねた作戦が立案されたのだ。
前提として、『地域を守る善良な反社会的勢力』が創作上の幻想に過ぎないように、『国民を守る良い暗部』など有り得ない。護神兵とはその存在自体が国民への背信に等しい組織である。しかし、正規の法執行機関や軍事組織では対応が困難な、魔道に絡む事案への対処――治安維持はその立派な機能。国民個々人の生命や権利に対する執着が皆無であっても、基本的に国家権力は相応の仕事を行う。
とはいえ今回の場合、救出した被害者達の処遇が少々厄介な課題であった。
拉致の際に使用された薬物や魔術によって意識を奪われたまま救出に至った者であれば、当人への説明に用いる適当な経緯を捏造した上で警察に引き渡し、通常の誘拐事件として処理すればよい。意識がはっきりしていなければ、仮に魔術を目撃していたとしても薬物に因る幻覚であると片付けることが可能だ。金属製のケースに閉じ込められた被害者達には、拉致の瞬間を除いて魔術を視認する機会など無いのだが。
では拉致から間も無く意識を取り戻し、よりによって護神兵魔術士がムーンフェイズ側を強襲する現場に居合わせてしまった者はどうなるか。
日本共和国に限った話ではなく、あらゆる国家は魔道の存在を徹底的に隠蔽している。科学で暴けず、即ち法で裁けず。異能は既存の社会秩序とシステムに対する信頼を根本から破壊しかねない故、社会正義に照らした是非の問題は兎も角として当然だろう。その一方、政府に響理会の影響が然程及んでいない国々ではそのような魔道の優位性を活かすべく、密かに魔術士の軍事利用を行っている。
深影のような目撃者に対する処遇は大きく分けて2つ。強制を以て国家の暗部に取り込むか、相応の『口封じ』を施すか。救出すべき被害者であっても、必要とあらばどこまでも割り切れてしまう。DIVA争奪戦の現場となった施設の職員らに対し、冷淡な見殺しを選んだように。それが護神兵という組織であり、非合法・非公開の国家権力である。
しかし彼女にとって幸運なことに、邂逅した七川理吹はそのような理不尽を看過しない人物だった。
東京都北区赤羽。理吹が強襲したムーンフェイズの拠点は、繁華街の外れにある雑居ビル。銃声すら多少は抑え込む程の徹底した防音対策を施した地下階に、魔族の拉致を進めるグループが滞在していた。
理吹は深影を閉じ込めていたケースに掌を当て、魔力で強引に圧縮する。出来上がった直径30cm程度の不恰好な球体を、カウンターに置かれていた買い出しの名残であろうビニール袋に詰めた。彼は魔術を目にして唖然とする深影に言う。
「お前の私物、どっかに置かれてないか?痕跡を残すとマズいから全部回収してくれ」
未だ混乱の収まらない深影だが、頷きつつフロアを見渡し、隅のソファに放置されていた自身のバッグを取り戻した。幸い、スマートフォンの電源が落とされていたこと以外に不審な点は無い。
「これだけです」
深影が言うと、レジ袋を左手に提げた理吹は彼女を出入り口の付近まで誘導した。そして空いた右手の人差し指と中指を揃えて銃を撃つようなジェスチャーを形成する。
「大声は出すな」
つい先程と全く同じ注意喚起を深影に行うと、理吹は2本の指先から魔力を放射した。その手首の動きに従ってワインレッドの火炎がフロアに広がる。煙と臭気を防ぐべく理吹自身と深影の前に障壁を張ったこともあって魔力が急速に失われるが、任務を終えた以上は気にする必要も無い。
戦闘においては余計な火力を行使せず死体のみを生産した理吹だが、この場に深影が居た痕跡を可能な限り隠滅すべく室内を炙った。事後処理を行う護神兵の人員の目には、戦闘の際に理吹かムーンフェイズ側がやや烈しく魔術を振るったように映るだろう。なお、火災報知器の類が整備されていないことは確認済みである。
擬似的な火炎放射を止めた理吹は、続けてカウンター裏のキッチンまで魔力を伸ばす。念力で水栓を操作し、噴出した水流を操って室内全体に撒いた。小火騒ぎを避ける為の措置である。自発的な対応の為に戦闘よりも多くの魔力を消費するとは皮肉なものだ。
立て続けに見せつけられる摩訶不思議な現象に言葉を失う深影だが、死体が焼かれる様子を意識するよりは遥かに精神への負荷が抑えられたことだろう。
「あの、ありがとう……ございます」
ムーンフェイズの拠点を抜け出した深影は、訳の分からぬ状況において明らかなこと――目の前の少年が自分を救出してくれたという事実に対して礼を言った。それを受けた理吹は「これからが長いぞ」という言葉を飲み込みつつ、彼女を伴って速やかに人通りの少ない住宅街へ向かう。
時刻は既に23時を回っていた。最低限の自己紹介として互いの氏名を明かした後、腕時計を見た理吹が言う。
「家に親とかいんの?」
深影は首を横に振る。彼女は両親との3人暮らしであるのだが、父親は出張中、母親は親戚の法事に出席すべく帰省中だった。予定の帰宅時刻から大幅に遅れているにも拘らず、スマートフォンに両親からのメッセージが1通も届いていないことが証拠である。
「なら良かった」
理吹が少し口角を緩めて言った。事件に巻き込まれた子供の保護者の不在が好都合であるなど、極めて可笑しな話だ。訝しむ深影を余所に、理吹はスマートフォンを取り出して通話を始める。
「東原、今って車出せる?赤羽にいるから十条駅まで来てくれると助かるんだけど――ああ、戦闘を見ちゃった被害者がいたから保護したわ」
先程、深影の存在を隠しつつ報告を行った時とは異なる親しげな口調。しかし彼女にとって気掛かりな点は、待ち合わせの場所が現在地より南であることだ。埼玉県戸田市の自宅から遠ざかってしまう。
――また誘拐されるのでは?
そんな冗談めかした危惧が彼女の脳裏をよぎる。
「どこに行くんですか?」
通話を終えた理吹に深影が問うた。彼はチャットアプリでこれから訪問する相手にメッセージを送りつつ返す。
「仲間んとこ。お前が巻き込まれた事件とか、色々話しときたいから」
彼は「急ごうか」と付け加え、深影を促して歩き始めた。現在地から集合場所までは徒歩で30分程度を要する距離。護神兵の人員との遭遇は避けねばならないし、未成年者の夜間外出を咎められる訳にもいかない。人通りの少ないルートを選ぶ必要があった。
地図を表示したスマートフォンを片手に先導する理吹と、追従する深影。道中で不法投棄らしき家具が散乱した空き地を見つけた理吹は、ビニール袋――深影の監禁に使われたケースの残骸を投げ捨てた。なお彼は監視カメラへの映り込みを避けるべく、自身と深影を魔力で覆いマナステルスを作用させている。無自覚ながら魔族である深影は、熱とも冷気ともつかない何かの存在を感じた。
無言が若干の気まずさを生じさせる一時。しかし4月初頭のまだ冷たい夜風もあって、死体と殺人、そして理解の及ばぬ現象を見せつけられた深影にとっては情緒を整理する上で丁度良かった。
十条駅のタクシー乗り場付近に停車するコンパクトカーを認識した理吹が歩行速度を上げて近付き、後部座席のドアを開ける。深影に乗車を促した後に自らも乗り込み、運転席の人物へ言った。
「東原ごめん、待たせた」
車の主、東原仙一が「いいよ」と短く返す。カラーレンズに覆われた彼の瞳が深影を見据えた。
「中学生か?災難だったな」
続く彼の声掛けに、その災難の詳細を説明されていない深影は「いえ……」という曖昧な返事をする。
「お世話になります」
付け加え、彼女は小さく頭を下げた。
「じゃあ、トキの所まで頼むわ」
理吹が目的地を告げると、東原は「了解」と答えてペダルを踏む。静かなエンジン音を鳴らしつつ、暗く淡い水色の車体が動き出した。
「30分くらいで着くから。コンビニとか寄りたければ言ってくれ」
カーナビのタッチパネルを操作しつつ東原が言う。ルームミラー越しの視線は深影に向いていた。
「大丈夫です」
深影は気遣いには感謝しながらもそう返し、東原という姓しか知らぬ彼の容姿を観察する。纏う雰囲気は非常に大人びているが、理吹とそう変わらぬ年齢に見えた。実際、東原は今年に17歳の誕生日を迎える歴とした少年である。
なお現在の日本共和国では満16歳から自動車の運転免許を取得できるが、彼のように自家用車の『所有』に至る者は極めて少数派だろう。
深影は不躾ながら東原と理吹を交互に見比べて「それにしても」と思う。この状況において着目すべきことではないのだが、両者とも女子中学生を容易く萎縮させる程度には美形であった。
いかにも刑事ドラマの主演を務めていそうな、端整かつ知的な風貌の東原。僅かに踏み外せば量産型と揶揄されかねない系統とも取れるが、彼の場合は安っぽいパーツがまるで見当たらず、総じて王道や正統のそれと言えた。
一方の理吹。どちらかと言えば童顔・中性的などと評されるであろう顔立ちに、剛健とは程遠い細身の体型。しかし瞳や口角から滲む独特な攻撃性が、彼の容姿にある種の非凡さを齎していた。目尻と頬にかかる前髪は擬装のようなものか。学校の教室には居そうで居ないタイプである。
平凡な少女を自認する深影はそんな2人に気圧されつつも、そもそもの疑問を解消すべく遠慮がちに言葉を発した。
「貴方達って警察……じゃないですよね」
理吹の「ああ」という返事に、続けて彼女は問う。
「じゃあ、防衛軍ですか?」
専守防衛軍は、ある意味最も護神兵と性質の似た組織である。しかし首肯してしまっては、訂正がやや面倒な誤解を招くだろう。
「ちょっと近いけど違う。俺らは一応、内務省の所属になってる」
理吹は僅かな逡巡を挟んで答えた。
「内務省……」
深影が呟く。あまり良い印象は持っていないことを悟らせる声音に、理吹は内心で苦笑した。運転席の東原も同様である。
日本共和国の国内行政や治安維持、更には情報・メディア関係を司り、極めて広範な権限を持つ『省庁の中の省庁』。第二次世界大戦の敗戦後、GHQによる改革が行われつつも様々な思惑――日本の支配階級による既得権への固執や、属国のコントロールを権力と利権の集中によって効率化する米国の戦略――が鬩ぎ合った果てに存続した組織である。
内務省、正確にはその下部組織たる情報管理局が護神兵を監督しており、警察組織や情報システム、そして報道機関への干渉を通じてその活動を成り立たせている。仮に護神兵が省庁の組織図に記載されるならば、間違いなく内務省の傘下に位置付けられるだろう。
「ま、今は勝手に動いてるけどさ」
続く理吹の言葉が、深影にとって最も重要だった。彼女は問う。
「私やっぱり、結構マズい状況だったりします?」
その不安を理吹は肯定する。
「ああ。さっきのは一般人が見ちゃいけないことになってる。あそこに居たってバレたら碌な事にならない」
彼が言う『さっきの』とは無論、魔術とそれに関わる勢力である。深影はつい先程見せつけられた現象を反芻した。指先から炎を飛ばし、手を触れずに遠くの物を動かす。フィクションに登場するような異能力そのもの。
「国が隠蔽……というか、独占してる?」
思わず溢れた深影の発言に、理吹が若干の驚きと感心を見せる。東原も一瞬ではあるが視線を彼女へ向けた。
「察しがいいな」
本質を突いた深影を軽い口調で褒める理吹。その声音に覆われた冷たい義憤を理解できるほど、今の深影は彼を知らない。