燃ゆる旗は日か星か……
何時も通り波は穏やかだった。
朝のお決まりの朝礼が始まるまではこの穏やかな一時は続くだろう。
そして朝礼が終わり、日が傾けばまたこの静寂はやってくるのだ。
湾内には見るものを圧倒する勇壮な巨体が幾つも横たわっている。
我がアメリカ海軍が誇る太平洋艦隊の戦艦だ。
周りに浮かぶ駆逐艦がより一層小さく見える。
それより小さい船は尚更だ。
男はうんっと背伸びをした。
男が立っているのは、真珠湾入口の岬だ。
潮風に吹かれ、此処での伸びはさぞや格別なことだろう。
「マッキンリー!」
後ろで叫ぶ声がした。
マッキンリーと言うのだろうその男は、後ろを振り返った。
「何だ?もう交代か?」
口に片手を添えてマッキンリーは叫んだ。
視線の先には腰に手を当てている男がいる。
「いや違う。レーダーに何か映ってるんだ。見てくれないか。」
マッキンリーはフンと鼻を鳴らすと、向かいの男の所へ向かって行った。
その男の後ろにはレーダー施設が見える。
施設と言うには小さなものだ。
大型トラック程のボックスで、その屋根にはパラボラアンテナが取り付けてある。
これは移動式のレーダーで、現在六基が島に配備してある。
「これだ…此処から西南西の方角だな。」
男は言った。
彼はジョンと言い、マッキンリーとは同期の間柄だ。
「ああ、距離はどのくらいだ。ジョン。」
マッキンリーの問い掛けに、ジョンは眉間にシワを寄せながら情報を読み取っていた。
「あー…待ってくれ…約…」
「早くしろよ。」
手間取るジョンをマッキンリーは急かすが、手間取るばかりだ。
「俺が変わる。」
痺れを切らしたマッキンリーはジョンをどかせて席をかわった。
しかしどうしたことだろうか。
レーダー画面が一面真っ黒になり、機能を停止してしまったのだ。
「まただ…畜生。」
マッキンリーはこう吐き捨てると、画面をおもいっきり殴った。
「しかたない。俺は下まで行って本部に電話してくる。何か見えた事だけでも伝えてくるよ。」ジョンはこう言うと、早足で小高い岬を下って行った。
「ああ、俺はちょっくらこいつをみてるよ。」
マッキンリーはジョンにこう言って送り出した。
当時のレーダーは新式の兵器であり、故障もしょっちゅう見受けられた。
また、操作手の能力も訓練を受けたとはいえ、未熟であった。
此処オアフ島もその例外ではなく、ジョンの手間取り様もレーダーの故障もごく普通の事なのである。
しかし、彼らにとっては好都合であった。
そう、今まさに獲物に襲い掛からんとする鷹のような、此処からもうそれほど距離もないところを飛行する、日本真珠湾攻撃隊にとっては……
マッキンリーは配線盤を開き中を覗いていた。
別に何処も悪くはない。
「どれだ…これか……?」
多種多様なコードを引っ張り、確認するほどに頭を傾げる。
さっきから数分がたっていた。
「ん?」
何か耳に違和感を感じた。
配線の林を抜け、頭を上げる。
そして狭苦しい中から外に出ると、潮風がさっきと同じように吹いているのを感じた。
ざわざわという風の中に、何だか違う音が混ざっているのをマッキンリーは感覚的に感じていた。
次第にそれは確かに知覚出来るようになった。
「何だこの音…」
トランペットの低音というか、オーボエの地から沸く音のような、低く波のような音が感じられる。
耳をすませ、彼自身探知器のように首を振る。
特に感じられる方に目をやれば、そこには黒い点が幾つも見えた。
鳥か…いやそれにしては大きすぎる。
不可解な音と物体はマッキンリーにえもいわれぬ不安をもたらした。
次第に黒い点は大きくなってくる。
どうやら幾つものそれらは隊列を組んで飛んでいるようだ。
「飛行機か…」
物が判れば恐くはない。
この音もあのエンジン音だと納得した。
「演習の話は聞いていないんだがなあ。」
マッキンリーは頭をかく、しかしその仕草は次第に遅くなり……
手がとまった。
「何だあれは!米軍機じゃないのか!?」
思わず叫び、口はあいたまま立ち尽くす。
勢いよく近付くその一団は、はっきり大きく見えるようになり、明らかに自分達のとは違うその航空機にマッキンリーは驚愕した。
それもその筈である。
宣戦布告など未だアメリカは受けておらず、何よりこんなアメリカの領域奥深くまで未確認の航空機が侵入してくるなど、思いもしなかったからだ。
その航空隊は一挙にマッキンリーの上空を抜けて行き、その向かう方向を見れば真珠湾が見えた。
通り抜ける航空機一機一機の機体に塗られた真っ赤な円を見ると、彼の思考は一気に繋がり、口を震わせながら叫んだ。
「やめろー!」
「よし、攻撃開始だ。皆よくやってくれよ……」
攻撃機、九七式艦攻の中でこう漏らすのはこの攻撃隊の総指揮官、淵田美津雄中佐であった。
総機数71機、第二次攻撃隊を合わせても133機と、当初の構想よりも随分小規模なものとなってしまった。
この数を最大限活用して、後続の戦艦主力部隊の驚威となるウィルソン砲台をはじめとする各種砲台を破壊し、飛行場を潰さなくてはならない。
「よし、俺達も向かうぞ!」
淵田はそう言うと、この大きな体に加速をつけ、目標であるフォードアイランド上空に向かった。
隷下の九七艦攻水平爆撃隊も同じように、緑色の大柄な体を力一杯加速させる。
此処フォードアイランドには大規模な飛行場があるのである。
轟音が響いた。
体を突き抜けるように振動が抜け、きーんと耳元に音が残る。
雷撃隊の放った魚雷が命中したのである。
最後部の部下がその様子をしっかりと見ていた。
何の前触れも無く、停泊している戦艦の右舷から巨大な水の柱が出現する。
船体は大きく揺れ動き、横に傾く。
まだ沈みはしない、船体が傾いただけだ。
流石は戦艦といったところだろう。
「よし、魚雷投下!」
一機の雷撃機がまた魚雷を投下した。
水面を滑空する機体から落とされた魚雷は、その身を水に浸すやいなや白い泡を立て、傾く戦艦に一直線に向かっていった。
白い軌跡を描き、弾丸の如く突っ込む。
刹那、轟音が響き水柱が高々と立ちのぼる。
さっきとは違い、黒煙が立ち上る。
流れ出た重油が水面を覆い、まさに水が燃えている。
立ち上るその煙は船体を包み、火炎が船を焼いていた。
警報がようやく鳴った。
その響きを機内で淵田は聞いていた。
目前には飛行場が広がっている。
滑走路には多数の航空機が展開し、まだ格納庫にも大量にあることだろう。
幸いにも、まだ一機も空には上がってはいなかった。
「爆撃準備!」
「了解!」
淵田は爆撃を指示し、後ろの部下がそれに答えた。
爆撃隊は飛行場の上空に差し掛かる。
「投下!」
その声とともに腹に抱えられた黒い塊が地上に落ちていく。
周りの機体も同様に爆弾を切り離し、投下した。
風を切り、爆弾は落下していく。
爆弾はぐんぐんと滑走路に迫り、そして火炎が一面を覆い、爆風がなにもかも吹き飛ばす。
800キロ爆弾の余りにも大きな雨粒が降り注ぎ、焼き払い、薙ぎ倒している。
不幸にも路上の航空機は燃え上がり、給油車はそれ自体が爆薬と変貌し、滑走路を火の海に変えた。
地上の米軍はなにも出来ずにただ逃げ惑っている。
いざ上がろうとする航空機も、護衛の零戦の機銃掃射により瞬く間に火だるまとなった。
フォードアイランドの大規模航空戦力は一瞬のうちに焼き払われたのである。
「よし、我々は任務完了だ。」
淵田は力強く頷いた。
火炎に巻かれた飛行場に星条旗が掲げられている。
しかし、炎はその米国旗を飲み込み、やがて見えなくなった。
こんばんは。
次話が遅くなり申し訳ありませんでした。
さて、まだまだ真珠湾攻撃は続きます。
次回をお楽しみに。
では、失礼します。