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第1話 朝食と過去と今の私

## 第1話 朝食と過去と今の私


「むーー、朝からイチャイチャしないでよ。人の家の食卓で...」


 私、ムウナは小さなカーバンクルの体で抗議の声を上げた。目の前では、よりによって我が家の食卓で、クルーシブとエリアナが相変わらずの痴話喧嘩もとい、のろけを繰り広げている。


「あーん」


 クルーシブが差し出したフォークに、エリアナが嬉しそうに口を開ける。その料理、私の夫が作ったものなんですけど!


「チココ様の料理は世界一だな」


 エリアナは満面の笑みを浮かべながら、夫の顔を見つめている。


「はぁ、ちょっと前までは私と夫、チココもあんなにラブラブだったのに...」


 小さくため息をつきながら、私は朝食のパンをかじる。ふわふわの生地に、チココ特製のジャムが絶妙にマッチしている。美味しい。悔しいけど、本当に美味しい。


 ふと、昔のことを思い出した。


 私がまだ人間だった頃。ムウナという名前しか持たない、ただの病弱な少女だった頃のこと。


---


 生まれた時から、私の世界は暗闇だった。


 目は見えず、体は弱く、ベッドから起き上がることすらままならない。村の片隅にある粗末な小屋で、私は生かされていた。生きていた、ではない。生かされていた、が正しい。


 両親からの虐待は日常茶飯事だった。


「また飯を残しやがって! もったいないだろうが!」


 父の怒鳴り声と共に、頬に痛みが走る。見えなくても分かる。また殴られたのだと。


「こんな役立たずを育てるのに、どれだけ金がかかってると思ってるんだ!」


 母の甲高い声が耳を劈く。私は声を殺して泣いた。声を出せば、もっとひどい目に遭うから。


 でも、不思議なことに、私は死ななかった。


 誰かが、名前も知らない誰かが、こっそりと食べ物を置いていってくれた。水を飲ませてくれた。傷の手当てをしてくれた。昼間は私を迫害する村人たちの中に、夜になると良心に耐えかねて助けてくれる人がいたのだ。


 そんな日々が、十数年続いた。


 そして、あの日が来た。


「チココ様、村を襲うアノマリーを退治してくだされ。料金は払えませんが、村一番の美女をお渡しします」


 村長の声が聞こえた。珍しく、私の小屋の近くから。


 村一番の美女? 誰のことだろう。私には関係のない話だと思っていた。


 ところが。


「ムウナ...ごめんなさい...チココ様は素晴らしい人よ。何も見えなくてもチココ様が守ってくれる」


 普段は私を罵倒する女性の声が、妙に優しく響いた。その瞬間、全てを理解した。


 私が、村一番の美女として差し出されるのだと。


 笑いそうになった。目も見えず、ろくに動けもしない病弱な私が、美女? ただの厄介払いじゃないか。使い捨ての、それこそ性玩具のように。


 でも、私は抵抗しなかった。


 できなかった、が正しいかもしれない。でも、それ以上に、私を生かしてくれた名もなき人々への恩返しがしたかった。こんな私でも、村を救う役に立てるなら。


 花嫁衣装を着せられ、化粧を施され、私は騎士団長の前に差し出された。


「大切に育ててくれた両親をなくして言葉を失いましたが、純粋無垢で優しい子です。チココ様は権力にまみれた女性たちには飽きられたと聞きます。本日はこの子でお楽しみください」


 村長の白々しい嘘に、吐き気がした。大切に育てた? 両親をなくした? 全部嘘だ。でも、私は何も言えなかった。言葉を失った振りをするしかなかった。


「はぁ...好きにしていいの? 頭の中見るから言葉を思い浮かべて。嘘は通用しないよ。綺麗事ばかりの貴族にはうんざりなんだ...」


 疲れたような、でもどこか優しい声が聞こえた。これが、チココ様の声。


 頭の中を見る? そんなことができるの?


 でも、私には隠すことなんて何もなかった。


『はい...両親からは虐待されて育ちました。村長たちからはゴミを見る目で迫害されました。ですが、こんな私が生きてこれたのは、名前も知らない良心を持った人たちのおかげです。彼らは...普段は私を迫害しましたが...私を今日まで生かしてくれました。私の体と引き換えに村を助けてください。恩返しがしたいです』


 心の中で、正直に語った。


 しばらくの沈黙の後。


「この子は好きにしていいんだなぁ?」


 チココ様の声に、村長が嬉しそうに答える。


「はい!!」


 次の瞬間、優しく腕を掴まれた。そして、手の甲に柔らかい感触。唇?


「ムウナさん、僕と結婚してください。あなたのような献身的な人は見たことがない。心の底から信頼できる人だ」


 予想外の言葉に、私は固まった。


 結婚? 好きにしていい、というのは、そういう意味だったの?


---


 その後のことは、今でも鮮明に覚えている。


 チココは約束通りアノマリーを退治し、私を妻として騎士団に連れて帰った。初めての温かいベッド、美味しい食事、優しい看護。人間らしい生活というものを、私は初めて知った。


 でも、幸せは長くは続かなかった。


 流産。


 チココとの子供を身籠ったものの、私の弱い体は出産に耐えられなかった。意識が遠のく中、最後に聞こえたのはチココの泣き声だった。


 そして、目が覚めたら。


 私は生きていた。ただし、人間としてではなく。


 ペットとして飼っていたカーバンクルのむーたんの体に、私の魂が入っていた。目は見えるようになり、体も動く。でも、この小さな獣の体では、子供を産むことはできない。


 チココは何も言わなかった。ただ、以前と変わらず優しく接してくれた。


 でも、私には分かっていた。


 彼の目に映る私は、今でも「弱いムウナ」のままだと。


 だから私は努力した。


 身分を隠して呪術士ギルドで成り上がり、死霊術を極めて魔法ギルド連合のグランドマスターの一人になった。事業を始めて成功し、世界有数の大企業の取締役にもなった。この国の金の流れの一部は、私が操っている。


 それでも。


 チココにとって私は、今でも「守るべき弱い存在」でしかない。


 特に料理に関しては、その扱いが顕著だ。


 私がキッチンに近づくだけで大喧嘩になる。食材への冒涜だと本気で怒る。私の料理の腕前を「まあまあ」としか評価しない。


 確かに、チココの料理の腕前は神業だ。0.05mmの誤差まで見抜く完璧主義者。でも、私だって頑張っているのに。


「ムウナ、食べるの遅いよ。冷めちゃうよ」


 チココの声で、私は現実に引き戻された。


「あ、ごめん。ちょっと昔のこと思い出してて」


「昔のこと?」


「なんでもない」


 私は慌ててパンを頬張る。


 エリアナとクルーシブは相変わらずいちゃついているし、チココは私を子供扱いするし。


 でも、この賑やかな朝食も、悪くない。


 あの恐ろしい事件で、多くの人が死んだ。でも、こうしてまた集まることができた。


 いつか、私もチココに認められる日が来るだろうか。


 一人前の妻として、対等なパートナーとして。


 その日まで、私は諦めない。


 魔法技術なら私の方が上だし、ビジネスでも彼以上の成果を上げている。でも、私の夫、チココはそんなことで私を評価したりしない。


 だって、私は死霊術士で、夫は防御と回復魔法特化の聖騎士なんだ。役割が違うから比べること自体が頓珍漢なことだ。


 ビジネスだって、夫は経済を守るために必要以上に稼ごうとしていないだけなんだ。アノマリーが蔓延る世界で最大最強の騎士団の騎士団長をやっていて、この国の実質的な統治者になっている。稼ごうと思えば、すぐにでもこの世の富をかき集められるだろう。


 同じ土俵で戦えることで挑まないといけない。


 夫が一番力を入れている料理で打ち負かさないといけないんだ。


 まずは、この料理の腕を磨くことから始めよう。


 チココを「むぐぐ...」と唸らせるような、完璧な料理を作ってやる。


 そう心に誓いながら、私は今日も小さな体で大きな野望を抱くのだった。

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