第6話
農夫ゾイ・トヅチは戸惑っていた。
昨日からトヅチは隣町へ必要な物資の調達と作物の販売に来ていた。取引自体は上手くいったのだが、護衛として一緒に来ていたトヅチの町の唯一の専属ハンターが、今朝になって役割を放棄していなくなったのだ。どうやら隣町にたまたま来ていたハンターのチームに加わったらしい。彼はもともとそこそこ優秀な中堅ハンターとして旅をしていたが、昨夜酒場で一緒に合流したチームと意気投合、ハンター魂に再び火が付いたのだろう。
だが放って行かれたトヅチは堪ったものではない。町専属ハンターがいなくなるのも大問題だが、とりあえず護衛がいないと帰れない。トヅチ自身は狩り用の弓を扱えるが、魔物には歯が立たない。トヅチは隣町のハンターギルドに駆け込み護衛依頼を出したが、あいにく護衛が務まるDランク以上のハンターはすでにほかの依頼を受けていなかった。人族の領域の中でも魔族領に近い、辺境と呼ばれるこの地域はハンターがいくらいても足りないくらいだった。
今日中に護衛は見つからないかもしれないとトヅチが落胆したときに、そのハンターはやってきた。茶色の地味なローブをまとい黒い袋を肩に背負ったハンターはかなり小柄で、顔のほとんどを隠すフードの下からは短い灰色の髪が見える。まっすぐ受付に向かってギルド職員に話しかける声は、鈴のようにやわらく幼い少年のもののように聞こえる。どうやら旅の途中のソロのハンターらしい。ソロで旅をしているならそこそこの実力があるのではないかとトヅチがダメ元で声をかけると、なんと護衛を受けてくれた。ランクもDでぎりぎり護衛依頼が解禁されている。ひとまず帰り道の護衛が見つかってトヅチはほっとした。
トヅチと少年らしきハンターを乗せた自分の小さな荷車を馬に引かせ、町を出るまではよかった。
「では異常があれば対応しますね。」
そういうと、少年らしきハンターは後ろの荷台の藁の上に寝っ転がったのだ。完全にくつろいでゴロゴロしている姿にトヅチは唖然とした。仮にも護衛ならあたりを警戒すべきだろうと思ったが、気が弱いトヅチは言い出せない。このハンターはどうやら護衛としての経験を積んでいないらしい、警戒は自分でしなければならない。せめて魔物との戦闘は引き受けてくれるといいのだが、とトヅチはため息をついて、あたりに注意を向けた。
帰り道は非常に順調だった。魔族領との境に位置する魔の森が、道に沿って流れる小川の向こう岸に見える。魔の森の奥には多くの魔物が生息しているが、魔物が奥から出てくることはほとんどない。何度も隣町への道を通っているトヅチでも、この道で危険な目にあったことはなかった。だが最近魔の森の様子がおかしいという噂があり、一応護衛をつける決まりになっていた。
この調子なら今回も危険はないだろう、護衛を雇って損をした、トヅチは完全に警戒をやめて考えごとをしていた時だった。背後からがさがさと音がした。振り向くと小柄なハンターが身を起こし、魔の森の方に顔を向けていた。
「トヅチさん、魔の森の方から大型のなにかが向かってきます。」
小柄なハンターの言葉を聞いてトヅチは慌てて魔の森を確認したが、獣一匹見えない。今までごろごろしていたのだ、おそらく夢でも見て寝ぼけているのだろう、そうトヅチは判断して胡乱な目をした、その時。
前触れもなく魔の森の木々の間から茶色の巨体が姿を見せた。しばらくあたりを見渡したその大型の獣はこちらに目を向けると、大声で吠えた。
「茶色大熊ですね。」
少年ハンターは淡々とした口調で言った。
茶色大熊。大人2人分の巨体を持つ、人を襲うこともある獰猛な肉食獣であった。
「ひ、ひえええええ!」
トヅチは思わず悲鳴をあげた。茶色大熊は魔物ではないが、魔の森の奥に生息して魔物と縄張り争いをするような凶暴な獣だ。Dランクハンターでもソロでの討伐は難しいと言われる。トヅチの狩り用の弓では足止めもできないだろう。
「討伐は面倒なので、追い払うだけでいいですか?」
少年ハンターは確認するが、川を突っ切ってこちらに向かってくる茶色大熊を見てトヅチはパニックに陥っていた。
「な、なんでもいいからなんとかしてくえええ!」
わめくトヅチは気づかない。Dランクハンター1人では危険な状況にも関わらず、トヅチが全く焦っていないことに。
少年ハンターはおもむろに手のひらを茶色大熊に向けると、小さな白い球が現れた。
「ま、魔力弾だと…。無茶だ…。」
トヅチは再び唖然とする。この世界の全ての人族と魔族が扱える無属性魔法のうち唯一の攻撃魔法、魔力で球を作り打ち出す『魔力弾』。魔力消費はほとんどないかわりに、威力はあまりない、最弱と言われる攻撃魔法である。茶色大熊に効くような魔法ではない。しかも自分が知っている魔力弾よりもかなり小さい。茶色大熊をさらに興奮させるだけだと思ってトヅチは少年ハンターを止めようとするが、魔力弾は発射され、茶色大熊の顔面ど真ん中に命中。
そして茶色大熊は吹っ飛んだ。