レンタル聖女
「お前との婚約を破棄する」
先ほどまでの彼の怒声で集まった周囲の視線。
重大発表ということで集められた人たちのざわめきが大広間にこだました。
「皆、きいてくれ」
領主の息子である彼、ルスカスが手を上げると静まった。
「もう一度言おう。私とマーガレットの婚約を破棄する」
皆が沈黙する中、私、マーガレット・イズミ・クロセルは婚約者から切り捨てられた。
「……本気ですか?」
この茶番が少しでも早く終わらないものかという思いが頭によぎる。
だが表情に出すわけにはいかない。
何せこの日のために三ヶ月も前準備をしたのだから。
笑うのはこの寸劇が終わってからでいい。
こみ上げてくるそんな感情を理性で抑えながら務めて冷静に声をかける。
「お待ちくださいルスカス様、それはいくらなんでも……」
そういって彼のおろしているほうの手にそっと手を添える薄桃色の髪をした聖女。
あの子は全身の動きと表情で驚きを表現していた。
そんな彼女に目を移した彼は険しかった表情を一変させた。
「本当に優しいな、君は」
「優しくなどありません、ごく普通のことを言ってるだけです」
そういって上目遣いに懇願する彼女の胸元に視線を下げ鼻の下を伸ばした。
そんな彼に満面の笑みを見せながら聖女である彼女、リリーナは憐憫を誘うような声音と表情で懇願を続ける。
「ルスカス様、マーガレット様はこの都市と貴方に必要な方です」
「あぁ、優しいリリーナ。あれだけ虐められていたというのに君はまだその女をかばうのだな」
「ですからルスカスさまのご覧になりましたあれらは事故です」
本当に念入りにやってくれる。
ここにいる多くの人にとって私、マーガレットはリリーナに陰湿な虐めをしていた加害者だ。
実際、その事象のほとんどが事故……というよりむしろリリーナの自作自演なわけだけれどもそれを証明することは厳しい。
リリーナはこれまで他人の手を借りずに私を加害者にしたてあげてきた。
衣装の汚濁から始まって食事への毒物混入、ベランダからの突き落とし果ては仕事の不始末も私がリリーナにかぶせたと思われている。
正直いってここまで徹底するとは思わなかった。
むしろあれだけのことをしておきながら全く足がつかず私が害したという結果だけが残っていることに戦慄すら覚えるほどだ。
さすがは一部では悪名高いカリス教の元聖女といったとこか。
そんなことを考えていると自然に笑みがこぼれそうになる。
だめだ、ここで笑うわけにはいかない。
「貴様、何か言いたそうだなっ!」
止めるリリーナの手を振りほどいて再び手を振り上げた彼が私に触れそうになったその時。
「お待ちくださいっ!」
間に割って入ったリリーナに彼の手がかすった。
瞬間、まるで全力で突き飛ばされたかのようなモーションを伴い床に倒れたリリーナ。
「いや、こっ、これ、これはっ」
ゆっくりと頭を上げるリリーナの心底楽しそうな表情は近くにいた私にしか見えなかっただろう。
むしろこれは私にだけ見せたのかもしれない。
一瞬で表情を切り替えたリリーナは大きな瞳からぽろぽろと涙をこぼしながら床を抑えてない方の手を胸元に握りしめてこう言った。
「申し訳ございません。すべて私が悪いのです」
実際のところ本当にリリーナが悪いのだから始末に悪い。
さっきの接触、即転倒は私もさんざんやられた手口だ。
「ルスカス様は悪くありません」
この聖女は驚くほど人の心や台詞を先読みしてくる。
おそらくはリリーナが持つ何らかの能力なのだろう。
「マーガレット様、申し訳ありません」
震える声で表現された精いっぱいの謝罪。
この全てが演技であることを私は知っている。
初期のころ、手に感触は全くないのに倒れられて私も動揺した。
だが、慣れた後はかすったら飛ぶ生き物だと割り切ることにした。
「ルスカス様、先ほどの件、ご再考いただけませんか」
ここで畳みかけるように情を利用して私の処遇についてつついてくるあたりに感心する。
一見すると他の都市領主の娘である私や、この都市の領主の息子であるルスカスとの身分の差を考えての申し出のように見えるが違う。
これは私に一切しゃべらせずにルスカスの裁定を仰ぎ処遇を決着させるためのアドリブだ。
私はドラティリアで演技をかじったことがあるので視線の動きや声音の動かし方でわかるけどそうじゃない人にはわからないだろう。
動揺した表情のまま私に視線を動かしたルスカスに私は努めて冷静な表情で相対する。
感情を見せるな、最後まで演じきれ。
「マーガレット」
「はい」
「今からでも反省してリリーナに詫びる気はないか」
私が悪くないことをどう謝れと。
「ありません」
「そうか。ならば今この時点を持って婚約を破棄する」
「仰せのままに」
そう言い捨てた彼に私は一礼すると出口の方を向いた。
まだ笑うな。
笑うのは都市を出て十分に離れてからでいい。
「お待ちください、マーガレット様っ!」
リリーナのする迫真の演技に後ろ髪を引かれた。
偽装だとわかっていても心揺さぶられるってのはすごいわ。
「貴方がいなくなったらこの都市は滅びます、ですからどうか」
とっくに分かっていたのにもかかわらず立ち去ることに罪悪感を掻き立てられる。
そんな私の未練を打ち消すような冷たいルスカスの声が背後から浴びせられた。
「私の都市にマーガレットのような醜悪な女は必要ない」
「……はい」
「さっさと出ていけっ!」
言い捨てたルスカスの声にリリーナがすすり泣く声が絡み合う。
「承知いたしました」
ルスカスが呼びつけた息のかかった証人たちがざわめき始める。
振り返った私は儀礼にのっとり皆に挨拶をする。
「それでは皆様、ごきげんよう」
感情、最後まで抑えられてたかしら。
*
誰もいない自室に入ると私は深く息を吐いた。
「はぁ、疲れた」
そのままベットに倒れこみたかったがそうもいかない。
あの子が戻ってくるまではそう時間はかからないだろう。
ふと視線を窓外へ向けるといつの間にか雨が降っているのが見えた。
ドアに響くノックの音。
「どうぞ」
入ってきたのは私付きの最後のメイド、ロリナだった。
「すみません、遅くなりました」
「大丈夫、十分早いわよ。あいつしつこかったんじゃないの?」
「ええ、それはもう」
苦笑しながら笑いかけてくるロリナは人好きのする可愛らしい笑顔とともに手際よく私の服を脱がしてくれる。
「お着替えはこちらでございます」
「ありがとう。普通の服なら着るくらいは自分でできるからロリナは他の片づけをお願い」
「はーい、了解です」
おおよそ主従関係にはふさわしくない立ち振る舞いだが、それで良いといったのは私だし飾り気のないロリナの笑顔や振る舞いが花を添えてくれる。
先ほどのリリーナが可憐な百合の花だとすればロリナは岩陰に小さく咲くホトトギスのようだ。
そんなロリナの顔を見てるとつい言いたくなることがある。
「ほんと、あなたさっきのアレと同一人物に見えないわよ」
「よく言われます」
近くによってつぶさに観察すれば顔の造形や輪郭などにいくつか共通点があるのだが、二重と一重の差や目と肌と髪の色の違い、何より雰囲気がまるで違うことに毎度驚かされる。
「顔、やっぱり違うわよね」
「目と鼻と耳と色はいじってます。でもこのくらいならお化粧でもごまかせるレベルですよ」
そこまで変えられると後は唇ぐらいしか残ってないし。
もし唇だけで同一人物と分かったらそれはそれで変態じみてる気がする。
「……耳の形は普通変わらないと思うわ。どうやってるの、それ」
私がそう苦笑するとロリナが口元に人さし指を当てて小さく笑った。
「秘密です」
「まぁ、いいけど」
この子が来てから驚かされることしきりだったが大体はこの「秘密」でごまかされてしまっている。
裏ルート経由でこの訳あり聖女をレンタルしてくれたドラティリア星協ならではの何かノウハウがあるのだろう。
「今はまだ部屋全体に遮音と認証疎外を張ってるからいいですけど外に出るときには漏らしちゃダメですからね、マーガレット様」
「もちろんよ」
というか不思議な力を使いこなすこの子を期間限定の聖女役として雇ったのは他ならぬ私自身だ。
結果が出るならこの子が聖女で問題がないような気もするけど、そこまで便利な力というわけでもないらしい。
「これでこの都市ともようやくサヨナラね」
「そうですね」
逃げたいと思ったことはあったけれども逃げられるとは思ってなかった。
この子を借りてまで私がやったこと。
それは追放という体裁をとったこの都市のからの脱出。
私の関係者や見どころがある従業員やまともな領民はこの三ヶ月の間に全員他都市に退避させた。
能力が足りないとか行き場所がない人も可能な範囲でロリナに頼んで助けてある。
そこまでやった理由は簡単、この先この都市に残っていたら確実に死ぬからだ。
レンタル費に上乗せはされたし偽善というのは承知の上でやりたいからやった、ただそれだけだ。
とはいえ私の一存で他人の命の選別をしたことには変わらない。
我ながら最低だなとも思う。
そんな私の表情を読んだのかロリナが少し見上げる形で私の顔を覗き込んできた。
「マーガレット様、悪いのはあのカスとそれを唆した悪い聖女、リリーナです。ぜーんぶあいつらのせい、そうですよね」
笑顔の圧が強い。
あとカスではなくルスカスなんだけど。
「そう……かもね。というかあなたがそれを言う?」
そう、このメイドは先ほどまで私を貶め続けていたリリーナと同一人物、というか張本人なのである。
「私の仕事はあのカスどもの引きつけと住民を含めた都市の清算ですから」
「怖いわね。さすがは元カリス教の愛の聖女というべきなのかしら」
そこそこの規模があった都市、ラルカンシェルと周辺都市一帯を一晩で水没させたという愛を語る伝説級の偽聖女。
その実態と名前、容姿は世界の守護者であり冒険者ギルドを運営する赤龍機構によって厳重に隠匿されている。
私も実際に会うまでは都市伝説の類かと思ってたくらいだ。
だがこうしてあってみるとわかる。
この子は猛毒の類、しかも甘い毒だ。
「追放劇は都市を離れて追っ手を巻き終わるまでが演目です。都市を出たらもう一度偽装しますから出るまではきちんと領主のバカ息子の元婚約者をしてなきゃだめですよ」
「言われなくてもわかってるわ。ところでこの後、打ち合わせどおりならロリナは私についてくるのよね」
「はい」
はいと簡単に言うけどまだ聞いていないことがある。
「リリーナの方はどうするの?」
あれだけ執心していた女が不意に消えたら必死になって探すだろう。
「大丈夫です。これまでも具合が悪いときは部屋に引きこもってましたから」
それは具合じゃなくて都合なのではないだろうか。
「あの人、アレの処理に侍らせてるので、多分今頃新しいやり方でも試してますね」
「……その子は気の毒ではないの?」
「複数人の相手を都合よく使い分けて最後はカスの子供に仕立てるつもりで仕込んでる奴ですよ」
「類は友を呼ぶとは言うけれど、その関係は少なくとも友ではないわね」
「悪辣と無邪気は実は親友なんですよ。悪逆無道というじゃないですか」
「知らないわよ、そんなテラのことわざ。非道じゃなくて?」
「似た意味です」
さすがは元カリス教徒、無駄に異世界のことわざを使う。
そうこうしているうちに部屋の中はすっかり空になっていた。
「マーガレット様の私物は私の方で全部収納しました。安全な都市についたら伝手を使って換金します」
「わかったわ。どうせそこからの支払いになるわけだし今回のレンタル費は先に天引きしちゃってくれる?」
「わかりました。明細もその時にお渡ししますね」
「たすかるわ」
三ヶ月分、しかも裏料金だから結構な額になったとはおもうけどこの部屋にあった私物を全部売り払えば足りるはずだ。
「私がちょろまかすとかはおもわないんですか?」
「思わなくもないけどそれでもいいわ。苦労かけたもの、手間賃よ」
私が素直に答えるとロリナが困ったように微笑した。
「ほんと素直すぎなんですよ。私が今すぐ裏切って突き出したり預かったものを全部持って逃げたりしたらどうするつもりなんですか」
どうするといわれてもねぇ。
「どうにもならないわ。文字通り裸一貫、だめなら死ぬしだめじゃなかったら生きるわ。それだけでしょ」
私がそういうとロリナが笑みを深くした。
「そういうとこがマーガレット様はやっぱり似てます」
それって何度か聞いたロリナの恋人とだろうか。
「たしかアイリさんだったかしら、あなたの恋人」
私がそういうとロリナが目を丸くした。
「よく覚えてましたね。それと恋人じゃなくて……ってもー、言わせないでくださいよ」
そういってくねくねと身をよじらせるロリナを見ているといろんなことがどうでもよくなってくる。
大体、私より年下に見えるこの子にがっつりと恋人がいるのに私にはいないというか選びようがなかったというか。
「その若さでそこまで親密な恋人って良く作れたわね」
「あれ、言ってませんでしたっけ。私、マーガレット様の二倍以上は生きてますよ」
「えっ?」
私、今、十四なんだけど。
その二倍以上って……
「それってアラサ……」
言いかけた私の唇にロリナの指が重ねられた。
「秘密です」
「……噂に聞く上位存在とか不老なナニカなの?」
「そんなわけないじゃないですか。ただの愛に生きる乙女ですよ」
乙女、そうね。
私たちの世界だと年取ってから子供つくるのも珍しくないし。
テラじゃそうでもないらしいけど。
それに女はいくつになっても乙女よね。
「普通に人間だったのね、あなた」
そこで微笑まないでほしい。
「他で言ったら処しますよ」
若作りにもほどがあるだろ。
肌もきれいだしプロポーションもいいし。
えっ、なに、これがテラで言われてたという美魔女ってやつなの?
「言えないわよ」
奴が気の毒で。
初めてあいつに同情したわ。
超美少女だと思ってあれやこれや言ったりやったりしてた元婚約者の数多のエピソードが脳裏を駆け巡る。
これだけ才があって可愛ければ年なんて関係ないと思うのだけどがっつり年下好きの奴はそうは思わないだろう。
うん、迷惑ばかりかけられた私でもこれについてだけは奴に同情してもいいと思う。
おいたわしや、ルスカス様。
そのまま最後までいってね。
グッパイ、ルスカス。
いい夢見れたわね。
*
喧騒に満たされた酒場の一席。
二人は部屋の端に近い場所に座っていた。
「お疲れ様でした、マーガレット様」
「もうお仕事終わったんだから様じゃなくてもいいでしょ、リリーナさん」
「それもそうですね。でしたらそちらも敬称なしでお願いします」
「わかったわ、リリーナ。それじゃ」
ドヴェルグガルド産の発泡酒の注がれた木製の容器を同時に持ち上げた二人。
「「乾杯」」
容器の端を当てた二人。
飲料物を喉へと流し込む。
口に含む程度で止めたリリーナに対して一気に飲み干したマーガレット。
「くはー、やっと終わったわー」
「いい飲みっぷりですね」
「そりゃそうよ。あのめんどくさい男からやっと解放されたんだもの」
「あー、まー、そうですね。口調もこっちが素ですか」
「そうよ」
「びっくりするくらいの落差ですね」
「うん、叔母さまに徹底的に叩き込まれたから」
躾をしたのが叔母であることにリリーナは以前から気がついていた。
だがそれを口にすることはなかった。
「そういえばマーガレットは未成年でしたっけ?」
「飲んだ後でそれ言う?……私の出身都市だと十歳で成人だから飲酒もOKなの」
「なるほど。ならもう領主になれるんですね」
婚約で他都市に転出したことにより消えていた都市領主の相続権が先方都合による婚約破棄とともにマーガレットに戻っていた。
「そーねー。でもまだお父様がお元気だから先だと思うわ」
テーブルに並んだ食事をつまみながら二人はたわいもない話を続けていく。
「この後はご実家に帰るんですか?」
「うん」
「温泉都市でしたっけ」
「そうよ。バービニューダスト、猫と温泉神が目玉の温泉都市」
「古いんですか?」
「そりゃまぁ伝説の七勇者の一人が作ったってことになってるし」
「すごいじゃないですか」
「そうでもない。ここ最近は都市に来る人も少なくなって寂れてく一方だったよ」
苦笑いを浮かべながら追加の酒を頼んだマーガレット。
「温泉にレア星神に猫なら冒険者が護衛する金持ちの巡回ツアーに組み込まれてそうですけど」
「昔はねー。ツアー客でいっぱいだった」
「今はそうじゃないんですか」
運ばれてきた酒を受け取ったマーガレットが酒に映る自分の顔を見つめながらポツリと呟く。
「十年前に大怪獣レビィアタンが大陸中央部で暴れたときの影響で泉質がかわっちゃったの」
「……………………」
視線を泳がせたリリーナに気が付かないままマーガレットが続ける。
「今だと塩化ナトリウム泉しか出なくてね。だから価格の安い海岸沿いの南方都市のすーぱーなんちゃら……」
「スーパー銭湯ですか?」
おおよそファンタジー世界にふさわしくない単語を返したリリーナにマーガレットが頷いた。
「うん。それにぼろ負け」
「料理とか風情とかでは勝てなかったんですか」
「無理。私が小さいころお父様がストリートフードとかゲームイベントとかペットと泊まれる温泉とかいろいろ試したけど」
「駄目だったんですね」
マーガレットが頷いた。
「カリス教にいる『銭湯』のトライが教えたらしいよ」
「異世界人が絡むとめんどくさいですからねー。特に権能絡みの時は」
「そうね。まー、それのおかげでうちも何度かつぶれかけるたびに持ち直してきたんだけど」
そういって自嘲するマーガレットをリリーナがじっと見つめる。
「たしか『裸一貫』のトライなんですよね、マーガレットのご先祖」
「そっ。なんでも数百年前の永血闘争の時には大活躍だったらしいわ」
「それ……聞いたことありますね」
頬を染めつつわずかに酒に口を付けたリリーナをちらりと見たマーガレットが皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そりゃ伝説にもなるでしょ。毎度戦場で全裸になってたんだから」
「全裸勇者の一族だったんですか、マーガレット」
「うん」
納得した様子のリリーナに対して頬をひきつらせたマーガレット。
「全裸勇者の都市……噂だと特殊な品とかを陳列した館とか特殊な劇場もあるとか?」
「ないないないないっ! 今はもうないからっ!」
「……昔はあったんですね」
「……うん」
会話が途切れしばし二人で黙って酒を口にしていると後ろから声がかけられた。
「まるで通夜みたいね」
「あっ、アイリっ!」
腰まで伸ばされた長い銀の髪に赤茶色の瞳。
魔導士の正衣装をまとったその女性にリリーナが抱き着く。
「もー、待ってたんですよ」
「悪いわね。少し遅くなったわ」
同じく立ち上がったマーガレットがお辞儀をする。
「初めまして、マーガレット・イズミ・クロセルです」
「アイリよ。リリーがお世話になったわね」
「いえ……助けられたのは私の方です。えっと場所変えましょうか?」
困った様子でそう聞いてきたマーガレットにアイリが首を横に振る。
「問題ないわ。指向性遮音はもうかけてあるから」
「さすがアイリ」
さらりと言ったアイリの言葉にマーガレットが目を丸くした。
「詠唱、なかったですよね?」
「事前準備した魔導なら無詠唱でも発動できるのよ」
「……さすが魔王」
アイリの艶やかな銀髪を見ながら魔導の熟練者としての異称をつぶやいたマーガレット。
「相席、いいかしら」
「あっ、はい」
アイリの良く言えばマイペース、悪く言えば空気の読めない勢いに押し切られたマーガレット。
リリーナを挟む形で三人は席に座る。
「リリーナ、ちょっといい?」
「なんです?」
隣に座っていたリリーナにそっと声をかけた。
「そのアイリさんっていつもこんな感じ?」
「そうですよ。わが道を行くって感じで素敵ですよねー」
そうかな、そうかも?
首をひねりながらもアイリに飲み物を聞いたマーガレットが追加の料理とともにアイリの分の酒を店員に頼み始めた。
店員と話し込んでいるマーガレットを見ながらアイリが小さく口を開いた。
「良い子ね」
「そうですね」
「都市が抱えた借金返済の目途を立てるための輿入れだったわね」
「はい」
「バービニューダストに戻るつもりなのね」
「はい、父親がポンコツなので姉妹や都市の人たちが心配なんだそうです」
「そう」
小さく語り合う二人をちらりとだけ見やったマーガレットが店員と話を終え再び席に戻った。
「すみません。おまたせしました」
「マーガレット、やっぱり今日の飲食代、割り勘で持ちますよ?」
「それはだめ、今日はリリーナにお礼をするってことでわざわざきてもらったんだから」
「ですけど……」
食い下がろうとするリリーナをアイリが手の動きだけで止める。
「私たちお金には困ってないわ。明日から給仕の手伝いも悪くないけど」
「うっ……聞いてたんですか」
「私をだれだと思ってるの」
アイリ、素敵と身をよじらせるリリーナに対して名前ぐらいしか知らないんですけどと小さくぼやいたマーガレット。
「文無しになるのはまだ早いわ。今日は素直に受けておきなさい」
「……はい」
小さくうなづいたマーガレット。
その後、しばらく三人で酒と食事をしながらの歓談が弾む。
やがてマーガレットの頬が完全に赤くなったあたりでアイリとリリーナが視線のみで目配せした。
「そりゃないよ、リリーナ」
「ですよねー、ほんとなんで生まれだけで自信が持てるのかさっぱりです」
「それもろくに肌のケアもしてないでだよね」
「そうなんですよ」
二人で男の話で盛り上がっているマーガレット達の会話にアイリがすっと割り込む。
「ところでマーガレット」
「なんです?」
気負いもなく緩み切ったマーガレットにアイリが明日の天気の話のようなノリで言葉を投げた。
「バービニューダスト、破産したわよ」
動きが硬直したマーガレットにアイリが再び言葉を重ねる。
「バービニューダスト、破産したわよ」
「なんで二度言ったんです」
「重要だからよ」
やっと飲み込めたらしいマーガレットがあからさまに挙動不審な様子で声を出した。
「えっ、ど、どう……」
「あなたの結納に関して支払われた資産はあなたのお父様が全部とかしたわ」
「いやっ、でも結構な額でしたよ。地方都市からギルド経由の金融投資でやらかしたとしてもそんなすぐには……」
バービニューダストは斜陽を超え衰退に瀕した都市だった。
父一人に妹一人、遠方の別都市に嫁いだ叔母のみが血のつながる血縁という状態だったマーガレット。
そんな彼女に舞い込んだ縁談。
その縁談には婚約が成立した時点で相応の支払いが準備金として用意されていた。
「『映画で都市起こしするぞっ!』って一発勝負のヤマを張ったのよ、あなたのお父様が」
「あのバカお父様っ!」
力いっぱいテーブルをたたいたマーガレットの奇行だがアイリの張った遮音のおかげもあって周囲の視線が向くことはなかった。
「罵倒しても親に『お』を付けるんですね、この子」
「育てた叔母の教育の賜物ね」
食事の並ぶテーブルに突っ伏したマーガレット。
不意にがばりと立ち上がってアイリに詰め寄った。
「姉と妹、それと猫は無事ですかっ!?」
「あなた長女でしょう?」
「お姉様って呼んでたんですよっ、都市の温泉神っ!」
「無事よ、猫も。今はあなたの叔母がいるドラティリアにいるわ」
それを聞いたマーガレットが深いため息とともに下を向いた。
「よかった、本当に良かった」
そんなマーガレットを見ながらリリーナが目を細めた。
「まだ話はあるわ、顔を上げなさい」
「はい?」
少し涙ぐんだ目じりをぬぐったマーガレットに視線を合わせたアイリ。
「あなたの叔母からの伝言よ」
「えっと……叔母様はなんて?」
「『バカの頭が冷えるまで無一文で反省させておくのでしばらく都市には戻らないように』」
「うっ……いいそう。というか絶対言う」
先ほどまでの怒りが消え叔母への怯えが表情に出たマーガレット。
そんなマーガレットにアイリがこう続けた。
「あなた、温泉神や妹へ個人宛で仕送りしてたわね」
「……はい」
小さく頷いたマーガレットにアイリがわずかに笑みを見せた。
「いい仕事あるわよ」
「劇場ですか?」
「そんなわけないでしょう」
すっと入ってきたリリーナの横やりにアイリがさらりと流した。
冗談ですよといいながらちらりと舌を出したリリーナ。
「何の仕事ですか」
「レンタル聖女よ」
提案に驚いたマーガレットが大仰に首を横に振った。
「むりむりむりっ、無理ですっ! 私にリリーナみたいなのはできませんってばっ!」
「リリーは特殊よ。あなたはあなたのやり方でやればいいわ」
「いやっ、でも……」
「三ヶ月の実務研修で見てたのだから内容はわかってるはずよ」
「研修っ!? えっ、試されてたんですか、私」
ぎょっとした様子でリリーナを見たマーガレットに偽聖女が満面の笑みでこう言った。
「秘密です」
「もうやだぁ……頭がついていけない」
こてんっと頭を横に倒したマーガレット。
再び姿勢を直すと今度はアイリをまじまじと見ながら恐る恐る口を開いた。
「じゃあもしかしてアイリさんも?」
「今はレンタル聖女してるわ」
「……どっかでやってきたってことですか?」
「ええ」
胸騒ぎのする胸を抑えながらマーガレットが質問する。
「聞いても?」
「あなた、大した胆力ね。場所はバービニューダスト、主な対象はあなたの父、依頼主はあなたの処遇や諸々に切れたあなたの叔母よ」
「ははっ……そんな気はした」
数秒の沈黙ののち視線をアイリに戻したマーガレット。
「選択肢あります?」
「この酒場の給仕をしてもいいのよ、衣食住付きの悪くない仕事だわ。今までと同額の仕送りは厳しいでしょうけど」
「明日からお世話になります」
間髪入れずに頭を下げたマーガレットに二人が微笑んだ。
再び頭を上げた彼女にリリーナとアイリが同時に声をかける。
「「ようこそ。ドラティリア星優協同組合へ」」
大きく頷いたマーガレットにアイリが畳みかけた。
「明日、あなたを担当するマネージャーを紹介するわ」
「……はやいですね?」
「当然よ。それと重要な点が一つ」
「なんですか」
「レンタル聖女は出来高制よ」
ゆっくりと首をリリーナへと向けたマーガレット。
「リリーナ」
「なんです?」
「さしつかえなければ教えてほしいんだけど……去年の年収は?」
そんなマーガレットにリリーナが花の咲くような笑顔でこう言った。
「秘密です」
お読みいただき本当にありがとうございました。
時系列としては他作品の「囚われるほどに溺愛されていました 」より未来、「魔王が娘で俺オカン、せめてオトンと呼んでくれ」「シスタークエスト レベルは上がりませんが妹は増えます」より過去に該当します。
お楽しみいただけたでしょうか。
ご感想等いただければ幸いです。
※誤字脱字訂正については随時行いたいと思います。