第6話 クッキーのクッキーフェスタ②
# 第6話 クッキーのクッキーフェスタ②
チココが厨房を後にしてから、私は自分の作業に取り掛かった。
まず、材料を並べる。チココのような種類の多さはない。シンプルに、でも厳選されたものばかり。特に小麦粉は、魔法ギルドの研究で開発した特殊なものを使う。
「さて、始めましょうか」
小さなカーバンクルの手では、通常の調理器具は使いにくい。でも、それを補って余りある魔法技術がある。
「まず、今のクッキーをよく観察しないと」
厨房の扉から、ぬいぐるみのようなクッキーが顔を覗かせていた。
「ムウナ~、何作ってるの?」
「秘密よ。でも、きっと気に入ってもらえるはず」
水色の柔らかそうな体、くりくりした瞳、ぷにぷにした手足。かつての厳格な教官の面影は、どこにもない。でも、それでいいのだ。
「外側はちょっと硬そうに見えるけど、触ると柔らかい。中身は純粋で甘い……」
私は材料の配合を決めた。
「薄力粉70%、アーモンドプードル20%、ブルーココアパウダー10%」
ブルーココアパウダーで水色を表現し、アーモンドプードルで柔らかさを出す。薄力粉の割合を高めにすることで、優しい食感を目指す。
バターは無塩バターのみ。でも、ここに秘密がある。
「死霊術の応用……『魂の記憶』」
黒い靄がバターを包み込む。これは、素材が持つ「美味しかった記憶」を引き出す術。牛が食べた美味しい牧草の記憶、搾乳された時の幸福感、それら全てをバターに凝縮させる。
「ちょっと気持ち悪い? でも、美味しくなるならいいじゃない」
死霊術士の魔法は、一般人には理解されにくい。でも、効果は確かだ。
砂糖は粉糖のみを使用。きめ細かい甘さが、クッキーの純粋さを表現する。
「さて、ここからが本番よ」
材料を混ぜる段階で、私は二つの魔法陣を同時に展開した。
「炎魔法陣・微熱」
「氷魔法陣・冷却」
右手から微細な熱を、左手から冷気を放出しながら、生地を混ぜていく。これにより、生地の温度を部分的に変化させ、独特の層構造を作り出す。
「外側に向かうほど熱を加え、中心部は冷やす。これで焼いた時に、温度差による食感の違いが生まれる」
生地を休ませている間に、特別な型を用意した。
「変身魔法・型成形」
魔力で空中に型を描く。それは、今のクッキーの姿をそのまま象ったもの。ぬいぐるみのような丸いフォルム、愛らしい表情まで完璧に再現。
「ちょっとナルシスト? でも、自分の姿をしたクッキーを食べるって、面白いでしょう?」
生地を伸ばし、型で抜いていく。一つ一つ、丁寧に。
「そして、ここからが死霊術士の本領発揮」
私は抜いたクッキー生地に向かって、小さく呪文を唱えた。
「過去と現在を繋ぐ糸、記憶の味を呼び覚ませ」
これは、食べた人の楽しかった記憶を呼び起こす術。効果量を調整してここ数年の記憶に限定した。これで、クッキーとしての記憶を狙い撃ちにできるはず。
「さあ、焼きの工程よ」
オーブンは使わない。代わりに、魔法による直接調理を行う。
「炎の精霊よ、我が声に応えよ」
クッキー生地の周りに、小さな火の玉が無数に現れた。オレンジ色の優しい炎が、生地の表面を舐めるように動く。
「外側は180度で一気に。でも、内側は……」
「氷の女王よ、その息吹を」
今度は冷気の渦が生地の中心に向かって吹き込まれる。外は焼きながら、中は冷やす。相反する魔法の同時制御。
「魔法ギルドのグランドマスターを舐めないでよね」
温度制御は極めて繊細だ。1度でも間違えれば、生地は台無しになる。でも、私には自信があった。
5分後、魔法を解除すると、そこには不思議なクッキーが完成していた。
外側は綺麗なキツネ色。カリッとした焼き色がついている。でも、割ってみると中はしっとり。まるで半生のような、でも完全に火は通っている絶妙な状態。
「ふふ、完璧ね」
仕上げに、アイシングを施す。これも魔法で温度調整しながら、クッキーの表情を描いていく。にっこり笑った顔、驚いた顔、眠そうな顔……色々な表情のクッキーたち。
「これで完成!『今を生きるクッキー』」
見た目は今のクッキーそのもの。でも、食べれば分かる。外側の殻を破れば、中には無限の可能性が詰まっている。過去に囚われず、今を楽しみ、未来へ進め。そんなメッセージを込めて。
夕方、いよいよクッキーフェスタが始まった。
騎士団の大広間は、色とりどりの飾り付けで彩られていた。天井からは折り紙で作った星や花が吊るされ、テーブルには様々な料理が並んでいる。
「わあ~!すごいお祭りだ~!」
主役のクッキーが、目を輝かせて会場を見回している。
「クッキー隊長!いらっしゃいました!」
若い騎士が敬礼すると、クッキーは嬉しそうに敬礼を返した。その仕草は、かつての軍人としての記憶が残っているようで、少しぎこちない。
「今日は僕のお祭りなんだって!嬉しいな~!」
騎士団員たちは、最初こそ戸惑っていたが、クッキーの純粋な喜びように、次第に表情が和らいでいく。
「隊長、一緒に写真を撮ってもいいですか?」
「もちろん!みんなで撮ろう!」
あちこちで記念撮影が始まり、会場は和やかな雰囲気に包まれた。
そして、いよいよメインイベントの時間。
「さあ、クッキー」
チココが中央のテーブルに案内する。そこには、二つの皿に盛られたクッキーが置かれていた。
「どちらも君のために作ったクッキーだ。好きな方を選んでくれ」
クッキーは真剣な表情で、二つの皿を見比べた。
一つは、チココの『騎士団の礎』。黄金色に輝く完璧な造形、宝石のように埋め込まれたフルーツが美しい。
もう一つは、私の『今を生きるクッキー』。自分の姿をかたどった、愛らしいクッキーたち。
「どっちも美味しそう……」
クッキーは悩みながら、まず私のクッキーを手に取った。
カリッ
一口かじると、外側の香ばしい層が砕ける。そして、中からしっとりとした生地が現れた。
「わっ!外はカリカリで、中はふわふわ!」
クッキーの表情が、みるみる明るくなっていく。
「なんか……なんか、楽しい気持ちになる!」
記憶を呼び起こす魔法が効いているようだ。クッキーは次々と違う表情のクッキーを食べていく。
「これ、僕だ!僕の顔してる!」
自分の姿を食べることへの抵抗感はないようだ。むしろ、面白がっている。
続いて、チココのクッキーも手に取る。
ふわっ
柔らかい生地を噛むと、中に層状に配置されたフルーツから果汁が溢れ出した。
「うわ~、これもすごい!フルーツが生きてるみたい!」
技術的には圧倒的にチココの方が上。味の完成度も、見た目の美しさも。
でも——
「ねえ、どっちが好き?」
私が尋ねると、クッキーは少し悩んでから言った。
「こっち!」
私のクッキーを指差す。
「だって、これ僕みたいだもん!外は硬くて、中は柔らかくて……今の僕にぴったり!」
会場がざわめいた。まさかチココが負けるとは、誰も予想していなかったのだろう。
「それに」
クッキーが続ける。
「チココのクッキーは、すごく美味しいけど……なんか昔を思い出しちゃう。完璧すぎて、守られすぎてて……でも今の僕は違うもん。柔らかくても、いいよね?」
その言葉に、チココは少し驚いたような表情を見せた。そして、苦笑いを浮かべる。
「……参ったな。僕の完敗だ」
彼は素直に負けを認めた。
「過去の栄光より、今の幸せか。クッキーは前を向いているんだね」
騎士団員たちから拍手が起こる。私は誇らしげに胸を張った。
フェスタが一段落したところで、私はチココを厨房の片隅に連れ出した。
「さて、約束は約束よ」
「……分かったよ」
チココは観念したように息を吐いた。
「二人の罪状、正直に教えて」
「……後悔するよ。騎士団の暗部について話さないといけない」
チココは真剣な表情で私を見つめた。
「……綺麗事だけじゃ騎士団運営も国家運営もできないんだ」
「私のことをピュアピュアな少女だと思ってるの?」
私は首を傾げた。
「私、死霊術士よ?」
「それは知ってるけど……」
「死霊術魔法大学時代の親友なんて、食人鬼だったわよ」
「は!?」
チココの目が点になった。
「名前はグールディ。人肉レストラン経営してて、私が所属してたサークルの半分ぐらいはそこで宴会してたらしいわ」
「ちょ、ちょっと待って」
「ルームメイトは腐敗と蛆虫の神様を信仰してたし」
「やめて!」
「3年生の時のペアなんて、リッチ志望で、墓地か解剖室で練習に付き合わされた」
「もうやめてえええ!」
チココが頭を抱えている。
「だから、多少の暗い話くらいで動じないわよ」
「多少って……君の基準おかしくない?」
顔を青くしながら、チココは深呼吸を繰り返した。
「まあ、いいや。じゃあ正直に話すよ」
彼は姿勢を正した。
「騎士団が都市連合と戦うために、より強力な戦力が必要だった。それで、マロンという科学者にアノマリーを作らせようとしたんだ」
「アノマリーを?」
「人工的に制御可能なアノマリーを作れば、都市連合に対抗できると考えた。でも……」
チココの表情が暗くなる。
「実験が暴走した。エリアナさんが犠牲になってしまった。彼女は最後まで、暴走したアノマリーから皆を守ろうとして……」
「それで、クルーシブは?」
「エリアナを失ったショックで、クルーシブさんの精神は崩壊寸前だった。そこを溶鉱炉の妖精と呼ばれる強大なアノマリーに付け込まれた」
チココの声が震える。
「妖精に操られたクルーシブさんは、大量虐殺を引き起こしてしまった。都市連合の街を襲い、罪のない人々を……最後は正気を取り戻した瞬間に、静かに刑罰を受け入れたんだ」
「...でも、その二人を、僕は人体錬成で蘇生させてしまった」
やはり、と私は頷いた。
「理由は?」
チココの目に罪悪感が宿る。
「人手不足だよ。世界の脅威は増す一方だ。アノマリーは進化し、都市連合との緊張も高まってる。需要が日に日に伸び続けている今、ロイヤルパラディンを2人を失うことはできなかったんだ」
彼の目が鋭くなる。
「クルーシブは溶鉱炉の妖精を召喚できる。エリアナも聖騎士として規格外の力を持つ。この二人の戦力は、騎士団にとって必要不可欠なんだ」
「でも、危険でしょう?」
「だから絶対服従を刻んだ。蘇生の際に、脳に直接命令系統を組み込んだんだ」
なるほど、あの不自然な命令口調はそのためか。
「選択肢を与えているのは?」
「完全な人形にはしたくなかった。最低限の自由意志は残したかったんだ」
チココの表情に、罪悪感が滲む。
「優しい独裁者ね」
「否定はしないよ」
私はチココの頬に小さな手を当てた。
「でも、それがあなたなのよね。冷徹になりきれない」
「綺麗事だけじゃやっていけないんだ」
「知ってるわ。私の卒論のテーマ、『効率的な魂の搾取方法~拷問と快楽の狭間で~』だったもの」
「聞きたくない!」
チココが耳を塞ぐ。
「主査教授に『素晴らしい残虐性だ』って褒められたのよ」
「もう君の学生時代の話はやめて!」
二人で笑い合いながら、私は思った。
複雑で、歪で、でも必死に前に進もうとしている。
それが私たちの日常なのだと。
窓の外では、星が瞬き始めていた。