第15話 献杯の酒蒸しハンバーグ②
# 第15話 献杯の酒蒸しハンバーグ②
墓守たちが武器を構えたまま困惑している中、私は手際よく調理を始めた。
「まず、玉ねぎを大量に用意するわよ」
新玉ねぎを5個、普通の玉ねぎを3個。合計8個もの玉ねぎを、小さなカーバンクルの手で次々とみじん切りにしていく。
「そんなに使うのですか?」
墓守の一人が思わず声を上げる。
「300年も休みなく働いてきたあなたたちの疲労を考えたら、これでも少ないくらいよ」
玉ねぎには疲労回復効果のあるアリシンが豊富に含まれている。特に新玉ねぎは生でも食べられるほど甘く、栄養価も高い。
次に、にんにくを丸ごと10個用意した。
「にんにくも、そんなに...」
「ガーリック味を前面に出すの。スタミナ回復には最適よ」
にんにくの半分は細かくみじん切りに、残りの半分はすりおろす。香りが厨房に充満し始めた。
「死霊術・精密温度管理」
黒い靄がフライパンを包み込む。バターを溶かし、まず玉ねぎを炒め始める。火加減は中火から弱火。じっくりと、飴色になるまで炒めていく。
「普通なら30分はかかる作業だけど...」
死霊術で分子レベルの温度管理を行い、均一に熱を加えていく。15分で、美しい飴色の玉ねぎが完成した。
「すごい香りだ...」
墓守たちの警戒が、少しずつ緩んでいく。
大きなボウルに、合い挽き肉を1.5kg用意する。通常の3倍の量だ。
「ここに、炒めた玉ねぎの半分と、みじん切りのにんにく、卵、パン粉、そして...」
私は秘密の材料を取り出した。
「日本酒、赤ワイン、テウトン地方の黒麦酒。3種類のお酒を肉に練り込むの」
「肉に酒を?」
「そう。これで肉が柔らかくなるし、じわじわと体に染み込んでいくのよ」
さらに、塩、黒胡椒、ナツメグ、そして隠し味に味噌を少々。全ての材料を、素手で丁寧に練り込んでいく。
「ポイントは、練りすぎないこと。ふんわり感を残すのが大切」
肉だねを20等分し、一つ一つ丁寧に成形していく。中央を少しくぼませて、火の通りを均一にする。
「さて、ここからが本番よ」
大きな蒸し器を3つ用意し、それぞれに異なるお酒を注ぐ。
「純米大吟醸、ボルドー産の赤ワイン、テウトン黒麦酒。それぞれ違う香りと味わいを楽しんでもらうわ」
蒸し器にハンバーグを並べ、強火で一気に蒸し上げる。アルコールの蒸気が立ち上り、厨房全体が酒場のような香りに包まれた。
「うっ...酔いそうだ」
墓守の一人がふらつく。確かに、アルコールの蒸気だけでも軽く酔えるほどの濃度だ。
蒸している間に、ソースを3種類作る。
「赤ワインソースは、バターとエシャロット、そしてデミグラスソース」
フライパンで赤ワインを煮詰め、バターでコクを出す。
「日本酒ソースは、醤油、みりん、おろしにんにく、そして大根おろし」
和風の照り焼き風だが、にんにくをたっぷり効かせて、パンチのある味に。
「黒麦酒ソースは、粒マスタード、蜂蜜、そして黒胡椒」
テウトン地方風の濃厚なソース。黒麦酒の苦みと蜂蜜の甘みが絶妙にマッチする。
15分後、蒸し上がったハンバーグを取り出す。
「見て、この弾力」
箸で押すと、ぷるんと跳ね返る。表面はしっとりと湿り、中からは肉汁がじゅわりと溢れ出す。
「仕上げに、表面を軽く焼き目をつけるわ」
熱したフライパンで、両面をさっと焼く。香ばしい香りが加わり、食欲をそそる。
「付け合わせも大切よ」
残りの炒め玉ねぎに、にんにくチップ、素揚げしたれんこん、そして疲労回復効果の高いアスパラガスのソテー。
「さあ、召し上がれ」
巨大なテーブルに、20人分の料理が並べられた。3種類のハンバーグが、それぞれ異なる皿に美しく盛り付けられている。
「これは...」
墓守たちは、もはや戦闘どころではなかった。香りだけで、すでに半分酔っているような状態だ。
「まず、日本酒蒸しから食べてみて」
墓守の長が、恐る恐る箸をつける。
一口食べた瞬間、その表情が変わった。
「なんという...」
ハンバーグを噛むと、中から日本酒の香りと共に、肉汁が溢れ出す。柔らかく、それでいて肉の旨味がしっかりと感じられる。
「にんにくと玉ねぎの甘みが...体に染み込んでくる」
他の墓守たちも次々と箸をつけ始める。
「赤ワイン蒸しは、より濃厚ですね」
「黒麦酒蒸しの、この香ばしさ!」
あっという間に、墓守たちは料理に夢中になっていった。
「お酒も用意してあるわよ」
私が合図すると、どこからともなく酒樽が運ばれてくる。日本酒、ワイン、黒麦酒、さらには果実酒まで。
「300年分の、お疲れ様の気持ちを込めて。今日は飲んで、食べて、楽しんで」
墓守たちは、もはや任務のことなど忘れていた。
「かんぱーい!」
誰かが音頭を取ると、全員で盃を掲げる。
「ムウナ様の料理は最高だ!」
「300年ぶりの、まともな食事だ!」
宴会は大いに盛り上がった。歌が始まり、踊りが始まり、普段は厳格な墓守たちが、まるで子供のようにはしゃいでいる。
私は追加でつまみも作り続けた。にんにくたっぷりの枝豆、玉ねぎとベーコンのピザ、ガーリックトースト。どれも酒が進む味付けだ。
2時間後。
「ぐー...ぐー...」
墓守たちは、一人残らず酔い潰れて眠っていた。幸せそうな寝顔で、いびきをかいている。
「さて...」
私は周囲を確認してから、そっと自分の墓へと向かった。
封印を解き、重い石の蓋を開ける。棺の中を覗き込むと...
「え?」
私は目を疑った。
そこに私の死体はなかった。
300年前、確かにここに葬られたはずの私の遺体が、跡形もなく消えている。
代わりに、チココの見慣れた字で書かれた手紙が置かれている。
震える手で、手紙を開いた。
『ムウナへ
この手紙を読んでいるということは、僕はもう死んでいるか、世界が存亡の危機に瀕しているのだろう。
まず、君に謝らなければならないことがある。300年間、黙っていてごめん。
君の死体は、もうここにはない。
君との間に生まれた息子は、生きている。流産なんて嘘だ。
息子は生まれつき不安定な存在だった。君と僕の潜在レベルの合計が高すぎて、この世界のシステムが処理しきれなかったんだ。
このままでは息子は消滅してしまう。だから、君の元の体の臓器を使って、安定化の処置をした。マロンの研究所で、今も治療を続けている。
完全に安定するまで、息子は研究所から出せない。もう少しで君に会わせられるはずだったのに、僕が先に逝ってしまって本当にごめん。
君を一人残して、この重荷を背負わせることになってしまった。300年間、君と一緒に生きてきたのに、最後の最後で君を独りにしてしまうなんて。
でも君なら、きっと息子を見つけて、導いてくれると信じている。彼は君たちの希望になれるはずだ。
世界が危機に瀕している今、君に託すものがある。棺の中に、最終兵器の在処と起動コードを記した地図がある。座標は暗号化してある。君なら解けるはずだ。
特異点の記憶クリスタルも入れておいた。これで失われた旧文明の技術を復元できる。世界を立て直すのに必要になるだろう。
他にも、神話クラスの聖遺物がいくつか。どれも危険だが、君の力になるはずだ。
ムウナ、最後にどうしても伝えたいことがある。
君と過ごした300年は、僕の人生で最も幸せな時間だった。君の料理を「まあまあ」としか言えなかったこと、今でも後悔している。本当は、いつも最高に美味しかった。でも、素直に言えなかった僕を許してほしい。
世界を君一人に託すことになってしまって、本当にごめん。でも君なら、きっとできる。君の強さと優しさを、僕は誰よりも知っているから。
息子と再会できたら、僕の分も愛してやってほしい。そして、世界に平和が戻ったら、また家族みんなで食卓を囲もう。
愛している。永遠に。
チココ
P.S. 暗号の解読キーは、君が初めて作ってくれた料理の名前だ』
涙が溢れそうになった。これは、チココが自分の死と世界の危機を想定して書いた、最後の遺書だ。
でも今、チココは生きている。世界もまだ平和だ。私がこの手紙を読むことになったのは、全く別の理由からだった。緊急時になった時、墓守たちを殺しでも自分の死体を取りに来ないといけない時に読む物だったんだろう...。
棺の中を確認すると、確かに危険そうな聖遺物がいくつも入っている。見るからに強力な魔力を秘めた剣、謎の紋章が刻まれた腕輪、そして...
「特異点の記憶クリスタル...」
超技術のコピーが入った、貴重な遺産だ。これがあれば、失われた旧文明の技術を復元できるかもしれない。
でも、これらは明らかに「世界が崩壊しかけた時」のための最後の切り札だ。今の私の個人的な目的のために使うものじゃない。
私は深く考え込んだ。チココが想定していた「緊急事態」と、今の状況はあまりにも違いすぎる。息子が生きていたという衝撃的な事実を知ったけれど、まだ世界は平和で、チココも生きている。
「...ごめんなさい」
私は全てを元に戻し、棺を閉じた。封印も元通りにして、何事もなかったかのように墓を後にする。
これらの聖遺物は、本当に世界の危機が訪れた時のために、このまま眠らせておこう。今の私には、まだその時ではない。
騎士団本部に戻ると、チココが玄関で待っていた。
その表情は...申し訳なさと恥ずかしさが入り混じった、なんとも言えないものだった。
「おかえり、ムウナ」
「ただいま」
私も複雑な感情に囚われていた。息子が生きていることへの喜び、300年も黙っていたことへの憤り、そして真実を知ってしまったことへの戸惑い。...あと、全く関係ない時に開けてしまった申し訳無さ。
でも何より、これからどう向き合えばいいのか分からない不安がある。
二人とも、言いたいことは山ほどあるだろう。
でも...
「今日は疲れたわ」
「そうだね。話は明日にしよう」
お互いに目を合わせられないまま、私たちは寝室へと向かった。
同じベッドに入っても、いつもより距離を感じる。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
明日、全てを話し合おう。
300年分の秘密と、これからの未来について。
窓の外では、月が静かに二人を見守っていた。