第1話
「人間の本質はそう簡単には変わらない」。哲学とかそういう難しい話をごちゃごちゃ言う系の偉い人たちは、だいたいそういう意味の言葉を残してきた。
生物の一種「ホモ・サピエンス」の本質という意味では、戦争などの悲惨な過去・残虐で愚かな犯罪がずっと繰り返されてきた歴史を振り返れば、間違いのない正しい考えだと言える。そして、私のような個人単位の「人間」においても、きっと「本質はそう簡単には変わらない」。
私の本質について考えると、そう、「無意味」という言葉があてはまるだろう。
私は九条佑華。父も母も優秀な医者で、私も将来医者になれるように幼いころから教育されてきた。ただ、天才肌の両親とは違い残念ながら私の頭は飛びぬけて優秀というわけではなかった。テストで両親の期待に添わない結果が出る度に、きつく叱られた。たとえいい結果が出ても褒められることはなかった。両親から愛されてると実感することは全く無かった。
それでも私は少しでも両親の期待に応えられるように、限界まで努力した。努力し続けた。私の名前、佑華の「佑」には人を助けるという意味があるらしい。この名前に恥じないような多くの人を助ける医者になりなさい、両親に常々そう言い聞かされてきた私は、同年代の子供たちが享受できるはずのほかの全てを犠牲にして医者になるための努力を重ねた。
…今思うと、私は医者になりさえすれば両親からの愛を得られると信じていたのかもしれない。
でも、この状況は私に年の離れた弟ができたことで変わった。
悪い方に。
私とは違い、弟は両親の才覚をきっちりと受け継いでいた。弟は大きくなるとあっさりと私の時よりも優秀な成績をたたき出し、親の期待に確実に応えていった。あっという間に、両親の眼には弟しか映らなくなった。血のにじむような努力をしてどんなにいい結果を出せても、両親の眼が私に向くことはなくなった。
それまで私は両親に叱られる時が一番つらいと思っていた。でも本当につらいのは、愛してほしい相手から怒られることでも、失望されることでもなく、「無関心」でいられることだと初めて知った。
こうして私は家で、父にも、母にも、そして弟にもいないものとして扱われるようになった。必要最低限しか交わされない会話すらやがてなくなり、気づけば自分の食事の準備や家事は家族とは別に自分でやるようになった。私は県外の高校を受験、合格し、逃げるように家を出て一人暮らしを始めた。私を引き留める家族は誰もいなかった。
この頃には、私はたとえ医者になれたとしても両親の愛は得られないことをとっくに悟っていた。でも、すべてを犠牲にしてきた私には、医者になるという道以外にはなにも残っていなかった。高校生になっても私は友達も作らず趣味も持たずただ勉強をするだけの日々を送った。当然クラスで私は孤立し、時々くだらない嫌がらせをする女子もいた。もっとも、ほとんど反応を示さない私にたいていの子は興味を失ったけども。
私の存在は、父や母や弟にとって、同級生にとって、そしてこの世界にとって、本当に「無意味」なものだった。いても、いなくても、どちらでもいい、そんな存在。
そしてきっと、これから先も、私の存在は「無意味」なのだろう。この世界の誰からも、そして誰よりも、「私自身」にとって…。
「…。」
そんな文字通り「無意味」なことをついさっき考えていた私にとって、いま目にしている光景は少々衝撃的だった。
場所は人通りの少ない場所にある工事現場に面した空き地。そこに、私の同じクラスの女子生徒(名前は知らない)がなかなかユニークな姿勢で地面に突っ伏していた。
ちなみにその同級生を地面に叩きつけたのは私だったりする。