よちよち歩きな未来予知
『良いかヨオボンドウ、自分の未来だけは見るでないぞ。そして予知は全容を伝えず、有耶無耶に伝えなさい』
師の言葉がどれだけ私の心に刺さったかというと、子供の頃に母が中指に刺さった木のトゲは心臓まで届いちゃうぞと色気付いて浅知恵を披露してきた時くらい刺さった。特に何が刺さったかを語ることはないが、私にとって母は一生をかけて守りたいと思える存在だった。
母は私を拾った。
「あれから十二年経つが、私には今でも母を守りたい気持ちが残っていて、この感情の行き先を探している」隻眼と黒ずんだ眼は今にも消えそうな島を見つめていた。
「じゃあ私と結婚してくださいよ」
クレイユは覗き込んだ。黄土色の髪が風に引かれて青い瞳に刺さりそうになる。彼らは崖にいて、躓いてしまえば耐え踏ん張ることなく落下してしまうほど縁にいた。彼女は波打ち際に打ち上がった潮の中に虹を探していた。いつも曇りだ、天気も、心も。
「君の未来は幸せな家庭を築いているよ」
「もー嘘つき。私の未来なんて見てくれないくせに」
ヨオボンドウはクレイユの未来を見たことがなかった。
「行きましょう、依頼は先の納屋の住人です」
海岸から離れて、山奥に突き進むと小さな納屋と大きな家があった。家の明かりは点いておらず蜘蛛の巣と、幾重にも重なったツタが中身を隠すように窓に張り付いている。納屋は比較的に綺麗だった。中から打撲音がした。
「すみません、ユカッタさんですか」
「おお来たか、そこに座れや」彼は床を指さした。
ユカッタは袖の内服に腕を通していた。ほつれた糸をひとつ引けば跡形もなくなってしまいそうなほどズタボロであった。髪はいつから洗っていないのだろうか、クレイユは鼻をつまみ、ヨオボンドウは手ぬぐいを差し出した。
「早速以来だが、隣の家に何がいるか見てくれ」
「はい? 何かいるんですか」
「何かいるかもしれない、何もいないかもしれない」
「ねえ、適当なこというなら帰るけど?」鼻がこもった声のクレイユは突っ立ったまま怪訝な表情に眉を歪めた。
「つってもな、俺も分からないんだ」
「整理して聞きましょう、少々お待ちください」
ヨオボンドウは手持ちのカバンから書物を二冊、筆記具、白紙、水晶を地べたに広げた。定位置がある。右手に魔廻輪導七版、左手に筆記具を持ち、背に水晶玉を置いた。白紙を手前に広げ、もうひとつの書物、母の形見は膝の上に。
「お話をお願いします」
「おお、まず……」ユカッタは語る。「俺は先月まで隣の家に住んでた。だが晴れた日に雨が降って小石が窓にぶつかり、暖炉の火が勝手についたりと不可思議なことが一日にして起こった。俺は怖くて逃げ出したんだ」
「え、それでこの納屋に住んでんの?」
「お嬢ちゃんにしちゃ笑い事かもしれねえが、俺は極度のビビりなんだ。怖くて夜も眠れない、お陰様でここから一歩も出られない」
「それで魔送伝言をお使いに」
「ああ、どうだ、何かわかるか?」
ヨオボンドウは書物のページをめくると、それを見ながら白紙の紙に意味を与え始めた。クレイユから見てそのページには何も書いていなかったが、超越者のヨオボンドウにしか分からないものがあるのだろうと周囲を警戒した。
「見えました」
ヨオボンドウは未来を見た。それは彼、ユカッタが釣りに行き、納屋で魚を二匹捌いて食したことをきっかけに家の鍵を開け何事もなく家で暮らす未来。
「大丈夫そうです、では」
「おいおいおい、何が大丈夫なんだよ!」
「こちらにも都合があるので、未来を伝えることは出来ません。でも伝えないことが大切で、それがあなたの望む未来であることをお伝えします」
「おお、そうか。ならいいや」
「いいんかいっ」クレイユは顔の緊張がほぐれた。
「でもこれだけ教えてくれ、俺は幸せそうか?」
「そういうことを聞いてくる方は非常に多いですよ、幸せでしょう、不幸なら伝えない」
納屋には三人がいた足跡が残った。
「なんだったんですかね」
帰路に着く二人、ヨオボンドウの少し後ろをクレイユが歩いた。砂に足跡が刻まれる、時間が経過する。
「典型的な思い込みだろう。晴れでも雨が降る日はあるし、風が強いから小石が飛んできて窓にぶつかって、暖炉の火は着けたの忘れただけ」
「たまに辛辣ですよね師匠って」
「そういえば、約束。しようか」
クレイユの頬が火照る。
「……はい、師匠」
ヨオボンドウはクレイユの未来をみる、初めて。
「未来は他人にこと細かく伝えてはいけない。僕の師からいわれたことだが、それは未来を知った人間が取る行動が未来をなぞるからだと思っている」
「それがまずいんですか?」
「全く同じことを繰り返しても全く同じにならないんだ。例えばゴミを投げ捨てる動作は、入った結果だけを見れば同じことだが、軌道、筋肉の動き方、風の吹き方から全く同じ条件にならない」
「だいたい一緒ですよ」
「それがダメなんだろうな。未来は未来通りでないといけない。未来を知って未来をなぞる時に、普段気にしていなかった行動を意図して行う時に細胞のひとつも同じでないと未来をなぞるとはいえない。全く同じことはできないんだ、だから詳細を伝えて、改変がかかるかもしれない行動を意識的に取る事で違いが生まれてしまう」
クレイユは聞き入った。ヨオボンドウが覇気のない表情をしていたからだ。彼は母のことを思い出していたのだろう。
昔、未来予知を発言した時に恩返しをしようと母を占ったことがあった。それが嬉しくて、見事に次の行動を当てて、それが楽しくて、いつしか母はヨオボンドウの思い通りに生きるようになって、考えて生きることが出来なくなった。母はヨオボンドウが、包丁で指を切るから気をつけた方がいい、と伝えたことで指を切り落とし、気が動転して手を離した包丁が、膝から崩れ落ちるのを待っていたかのように胸部に刺さって亡くなった。実母だった。
師と出会ったのはその後だった。
ヨオボンドウは拾われた。
再起を誓い、彼女を本物の母と思い込んで過ごした。母と呼べる人は、優しかった。二度と未来を伝えないと決めた、二度と未来を予知しないと決めた。母とヨオボンドウの背丈が並んだ頃、発病により帰らぬ人となった。
「未来は伝えない、だけど見る。クレイユ、君の未来がどうであろうと」
「はい」
儀式の中、強く風の吹く音がした。
「幸せに暮らしてるよ」
「……そこに師匠はいますか?」
「教えない」
ヨオボンドウは今を噛み締めた。クレイユは先を待ち遠しく胸躍らせた。
ユカッタは釣りに行き、二匹の魚を釣って夕方に帰宅した。いつも通りを思い出してドアノブに手をかけて回したが入るのを辞めた。外から見た部屋の中は暗かった。先に納屋で魚を捌いて食した。落ち着きを取り戻して、部屋の中に入った。電気がついた。生臭い、部屋が汚臭で満ちていた。魚を食べたが、その匂いではない気がして屋内を見渡したが単に部屋を掃除していなかったからだろうと放っておいた。ユカッタは何事もなく家で過ごそうとソファに向かった。
シルクに沈むのは一月ぶりだと腰がうずいて、立ち止まった。
「あれ……幸せってなんだっけ」
ユカッタの背後に人影が現れた。
「人殺しが、幸せなんて望むなよ」
血が伝う。ユカッタは下を向くと刃物が突き出ていた。
未来が変わる。