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第11話 むーたん家の晩ごはん②

# 第11話 むーたん家の晩ごはん②


 騎士団本部の大厨房は、二つの調理スペースに分けられていた。片側にはパールヴァティが、もう片側には私が立っている。


「ルールは簡単よ~」


 メリルが楽しそうに手を叩きながら説明する。


「今日の晩ごはんを作ってもらうの~。審査員はチョコちゃんと、そこにいる騎士団の皆さん。どちらがチョコちゃんの奥さんにふさわしいか、決めてもらいましょ~」


 集まった騎士団員たちが困惑した表情を浮かべている。団長の妻を決める審査に巻き込まれるとは思ってもいなかっただろう。


「時間は2時間。食材は自由に使っていいわよ~」


 パールヴァティは困ったような表情で食材庫を見回している。


「やれやれ、知識はあるけど実際に作るのは初めてなんだよな……」


 しかし、手を動かし始めた瞬間、その動きが変わった。まるで何かに導かれるように、流れるような動作で食材を選び始める。


「へぇ、体が勝手に動く……これが『完全調理』の効果か」


 包丁を手に取ると、信じられない速度で野菜を切り始めた。玉ねぎは涙一つ流さずに、均等な薄さでスライスされていく。人参は正確な5mm角のダイスカット。セロリは繊維を完璧に断ち切る角度で。


「おいおい、あの包丁さばき……」


 見学していた料理人たちが息を呑む。まるで高速再生されているかのような動きだが、一つ一つの動作は恐ろしく正確だった。


 一方、私は落ち着いて献立を考えていた。今日の晩ごはん。チココは午前中から会議続きで疲れているはず。そして何より、姑が来ているのだから、少しは豪華にしないと。でも、メリルの好みも考慮しなければ。


(確か、お義母様は濃い味付けが苦手だったわね。戦場生活が長かったから、シンプルな味を好む傾向がある)


 300年の付き合いで学んだ知識を総動員する。


---


 調理が始まって30分後、厨房には二つの異なる光景が広がっていた。


 パールヴァティの調理台では、まるで魔法のような光景が繰り広げられている。


「なんだあれは……」


 フライパンを振る動作は、まるで剣術の達人のよう。炎の加減を一瞬で見極め、食材が最適なタイミングで返される。しかも、同時に3つのフライパンを操っている。


「温度管理が完璧だ……肉の表面温度、中心温度、全てを把握してる」


 ある料理人が震え声で呟く。


 オーブンのタイマーが鳴る0.5秒前に、パールヴァティは振り返って扉を開けた。中から出てきたローストビーフは、表面が美しい焼き色で、肉汁が閉じ込められている。


「休ませる時間も計算済みか……」


 切り分けると、断面は完璧なロゼ色のグラデーション。まるで教科書に載せるための見本のようだ。


 一方、私の調理台はもっと人間的な光景だった。


 小さなカーバンクルの体では、通常の調理器具が使いづらい。でも、それを魔法で補いながら、一つ一つ丁寧に作業を進める。


(メリルさんは、昔から牛肉の赤ワイン煮込みが好きだったはず。でも、ワインは控えめに。チココの好きなきのこも入れて……)


 鍋の中で、じっくりと煮込まれる牛肉。時々味見をしながら、塩加減を調整する。これは機械的な完璧さではなく、食べる人の顔を思い浮かべながらの調理だ。


 1時間経過。パールヴァティの調理台には、次々と完成品が並んでいく。


 黄金色に輝くコンソメスープは、一点の濁りもない。浮き上がる油脂を完璧に取り除き、澄み切った琥珀色をしている。


「卵白を使った清澄法を、あんな短時間で……」


 真鯛のポワレは、皮目が均等にパリパリで、身の厚い部分と薄い部分で火入れを変えている。ソースは5種類のハーブを使った複雑な味わい。


 トリュフのリゾットは、米の一粒一粒がアルデンテで、トリュフの香りが鼻腔をくすぐる。


「全部メインディッシュ級じゃないか……」


 誰かがつぶやいた。確かに、どの料理も単品で見れば芸術品だった。


---


 2時間後、審査の時間がやってきた。


 まず、パールヴァティの料理が運ばれる。


「おお……」


 騎士団員たちから感嘆の声が上がる。テーブルに並べられた料理は、まるで宝石箱のようだった。


「では、いただきます」


 チココが最初にコンソメスープを口にする。


「……確かに、技術的には完璧だ。雑味が一切ない」


 しかし、次に真鯛のポワレを食べた時、チココの眉がかすかに動いた。


「ソースが……濃い」


 確かに、5種類のハーブを使ったソースは複雑で深い味わいだが、その分重たい。


 ローストビーフも同様だった。完璧な火入れ、完璧な味付け。だが、添えられたソースはやはり濃厚。


「これ、全部食べたら……」


 若い騎士が青い顔をしている。


 トリュフのリゾット、フォアグラのテリーヌ、伊勢海老のグラタン。どれも最高級の食材を、最高の技術で調理している。しかし……


「なんというか、オーケストラの全員がフォルテで演奏してるみたいな……」


 ベテラン騎士が的確な例えをした。


「一品一品は素晴らしいんですが、全体で見ると……」


「胃がもたれる」


 別の騎士が正直に言った。


「コンソメの後にフォアグラ、その後にトリュフ……舌が疲れちゃいました」


 パールヴァティが頭を抱える。


「やれやれ、『完全調理』は一品ごとの完成度しか考えないのか」


 続いて、私の料理が運ばれた。


「ムウナのはちゃんとコース料理になってるね」


 チココが感心したように頷く。


 まず、季節の野菜サラダ。ドレッシングは酸味を効かせて、口の中をさっぱりとリセットする。


「ああ、これなら次の料理が楽しみになる」


 かぼちゃのポタージュは、生クリームを控えめにしたことで、かぼちゃ本来の甘みが際立つ。


「優しい味だ……」


 メインの牛肉の赤ワイン煮込みは、箸で切れるほど柔らかい。しかし、ワインは控えめで、肉の旨味が前面に出ている。


「これ、母さんの好みを考えて作ったんだね?」


 チココが微笑む。確かに、メリルも美味しそうに食べている。


 鮭のムニエルは、レモンバターソースでさっぱりと。重たいメインの後でも、するすると食べられる。


 きのこの炊き込みご飯は、出汁の香りが食欲をそそる。


「デザートまで完食できました!」


 騎士団員たちが満足そうに席を立つ。


 チココが立ち上がった。


「結果は明白だと思う。パールヴァティの料理は、確かに一品一品は完璧だった。でも、晩ごはんはコンテストじゃない。食べる人のことを考えた食事なんだ」


 チココは私の方を向いて微笑んだ。


「ムウナの勝ちだ」


「うわーん! 私の玉の輿生活がぁ!」


 突然、パールヴァティが大声で泣き始めた。


「騎士団長の奥さんになれば、一生安泰だと思ったのに~! もう働きたくないのに~!」


 あまりの本音に、全員が唖然とする。


「やれやれ、本性が出ちゃったな」


 次の瞬間、パールヴァティはケロッとした表情に戻る。


「まあ、最初から無理だと思ってたけどね」


「ええ~! パールちゃんまで諦めちゃうの~?」


 メリルが頬を膨らませる。


「300年かけて学んだことを、指先一つで与えられるなんて羨ましいわ」


 私は静かに言った。


「でも、家族の食卓の温かさまでは、コピーできないみたいね」


「むぅ~、でもまだ諦めないから~!」


 メリルが何か言いかけた瞬間、チココが魔法を発動させた。


 キラキラと光る魔法の鎖が、メリルとパールヴァティを椅子に縛り付ける。


「はい、恒例行事の時間だよ」


「ちょ、ちょっとチョコちゃん!」


「やれやれ、巻き込まれた」


 チココは慣れた手つきで、部屋の装飾を魔法で変えていく。白い花が咲き乱れ、鐘の音が響き始めた。


「さあ、ムウナ」


 チココが純白のウェディングドレスを取り出す。


「ああ、また……」


 私はため息をつきながら、小さな体でドレスに着替える。


 ウェディングドレスを初めて着れた時と、この姿になった時の2回目まではうれしかった。でも、毎年のように着てたら流石に飽きる。


「母さんが来るたびにこれをやらないと、後が面倒なんだ」


 チココも礼服に着替えながら苦笑いする。


「チョコちゃん~! 私は認めないから~!」


 椅子に縛られたメリルが騒いでいる。


 模擬結婚式が始まった。オルガンの音楽が流れ、騎士団員たちが列席者として並ぶ。皆、慣れたもので、粛々と式を進めていく。


「永遠の愛を誓いますか?」


「誓います」


 もう何度目かわからない誓いの言葉。でも、チココの瞳に映る愛情は、300年前と変わらない。


 それだけで、この茶番にも付き合える。


 姑との戦いは、まだまだ続きそうだった。

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