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第5話 クッキーのクッキーフェスタ①

# 第5話 クッキーのクッキーフェスタ①


 朝の食卓で新聞を読んでいると、チココが珍しく嬉しそうな表情で立ち上がった。いつもは厨房以外で料理をしない彼が、テーブルの上にクッキングマットを広げ始める。


「今日は何かの記念日だったかしら?」


 私は小さなカーバンクルの体で首を傾げた。結婚記念日も、私の誕生日も、騎士団の祭日もまだ先のはずだ。


「今日は昔の一番弟子のための日なんだ。クッキー……ヴィクターさんのためにね」


 チココが窓の外を見る。騎士団の訓練場では、朝の鍛錬が始まっていた。整然と並んだ騎士たちの動きは、まるで一つの生き物のように統制が取れている。


 ヴィクター・ドレッドノート。チココが心血を注いで育てた弟子だったが、コーチングマスタリーのような非戦闘系のユニークスキルばかり発現させてしまい、出世コースから外れてしまった人物。それでも人一倍の努力家で、騎士団の鬼教官として多くの新兵を育て上げた。


 しかし今の彼は、ぬいぐるみのような愛らしい姿になってしまっている。水色の柔らかな体に、くりくりとした瞳。かつての厳格な教官の面影は、どこにもない。


「クルーシブさん、エリアナさん、手が空き次第こちらに来てくれ」


 チココの声色が変わった。この二人に対してだけ、妙に機械的な口調になる。まるで初級召喚術師が使い魔に命令するような、不自然な言い回しだ。


 二人は即座に反応した。クルーシブは読んでいた本を閉じ、エリアナはお茶を飲む手を止めて、チココの前に立つ。


「今日はクッキーのためにクッキーフェスタを開催する。クルーシブさんは必ず手伝え。エリアナさんは、嫌なら拒否して、部屋の中で自由に行動しろ」


 なんという不自然な命令形。まるでプログラムされた人形に指示を出しているようだ。


「俺に拒否権はないのか」


 クルーシブが小さくぼやくが、すでに立ち上がって待機している。


「クッキーは君の恩師で、大親友だろう?」


 チココの声が急に冷たくなった。青い瞳が、まるで氷の刃のように鋭く光る。


「それに、クッキーが今の状態になったのは誰のせいだ? これ以上人の道に反発するなら、もう怒りを抑えきれないよ」


 空気が凍りついた。まるで真冬の吹雪が室内に吹き込んだかのような冷気が漂う。クルーシブは目に見えて怯え、慌ててうなずいた。その額には、うっすらと冷や汗が浮かんでいる。


「ねえ、二人は何をしたの?」


 私が尋ねると、チココは急に鼻を掻き始めた。カリカリと音を立てて、必要以上に掻いている。


「えーと、車の事故だよ。飲酒運転でクッキーを引いちゃって、それで幼児退行しちゃったの」


 鼻を掻きすぎて真っ赤になっている。300年以上連れ添った私には、この癖の意味がよく分かる。彼は嘘をついている時、必ず鼻を掻くのだ。


「絶対服従みたいになってるのは?」


「車の事故で腐海に落ちたから死霊術で蘇らせたの。僕のスキルレベルが足りないから自由に動けないの」


 私の脳内で、瞬時に魔法理論の計算が走る。クルーシブは暗殺部隊でも屈指の実力者、エリアナも聖騎士ギルドのトップランカー。どちらも冒険者基準ならSSクラスを超える実力者だ。


 この二人を永続蘇生させるなど、死霊術のグランドマスターである私でも厳しいレベル。ましてやチココの魔法系統は防御と回復特化で、死霊術など枝葉にすらない。


 騎士団本部全体に漂う、禁忌の香り。この膨大な魔力の残滓……間違いない。人体錬成だ。


「そんなことより」


 チココが慌てたように話題を変える。額にも汗が浮かんでいる。


「クッキーが騎士団に馴染めてないんだ。見た目も性格も変わりすぎて、皆どう接していいか分からないみたい」


 確かに、昨日の夕食時は気まずかった。かつて「鋼鉄の鬼教官」と恐れられたヴィクターが、今は「わーい! チココ様のごはん!」と無邪気に喜んでいる。歴戦の騎士たちは、どう反応していいか分からず、ぎこちない笑顔で相槌を打つばかりだった。


「だからクッキーフェスタを開いて、新しいクッキーを受け入れてもらおうと思うんだ。ムウナも手伝って」


「いいわよ。でも」


 私は小さな体で精一杯背伸びをして、挑戦的な笑みを浮かべた。


「料理勝負にしない? クッキーが私のクッキーを選んだら、二人の罪状を正直に教えて」


 チココの顔が固まった。長い耳がぴくりと動き、一瞬だけ瞳が泳ぐ。


「……分かったよ」


 彼は苦笑いを浮かべる。でも、その目は真剣だった。料理に関しては、彼は決して妥協しない。


「受けて立つよ。僕のクッキーで、クッキーに伝えたいことがあるんだ」


 騎士団本部の大厨房に移動した。普段は数十人の料理人が働く巨大な空間だが、今日は私たちのために空けてもらっている。


「さて、始めようか」


 チココが取り出したのは、厳選された材料たち。小麦粉は3種類、バターは発酵バターと無塩バターの2種類、砂糖も上白糖、グラニュー糖、粉糖と使い分ける。


「今日作るのは、『騎士団の礎』という名のクッキーだ」


 彼が静かに語り始める。


「ヴィクター……今のクッキーは、この騎士団の土台を作った一人なんだ。彼が育てた騎士たちが、今の騎士団を支えている」


 まず、小麦粉の配合から始まった。


「強力粉40%、中力粉40%、薄力粉20%」


 計量スプーンを使わず、手の感覚だけで正確に量り取っていく。300年の経験が成せる技だ。


「強力粉は騎士団の強さを、中力粉は柔軟性を、薄力粉は優しさを表現する」


 粉をふるいにかける動作も美しい。まるで雪が舞い落ちるように、さらさらと落ちていく小麦粉。


 次はバターの準備。発酵バターを常温に戻し、指で押すとすっと沈む程度の柔らかさに調整する。


「温度管理の魔法を使うけど、あくまで補助。大切なのは、素材との対話だ」


 チココの手のひらが淡く光り、バターの温度を0.1度単位で調整していく。


「バターは騎士団の絆を表す。固すぎても、柔らかすぎてもダメ。ちょうどいい柔軟性が必要なんだ」


 砂糖を加える段階では、3種類を絶妙なバランスで配合した。


「上白糖60%、グラニュー糖30%、粉糖10%。甘さに深みを出すための黄金比だ」


 バターと砂糖を混ぜる作業は、特に慎重だった。木べらを一定のリズムで動かし、空気を含ませながら白っぽくなるまで混ぜていく。


 卵を加える時も、少しずつ、本当に少しずつ加えていく。一度に入れると分離してしまうからだ。


「卵は新しい命。ヴィクターが育てた新兵たちを表している」


 そして、いよいよ特別な工程に入った。


「ここからが、普通のクッキーとは違うところだ」


 チココは深呼吸をすると、両手を生地の上にかざした。


「防御魔法で焼きムラを防ぐ。大量に作らないといけないから大型のオーブンを使わないといけないからね」


 淡い金色の光が生地を包み込む。これは防御魔法の応用で、生地の分子構造を一時的に固定する技術だ。


「これで焼いても、完璧に均一な状態を保てる。どこを食べても同じ食感、同じ味。騎士団の統一性を表現するんだ」


 生地を薄く伸ばし、特製の型で抜いていく。型は騎士団の紋章をかたどったものだ。


「そして、ここに」


 チココは新鮮なフルーツを取り出した。苺、ブルーベリー、オレンジ、キウイ、マンゴー。色とりどりの果実たち。


「これらを極薄にスライスして、生地の中に層状に配置する。防御魔法で保護しながら焼くことで、フルーツの瑞々しさを完全にキープするんだ」


 チココの包丁さばきは芸術的だった。フルーツが透けるほど薄く、しかし形を保つギリギリの厚さにスライスしていく。


「生地を薄く伸ばして、フルーツを配置、また生地を重ねる。これを繰り返して層を作る」


 まるでミルフィーユのように、生地とフルーツが交互に重なっていく。


「中心に苺。情熱と勇気の象徴。その上下にブルーベリーで冷静さを。さらにオレンジで活力、キウイで成長、マンゴーで豊かさを表現」


 各層に防御魔法をかけながら、丁寧に生地で包み込んでいく。


「ソフトクッキーの優しい生地が、新鮮なフルーツを守護する。まさに騎士団の在り方そのものだ」


 オーブンの温度は180度。焼き時間は正確に12分。チココは懐中時計を取り出し、秒針を見つめながら待った。


 12分後、オーブンから取り出されたクッキーは、まさに芸術品だった。黄金色に輝くソフトな生地は、場所によるムラが一切ない。中に入れたフルーツは、魔法のおかげで焼かれたにも関わらず、摘みたてのような瑞々しさを保っている。


「これが『騎士団の礎』」


 チココは満足そうに頷いた。


「柔らかく包み込む生地の中で、生き生きとした個性が守られている。それがヴィクターの作り上げた騎士団の姿なんだ」

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