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4話 全肯定よちよちの末に『バブみ』を感じたとしたら──。

「もう大丈夫だよ」


 柔らかくて温かい。

 ふたつのましゅまろが谷を作り、僕の顔を包み込む。


「よちよち。いいこいいこ。もう怖くないよ」


 火照った体は戦いの証。

 24時間エアコン完備の室内といえど、体操着は汗でもあもあっと湿っていた。


 甘美な香りとともに、脳に直接語りかけてくる。


 ──大丈夫。大丈夫。


 それはまるで、いつかのファンファーレのような、心地良さだった──。



「ひ、陽葵(ひなた)……僕……」

「うん。怖かったよね。もうカーテン開けるなんて言わないから、泣かないの」


「ごめん。……ごめん。僕……」

「ううん。お兄ちゃんは悪くないよ。泣くほど嫌だったんだよね。気づけなくてごめんね……。妹失格だぁ……」


 違う。悪いのは僕だ。陽葵はなにも悪くない。


 わかっているのに、言葉にならない。


 涙が溢れて、止まらない。


「ごめん……ごめん……うっ、うぅっ……」

「もぉ。お兄ちゃんったら! 体操着がびしょびしょになっちゃうでしょお? なーきむーしさーんだ! ほらっ陽葵は怒ったりしてないから元気だして!」


 泣き虫……。本当にそのとおりだ。


 ……でも、ここ最近は泣いていなかったような気がする。


 僕が最後に涙を流したのはいつだっただろうか。


 ………………………………。


 あぁ。そうか。そうだったんだ。


 あの日から、僕は──。



「……うん。僕、泣き虫になっちゃったんだ……。ごめん、陽葵……。こんなお兄ちゃんで……」


 ずっと、世界から切り離された部屋でひとり、泣いていた。


「もぉ……♡ しょうがないなぁ。じゃあ泣き止むまで陽葵がぎゅってしててあげる。だからいいよ。陽葵の体操着を好きなだけ汚しても♡ 今日だけとくべつ♡」


 遮光抜群のカーテンがすべてを閉ざしていた。


「陽葵……陽葵ぁあ……」

「よしよし。怖かったね。もう大丈夫だよ。こわくなーいこわくなーい♡」


 暗闇は不思議と、落ち着いた。


 それなのに、涙があふれて止まらなかった。

 

「よちよち。いいこいいこ♡」


 止まない雨はない。そんなのは嘘っぱちだ。


 ──ずっと、そう思っていた。


「辛かったね。がんばったね♡」


 だから()に蓋をした。心を閉ざして、逃げた。


 この先の雨は、決して止まないから──。


 それがどれだけ大切なものかを知りながらも、目を背けた。


「ぎゅぅー♡ もっといっぱい泣いてもいいんだよ? 陽葵がお兄ちゃんの傘になってあげるから♡ 陽葵ね、嬉しいの。お兄ちゃんが頼ってくれて、すごい嬉しいの♡」


 でも今は、ひとりじゃない。

 

 すべてを受け止めてくれる、大きな(ましゅまろ)がふたつもある。


「うぅあああ陽葵ぁあ……陽葵ぁ!」

「うんうん。我慢しないでぜんぶ、出しちゃお? お兄ちゃんのぜんぶ、陽葵にちょうだい?♡ 枯れるまでぜんぶぜんぶみーんな、受け止めてあげるから♡」


 この先には必ず、終わりがある。

 陽葵がぜんぶ、枯れるまで絞り取ってくれる。


 ひとりでは止むことのなかった雨も、


 ふたりなら──。


「うぅ……真由美ちゃん……真由美ちゃん」

「は? 真由美? よちよちお兄ちゃん。どうしたの? その(クソ)女がどうかしたの? よちよち♡」


 だから僕は、あの日に戻る。


 此処でずっと真由美ちゃんを想い続けると、誓った。けれども──。


「うあああああああ。真由美ちゃん。真由美ちゃああああああん。真由美ちゃん真由美ちゃん真由美ちゃん真由美ちゃぁぁぁん」


 大丈夫。もう、雨は止んでいる。

 こんなにも溢れて止まらないのに、止んでいるんだ。


 だからもう一度、ここから──。


「真由美ちゃん……真由美ちゃん……うぅ……」

「ふぅん。そっか。やっぱりそうだったんだ。よちよちお兄ちゃん♡」


 ──やり直す。


 あの日、捨ててしまった大切なものを取り戻すために。


 何度も、何度も、何度だって──。


 僕は真由美ちゃんの名前を、流れる雨とともに呼び続ける。


「真由美ちゃん……うぅ……真由美ちゃん……」


 今度はちゃんと捨てられるように、


 13年間の想いに、サヨナラが言えるように。


 涙に『真由美』ちゃんを乗せて──。


「真由美ちゃん……真由美ちゃん……うぅ」

「そっかそっか。ぜんぶ、あの女のせいだったんだね。(……ったく。しらばっくれやがってあの糞アマが) うんうん。もう大丈夫だからね、お兄ちゃんはいいこいいこだよ♡」


 もう二度と、振り返らない。


 此処(ましゅまろ)に、涙は置いていく──。


「よちよち。いいこいいこ。お兄ちゃんは悪くない。悪くなーい。悪いのはぜーんぶ、あの(クソ)女。もう大丈夫だからね、お兄ちゃんはいいこいいこだよ♡」


「うぅ……真由美ちゃん……真由美ちゃん…………陽葵……陽葵ぁぁ!!!!!」


 そしてついに、辿り着く。


「陽葵ぁ……ひなたひなた陽葵ぁぁああ! YOチェケラ! ひなたひなたひなた! チェケチェケ! チェケラ!」

「わぁっ! ちょっ、ちょっとお兄ちゃん! ど、どうしたのいきなり? あっ……♡ ま、待って! くすぐったいからぁ♡ いきなりそんな、だ、だめぇー♡」


 真由美ちゃんからの、卒業──。



 思えば僕は、この心地よさを知っていた。

 ピーポーリフレインのときに感じた温かさに、とっても似ているんだ。



 だからきっと、あのときも──……。

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