第2話
いつもの道で借りている部屋に戻る最中、今まで気にもとめてなかった空き地に、いつの間にか花が一輪だけ咲いているのに気づいたのはほんの数週間前。
小さな、白い花だった。でも私は、その白を「きれいな色」だと思った。そしてそう考えた自分に、少し驚いた。
私にとって、世界は「無色」だった。もちろん色覚に異常があるわけではなく、世間一般が「赤」だの「青」だの定義している色の区別はつく。ただ、その色は単なる反射光の波長や強さの差であり、私にとってなにかしら感慨を与えるような意味は全くなかった。自発的に「何色だ」とあえて区別し、ましてやその色になにかしら感慨を抱いたことなど、思い出せる範囲では決してなかった。
でも私は、名前も知らない、おそらく「雑草」でしかないその花の色を「白」と認識し、しかも「きれい」と思った。
だからといって別にそこから私の世界が色を取り戻すことなんてない。あいも変わらず私の世界は「無色」で、私の存在は「無意味」だった。
でも学校からの帰り道、私はその白い花をちょっとだけ意識して空き地の前を通るようになった。
きれいだからと言って摘んだりはしない。一生懸命生きている命、ひと時自分の持ち物にして枯らすことになんの意味もない。
写真をとることもしない。きっとその画像自体も結局ピクセルの集合体にしか私には感じられないだろうから。
毎日その空き地の間を通る間、その白をきれいに感じ、そしてきっとすぐ散ってしまうことを少し残念に思うほんの短い間だけ、私は長らく感じてこなかった自分の「感情」が少しだけ戻っているように感じられた。
そして今日も帰り道にその空き地の前を通ったのがほんの数十秒前。いつものように白い花の姿を探して空き地に目線を向けた私が見たのは、積んである資材に行儀悪く座る私のクラスメイトである3人の女子だった。
その3人だけは今でも時々私を虐めて遊ぼうとする。どうしてそんなやつらがよりによってこんなところでたむろしているのかは分からないが、面倒なことは避けたい。急いで空き地の前を通り過ぎようとしたが、3人組のうちの1人に見つかってしまったようだ。声を掛けられても無視して行こうとしたが、駆け寄られて腕をつかまれ、無理やり空き地に引きずりこまれた。3人組は私を囲むと、いつものように次々とくだらないことで私を嘲る。煩わしいので脳がその音声を言語として理解するのを拒む。ただのノイズにいちいち私は傷つかないので、俯いて黙り込む。いつもなら反応しない私に飽きて解放されるのだが、この日は機嫌が悪かったのか3人組のリーダー格が私を突き飛ばした。不意を突かれて私は尻餅をつき、眼鏡が顔から落ちる。眉をひそめた私を生意気に感じたのか、激しく罵りだした3人の声を聞き流しながら眼鏡を探すために目線を落とし、そしてリーダーの足に踏みにじられている小さな白い花が視界に入った。
思考が止まる。こんな風に感情がざわつくのは、家族の無機質な視線を最後に感じたとき以来かもしれない。
私をつかみ上げようと伸ばされた腕が目に入った瞬間、私は頭の中が真っ白になるのを感じた。なにも考えていないのに、身体が勝手に動く。伸ばされてきた腕をつかんで引っ張る。気が付くとリーダーの子は地面に顔から衝突し、逆に私は反動を利用して立ち上がっていた。
「…っ!おい!なにするんだよ!」
たった今私が転がした女子の取り巻きの一人が私につかみかかってきた。私は少しだけ横に移動して、その子の前に軽く足先を差し出す。取り巻きの子は簡単に地面に叩きつけられた。どうやら喧嘩慣れしているわけではないらしい。私も喧嘩したことはないけれど。
「ネクラのくせに!」
もう一人の取り巻きが持っていたカバンで私を叩こうと目いっぱい振り上げた。私は半歩ほど近づいてその子の肩を片手で押した。大して力を込めていないのに、その子はあっけなくひっくりかえった。
「な、なによ?!なんなのよ?!アンタっ…?!」
今まで耐えるだけの私の突然の反撃に混乱したのか、最初に転がした子がわめきだす。無理もない。驚くのは当然だ。反撃しようとすら今まで思ったことはないのだから。
ちなみに私も負けじと自分の行動に驚いている。別に喧嘩慣れしてるわけでも武道をやっているわけでもないのに、体が無意識に動いていた。案外私には喧嘩の才能があるのかもしれない、全く必要を感じないけど。
「お、覚えてなさいよ!」
立ち上がり、吐き捨てるように叫んでリーダーの子が走り去る。取り巻き二人もあわてて後を追って、私を連れ込んだ空き地から出て行った。3人の背中を見送ったあと、私は落ちてたメガネをかけなおし、少し乱れたショートの髪と制服を整え、視線を下す。
そこには無惨にバラバラになった、花だったものが散らばっていた。