Chapter1
結末までのプロットは完成済みです。
多忙につき投稿頻度の保証は難しいのですが、絶対に完結させますので気長にお付き合いください。
感想・コメントお待ちしております!
ベルガモットの華やかな香りが立ち上り、白く艶やかな肌と、仄かに藤色の煌めきも見せる銀髪を撫でる。
2037年4月3日23時00分、神奈川県横浜市。
南東に広がる港湾を見下ろすように屹立する、みなとみらい地区のランドマーク。その高層フロアを占有するホテルの一室で、朝咲翠蓮はティーカップに口を付けた。スイートルームにのみ用意された最上級の銘柄らしいが、特段彼女の感傷を刺激することは無い。
ブラックとダークブラウンで統一された調度品に囲まれた広い空間。持て余しているようで、少女の器量と品性はそれと釣り合っていた。同時に生来の無機質さ故、彼女自身がインテリアの一環として用意された人形にも見える。
ティーセットと並んでテーブルに置かれたラップトップの画面が若い女を映す。長い黒髪を束ねて左肩に流し、堅いダークスーツを纏ったその出立ちは、現代風にアレンジされた武人のような印象を与えた。
『随分と久し振りだな翠蓮。昨年の京都以来か』
女――煌条穂熾の凛とした声が、スピーカー越しに響く。
『お前が護神兵の作戦を見物したがるとは珍しい』
「朝咲家の人間として、他人事ではありませんから」
柔和な、それでいて空虚な微笑を浮かべて返す翠蓮に対し、穂熾は冷淡だった。
『とうの昔に放逐されたはみ出し者が何を言う。奴を見に来ただけだろうが』
翠蓮はその嫌味を気にかけず、微笑を崩さずに「それで」と切り出した。
「情報は確かなのですか?シンガポールの“魔女”が動いたとか」
魔女。これは隠語や比喩の類ではなく、現実の存在に対する正式な呼称である。尤も、魔女とは意味合いが大きく異なるのだが。
問われた穂熾は、特段はぐらかすこともせずに首肯する。
『そうだ。例の新型魔装を民間の貨物に偽装し、横浜まで運び込んでいる。迷惑極まりない』
「迷惑、ですか」
穂熾の言葉を受け、翠蓮が皮肉のような含みを入れて返す。
「その情報を掴んでいるなら、最初から輸送自体を妨害することも出来たはず。ここまで見逃した――泳がせたのは、奪うため」
『当然だ』
穂熾が頷く。これは翠蓮に対して、今更隠し立てすべき目論見でもない。
『既に響理会が動いている。恐らくは中共も』
知る者しか知り得ぬ結社と、誰もが知る超大国。それらが同時に動く程の出来事がこの夜、横浜で起ころうとしていた。そして日本共和国が、それらの暗躍を見過ごす道理は無い。
即ち。
「争奪戦ですね。魔道を否定する響理会に破壊されるだけならばともかく、もし中共や、他の勢力の手に渡れば――」
翠蓮の語りを寸断するように、穂熾が口を開く。
『だから奴を送った』
再び使われた人称代名詞。若干の不信と嫌悪が含まれたそれを受けて、翠蓮のエメラルドグリーンの瞳に僅かな執着の光が灯る。付き合いの長い穂熾はその機微を認識したが、特段掘り下げずに「大人しくしていろ」と言い残して通信を終了させた。
画面越しの話し相手を失った翠蓮。その顔には暫く、意味も無く微笑が張り付いたままだった。
†
市道を挟む形で山下公園に面した立地――翠蓮の滞在するランドマークから南東に2キロメートルほど離れた地点にあるホテルの一室で、煌条穂熾はモニターの電源を落とした。
こちらも最上級グレードの客室なのだが、翠蓮のそれが持て余した財力の乱雑な放流であるのに対し、『司令部』としての使用を念頭に置いた合理的な選択である。実際、130平米ほどの広さを誇る空間はそれなりの人員と機材を支障なく受け入れており、17階から見下ろす景色にはしっかりと『現場』の施設が含まれていた。
「彼女、好きにさせるおつもりで?」
通信を終えた穂熾に、傍らで控えていた少女、彩堂律華が問う。
翠蓮の生家――“朝咲”は護神兵に深く関わる名家であるが、その生まれであるからといって無制限のアクセスが認められる訳ではない。まして、幼くして放逐された身であるならば尚更のこと。
その存在と運用に一切の法的根拠が無い極めて特殊な形態でこそあるが、護神兵――護国神威兵団とは、あくまで日本共和国内務省の指揮下にある準軍事組織なのだ。
「構わない……拒絶したところで別のルートから顔を出してくる女だ。ならば、此方の把握できる範囲で自由にさせた方がいい」
翠蓮という少女をよく知る穂熾故の判断であり、それは律華にとって合点がいくものではなかった。律華は「そういうものでしょうか」と首を傾げる。年相応の仕草によって、ブラウンの短髪が微かに揺れた。
白とアイボリーを基調とした爽やかな内装を半ば上書きするように、無機質なモニターや通信機器が配置されたリビング。着席してラップトップを操作していた壮年の男が立ち上がる。
「煌条大佐」
彼はスーツの襟を軽く正し、穂熾に向けて言った。
彼女の年齢からすると、『大佐』など正規軍ではまず有り得ない肩書きだ。これは朝咲と同様に深く護神兵と関わる“煌条”の力であると同時に、穂熾自身の類稀な才覚と苛烈な権勢欲の齎した結果でもある。
「対象と見られるコンテナ2台の照合が完了しました。どちらもCIAから提供された情報と一致しております」
男の報告を受け、穂熾の口の端が動く。
「だろうな。では鈴木中佐、総員に伝えろ。作戦は予定通り実行する」
そう指示された彼、鈴木三義だが、逆に穂熾へ問うた。
「今更の話ですが、よろしいのですか」
穂熾から返された鋭い視線には一切臆さず、彼は言葉を続ける。
「いくら松澤局長のご意向とはいえ、総監の判断を待たずに市街地で作戦行動など……」
苦言とも非難ともつかぬそれに対し、穂熾は悠然と言い放った。
「構わんよ、米国の指示でもある。山花少将とて弁えているだろう」
穂熾にとって、本来『山花少将』は上官に当たる存在である。彼は市ヶ谷――専守防衛軍の参謀本部から出向する形で総監職に任命され、護神兵における軍令を統括する立場であった。
しかしそもそもの話、秘密組織であるために『軍令』などという枠組みは元よりその機能を期待されていない。実態としては穂熾のような『本職』に政府の意向が直接伝えられており、そのまま実戦を含めた作戦行動に至っている。
上官を公然と軽視するような穂熾の発言に、鈴木はほんの僅かに顔を顰めたが、それだけだった。かつて陸軍に所属していた彼にとっては理解し難いこと――護神兵における指揮系統の歪さは、今に始まったものではない。
ラップトップに向き直って指示を飛ばす鈴木から視線を移し、穂熾は律華に言った。
「予備として夏凜明少尉も控えさせているが、最悪お前にも出てもらうぞ。彩堂大尉」
「はっ、了解しました」
この場では不要な敬礼を敢えて返す律華。その洗練された態度と所作は、権威を重んずる穂熾の観心を大いに買っていた。
†
かつてこの山下公園からは、ベイブリッジのライトアップが見渡せたらしい。護神兵少尉、東原仙一は眼前の山下埠頭に鎮座する、巨大な鉄筋の城塞を見上げた。
山下埠頭物流ターミナル。船便で運び込まれた貨物を一手に集めて保管し、陸上輸送への引き継ぎを進める流通の拠点である。建設が計画された2020年代後半には「景観を損ねる」といった趣旨の反対意見も殺到したものだが、結局は再開発による敷地の有効活用と港湾機能の増強を求める流れが勝った。かくして全高約40m、総面積約30haのそれは、大半の工程がオートメーション化されたこともあって昼夜問わずに稼働を続けている。
スクエア型の眼鏡、薄暗いネイビーのカラーレンズに照明が反射し、その奥に隠された同色の瞳が瞬く。カラーコンタクトの類ではなく、生来のものだ。カラーレンズの使用はそれを隠す為である。
東原は腕時計に目を落とした。23時20分という時刻であるが、都市部かつ観光名所なだけあって周囲には多少の人影が見える。
彼はワイヤレスイヤホンのケーブルと一体化したマイクに向け、静かに声を発した。
「キーパー1より定時報告。山下公園の南東より対象エリアを確認。異常、及び敷地への民間人の侵入は無し。定刻通り2340より作戦を開始する見込み。送れ」
彼の役割は『現場』たる山下埠頭物流ターミナルの監視と、隠蔽工作の監督である。要は、戦場となるエリアの管理を任されている形だ。
この案件は、3月20日に受けた一方的な通達が発端だった。
シンガポールを拠点とする魔女、通称“メルト”が開発した魔導兵装。東アジアの裏社会で活動する魔道組織――要は魔術士による軍閥じみたマフィア――が、メルトへの恭順と引き換えにそれを受領しようとしていた。そういった『魔道』とその産物の殲滅を掲げる秘密結社である“響理会”は、横浜で行われる取引を嗅ぎ付け、破壊を狙って現地に展開。日本共和国は響理会より、戦闘を見越した隠蔽工作への協力を要請された。
日本共和国としても、自国内に潜伏する魔道組織が強力な魔装を手にしてしまう事態は避けたい。よって響理会の作戦行動を容認――拒否したところで現地政府を尊重する組織ではないのだが――の上、バックアップを行うという決定を下した。しかしそこで、同じく響理会からの情報提供を受けた米国から、また別の要求を突き付けられた。
「響理会と魔道組織の戦闘に乗じ、魔装を奪え」
極めて単純な漁夫の利狙い。秘密裏に魔道の軍事利用を進めている米国にとって、魔女謹製の新型魔装は何としても手中に収めたい財宝である。そして日本共和国もまた、米国の後ろ盾の下で魔術士による準軍事組織を運用していた。
それこそが護国神威兵団、通称“護神兵”である。
第二次世界大戦の敗戦に伴い、大日本帝国の支配層が細々と運用していた魔術士戦力が米国の主導で再編され、旧軍の諜報機関や特別高等警察なども合流した上で誕生した組織である。
関係上逆らえる筈もなく、更に言えば護神兵としてもその魔装は入手したいところ。かくして禍中の栗を拾う面倒ごとは、当然の如く現場の人間に降りかかった。
イヤホン越しに流される司令部や他の人員のやり取りを聴き流しつつ、東原はトレンチコートの胸ポケットからスマートフォンを取り出す。これは護神兵の通信に用いている物ではなく、私物である。
ロック画面に表示された通話アプリの通知――ポップな字体の『OK』というスタンプを確認すると、胸ポケットに戻した。
そして、予定通りのイレギュラーが発生する。
†
紅茶を用いて暫く時間を消費していた翠蓮は、ふと時計に目を向けた。その針が示す時刻は23時23分。彼女はソーサーとカップをテーブルに置いて立ち上がり、窓際へ向かう。
観光エリアに沿うようにして広がる港湾の一角。山下埠頭物流ターミナルを見下ろすと、示し合わせたようにその北側――地上付近から中層の辺りまでが爆ぜた。内部からの衝撃に押された外壁の一部が剥がれ、湾に落下して小さな飛沫を上げる。
横浜の夜景を掻き消さんとばかりに大袈裟に噴き上がる火炎と黒煙を見て、翠蓮の口角が動く。
「始まったね。理吹」