第17話 融合のコチニータ・ピビル①
# 第17話 融合のコチニータ・ピビル①
朝食の席で、私は昨日から考えていたことを切り出した。
「チココ、息子に会いたい」
チココが手にしていたティーカップを置く音が、静かに響いた。
「ムウナ...」
「300年も待ったのよ。もう待てない」
私は深呼吸をして続けた。
「それに、まだ名前もつけてあげてない。息子って呼ぶのも、なんだか他人行儀で...」
チココの表情が苦しそうに歪む。
「そうだね...本当なら、生まれた時に二人で名前をつけてあげるはずだった」
「今からでも遅くないわ。会って、顔を見て、二人で名前を考えてあげたい」
チココは深いため息をついて、真剣な表情で私を見つめた。
「息子は...あの子はここ数年で完全に意識を取り戻した。もう数年経てば外で生きられるようになる」
彼の声には苦渋が滲んでいる。
「会いたい気持ちはわかるけど、今病気などを持ち込むわけにはいかないんだ。あの子の免疫系はまだ不安定で、外界の菌やウイルスに触れたら命に関わる」
「それでも...」
私は小さな前足を震わせながら訴える。
「ガラス越しでいい。声を聞かなくてもいい。ただ、顔を見たいの。そして、ちゃんと名前を...」
チココの表情がさらに苦しそうに歪む。
「それができたら、僕だってとっくに会いに行ってる。300年も『息子』としか呼べないのは、父親として失格だよ」
「どういうこと?」
「マロンの研究所の場所は、国家の最重要機密なんだ。僕ですら場所を知らない」
私は目を見開いた。
「騎士団長なのに?」
「記憶を盗み見る魔法への対策で、関係者全員の記憶から消してある。自由に出入りできるのは、どこにいるのかもいつ出てくるのかも分からないマロンと、母さんだけ」
チココは申し訳なさそうに続ける。
「二人のどちらかを説得しないと、研究所には入れない」
私は決意を固めた。
「メリルは論外ね。マロンを狙うしかない」
確かに、姑のメリルに頼むなんて選択肢はありえない。『欠陥品の嫁』呼ばわりされて、門前払いされるのが目に見えている。
「でも、マロンを見つけるのは...」
「情報を集めるわ」
私は席を立った。
「私のコネで調べたことがあるの」
「え?」
チココが驚いた表情で私を見る。
「いつ?」
「50年前よ。あの時はおおよその場所しか分からなかったし、情報が一定間隔で変わってた」
私は分析した内容を説明する。
「おそらく、研究所自体は別次元に置いてあって、入口が一定間隔で別の場所に移動している。物資の移動なんかは転移魔法で行ってるから、4次元座標を知ってないと入れない」
「よくそこまで分かったね...」
「3次元にいる私が当てずっぽうで当たるわけがないから、マロンを捕まえないと無理なのよ」
チココは複雑な表情で私を見つめた。
「何考えてるか分からないよ。マロンは...」
「分かってる。でも、あの子に会って、ちゃんと名前をつけてあげたい。300年も名無しのままなんて、可哀想すぎる」
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その日から、私は本格的に情報収集を始めた。
死霊術ギルドの人脈、ビジネスで築いたコネクション、そして莫大な資金を投入して、マロンの痕跡を追う。
しかし、マロンという人物は、想像以上に掴みどころがなかった。
目撃情報は各地にあるが、どれも時系列がバラバラ。同じ日の同じ時刻に、大陸の反対側で目撃されていたりする。
「あなた、ダミー情報まで広めてるのね」
「...ごめん。国家機密だから」
私は集まった情報を整理しながら呟いた。
ただ、一つだけ確実な情報があった。
マロンには定期的に会っている友人がいる。
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一週間後、私はようやくその人物を特定した。
「放浪のトカゲ族の妖術師...」
資料を見ながら、私は興味深そうに呟いた。
名前はグラハザード。騎士団のスター・パラディンの一人で、異端の存在として知られている。
トカゲ族といえば、闇と暗殺の神を崇めていて、暗殺ギルドに多数の戦士を輩出している種族だ。その中で妖術師というだけでも珍しいが、彼はさらに特殊だった。
「様々な部族の習性と文化の研究者...」
マッドサイエンティストのマロンにとって、知らないことばかり知っている男性。だから年に数回、話し相手になってもらっているらしい。
「面白い組み合わせね」
私は情報をさらに読み進める。
グラハザードは現在、東の山岳地帯にある遊牧民の集落にいるという。季節ごとに移動する彼らの食文化を研究しているらしい。
「よし、会いに行きましょう」
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三日後、私は東の山岳地帯へ向かっていた。
護衛として、相変わらずクルーシブとエリアナが同行している。山道は険しく、馬車では進めない場所も多い。
「この辺りは、遊牧民の縄張りね」
エリアナが周囲を警戒しながら言う。
「よそ者には警戒心が強いから、慎重に行動しないと」
しかし、私たちが心配したような敵対的な反応はなかった。
むしろ、集落に近づくにつれて、美味しそうな香りが漂ってきた。
「なんだろう、この匂い...」
クルーシブが鼻をひくつかせる。
「スパイスと...肉?でも、普通の料理とは違う」
集落に到着すると、意外な光景が広がっていた。
中央の広場で、大きな鍋を囲んで人々が集まっている。そして、その中心には、見るからに異質な存在がいた。
2メートルを超える長身、深緑色の鱗に覆われた体、鋭い爪と牙。間違いなくトカゲ族だ。
しかし、その手つきは料理人そのものだった。
「もう少し火を弱めて。このハーブは最後に入れるんだ。香りが飛んでしまうからね」
低く響く声で、集落の女性たちに優しく指導している。
「グラハザード...」
私は確信した。あれが、マロンの友人だ。
近づこうとした時、彼がこちらを振り返った。縦長の瞳孔が、私を捉える。
「ほう...死霊術師か。しかも、かなりの使い手のようだ」
グラハザードがゆっくりと立ち上がる。
「ムウナ様、よくぞこのような辺境までお越しくださいました」
彼は恭しく頭を下げる。
「騎士団長の奥方が、わざわざ私のような者に会いに来られるとは」
グラハザードの縦長の瞳孔が、私を見据える。
「何か用でしょうか?こんな辺境まで来るとは、よほどの理由があるのでしょう」
「単刀直入に言うわ」
私は小さな体で背筋を伸ばした。
「マロンに会いたいの。あなた、彼の友人でしょう?」
グラハザードの表情が、わずかに変化した。
「...マロンか。確かに、時々話をする仲ですが」
彼は鋭い視線で私を見据える。
「なぜ彼女に会われたいのですか? 研究の依頼?それとも...」
「個人的な理由よ」
私は正直に答えた。隠しても、この手の人物には通用しないだろう。
「息子に...まだ名前もつけてあげてない子に会いたいの」
グラハザードは深く息を吐いた。
「...彼は、騎士団長夫妻の息子様だったのですか」
彼は顎に手を当てて考え込む。
「いくら副団長といえど、友人を売るわけにはいきません」
「でも...」
「ただし」
グラハザードが顔を上げる。
「私めとご友人になっていただけるならば、友人をマロンに紹介することはできます」
「ご友人?」
私は小さな体で首を傾げた。
「ええ、ムウナ様は料理がお好きと聞きます」
彼は広場の方を指差した。
「我々が先程食べた伝統料理を再現してください」
「さっきの料理?」
「コチニータ・ピビルです」
グラハザードは続ける。
「ここに残った臭い、落ちてしまった香辛料、調理器具、食べ残しのソース、ここにいる者たちの話を聞いて再現するのです。彼らの文化と伝統を知れば、自然と答えにたどり着けるでしょう」
なるほど、料理での試験というわけか。
でも...
「そんなの必要ない」
私は胸を張った。
「私は多民族国家の副団長よ。文化の相互理解や尊重は大事でしょうが、全部取り入れてたら混沌になってしまう」
グラハザードの目が興味深そうに細められる。
「ほう?」
「私がアレンジして越えてしてみせるわ」
自信満々に宣言すると、グラハザードは低く笑った。
「面白い。伝統を守ることに固執する者が多い中、そこまで言い切るとは」
彼は鋭い牙を見せて微笑む。
「いいでしょう。では、あなたのアレンジを見せてもらいましょうか」