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「聖女リュシール、話を伺いたい」
「まぁケント様、お久しぶり。辺境での魔物討伐はいかがでしたか? お怪我はありませんでした? 是非武勇をお聞かせください。そうだ、先日私が救った憐れな身の上の方のお話をしてさしあげるわ。とても感謝してくださったのよ」
「……支障ない。それよりこちらに聞きたい話があるのだが」
「まぁ何でしょう」
ねっとりと笑いながら体を寄せてくるリュシールを振り払うのを我慢しながら辛抱強く言葉を重ねる。
開いた扉の先からはきゃらきゃらと笑い声が聞こえる。鼻の奥に、咳き込みそうになりそうな程甘い香りが絡み付いた。湧き上がる吐き気を抑えて焦点のあっていない目と向かい合って問いただす。
「……このおぞましい光景は何なのだ?」
「おぞましい? なんて罰当たりな。神聖な修行になんて言いがかりを!!」
そこで行われていた……正に、「酒池肉林」と呼ぶべき狼藉を「おぞましい」意外に何と表現すればいい?
例の五番区の店達から呼び寄せたらしい娼婦と男娼が、部屋の中にあられもない姿で蠢いていた。あちらでもこちらでも神官や聖女達に口に出すのもはばかられる奉仕をさせられている。部屋の中にいた聖職者どもはそれらとすぐに見分けがついた。みな華美に着飾り、リュシールの父親……聖教会枢機卿と名乗っていた男など首に何重にも宝石のついた首飾りを巻いて、十本の指全てに宝石の輝く指輪を着けていた。なんて悪趣味な。
酒瓶があちこちに転がり、華燭の典に供されていたらさぞかし大勢の舌を楽しませていたであろう馳走が、無惨にも中途半端に食い散らかされて残飯と成り果てている。
「……これが聖職者の修行だと、あくまでもそう言うのか?」
「見て分からないのですか? これだから俗世で生きる者は」
あざけるように笑うその顔は、名ばかりであるとは知っていてもとても聖女だなんて呼べるものではなかった。
「享楽の限りを尽くして騒ぐだけで何が身に着く?!」
「享楽だなんておかしな呼び方はおやめください。これは修行、悪魔は我々聖なる者を恐れて何とか堕落させようと誘惑してくる。その誘惑に耐えるために、悪魔の声に揺らがない心をこうして作るのですよ」
曰く、この修行を繰り返すことで悪魔が用意するご馳走や財宝、見目麗しい男女が与える快感に甘言に見向きもしなくなるのだとか。それが修行だと? 話している言葉は同じはずなのに理解できない。……まるでバケモノを相手にしているようだ。狂っている。
何より吐き気がするのが、この女がこれを真実として盲信していること。この女の中では自分は正しく聖女だと、心の底からそう思っているらしい。
「ケント様! どうなされましたか先触れもなく」
「そうだな、先触れがないと見られてまずいものが山ほどあったようだ」
「これはその……」
「何をお父様、疚しいことなど何もないのですから」
父親はこれが公にするべきではないことと分かっているらしい、まだ少しは正常な感覚が残っているのか。部屋の中に居るもの達の態度を見ると、悪事が見つかったように慌てるものと、少数だがリュシールのようにこれが正しい修行だと信じて疑わない狂った者とが混じっていた。
……自覚のある悪党ならば、結界を手に入れるまでは大事にせず飼っていてやっても良かったのだが。いや、このまま金がかかることを考えると早々に決断していたか。
「各員、事前の連絡通りに確保を行え。枷を忘れるな」
「?! ケント様! これは何を……何をなさるのですか!」
「隷属契約には金がかかる、結界の解析が終わるまでは機嫌良く働いてもらおうと思っていたが……お前達を好きにさせておくとそれよりも金がかかると分かったからな」
「いやぁ!! ……嘘、嘘!! ケント様、聖女である私に愛を誓ったのではなかったの?!」
「嘘くらいいくらでも吐くさ、王位を得るためなら」
「……この、罰当たりめ!! 聖女である私にこんな仕打ちを! 天罰が下る! お前には天罰が下るぞぉお!!」
「偽物の聖女の言葉に力は無い。何も怖くないな」
聖女を含めた聖教会のやつらを引っ立てた後の離宮の中は惨憺たる惨状だった。あちこちに犯罪行為の痕跡が残っており、そこかしこで性交や拷問に近い「遊び」が行われていたことが嫌と言うほど分かる。俺は気付かなかったが、鼻につく甘いこの香りは麻薬の一種で、それをあいつらは日常的に吸引していたらしい。頭がおかしいだけかと思っていたが薬物の影響もあったのか。あいつらはこれを「快楽に誘われないために慣れる修行」と称していたようだが。
この「修行」を一番熱心に行える、聖教会の中で一番力を持った枢機卿の一族が代々筆頭聖女を独占していたそうだ。とんだマッチポンプだ。
あいつらが以前経営していた孤児院や救貧院とやらでも、表向きは隠していたものの「金銭を稼ぐ手段を教えている」とうそぶいて他に行くあてのないものに売春等の違法労働をさせていたそうだ。
聖教会と決別したあの国はこれを知っていたのだろう。何か制約があって聖教会の中枢には直接手を出せなかったようだが。よその国の事だ、今考えても仕方がない。
とんでもないものを引き入れてしまい、大分金もかかったがこれで結界とそれを動かす人間を確保できた。
聖教会の人間は隠せていると思っていたようだが、聖女と神官ではなく実際に結界に必要不可欠なのはこの離宮の地下に運び込まれた魔法陣だ。これさえあれば今回の策は成功したと言っても良い。
そう思っていた俺は魔法陣の解析班から上がってきた報告に思わず舌打ちをした。……魔法陣を使える人間に制限がかかっているのは予想されていた。推測されていたように、それは魔法陣の制作者の血……血縁者の魔力でしか起動できないというもので。それを想定して枢機卿と聖女を含めた聖教会中枢の人間を捕らえて、一方的な隷属契約を結んだためそれについてはクリア出来た。
問題は起動してからの話だ。……魔法陣はまともに使えなかったのだ。実際に魔物から人々の生活を守る結界は展開されたのだが、我が国の国土とは無関係の海上にそれは出現して、不安定に揺らいだ後1週間もしない内に消滅してしまった。
天才が作ったその魔法陣の全容は俺が配下にしている実戦主体の魔術師達では解析しきれず、「魔法陣を動かしたせいで結界を施行する場所の指定が狂ったのでは」と予想が上がったが専門職がいないためこれが合っているのかすらも分からない。なお聖教会の人間達は、これを使っていただけで理解していた者は一人もいなかったため早々に実験用の源力扱いしかされなくなっていた。
結界の技術流出を恐れて一切の研究を聖教会内で禁じていたらしく、自分達も知識を持っていなかったツケだろう。
手に入れたこの強大な武器を使うためにはこの魔法陣の内容を一から読み解き、我が国の国土に合わせた新しい魔法陣の作成が必要となる。しかし俺の陣営にはこれだけの研究を行えるような人材はいない。時間をかければそれも可能だろうが、皇帝位争いはここ一、二年が佳境だ……
「おじいさま、申し訳ありませんでした……」
「結果的にあの結界は我が家の力にはなる、高い買い物になったがまぁ良いだろう」
母の実家、軍閥トップであるシューベンバッハ侯爵家当主の前で頭を下げた俺は屈辱に震えていた。
大口を叩いておいて失敗しおって、とその目が語っている。ぐっと握りしめた拳の中で、爪が手のひらの皮を破って血がにじんできた。見通せなかった……せめて結界の魔法陣の内容まで調べていれば。あんな外れクジに手を出さなかったのに。
「現物があるとは言え魔法陣の研究が形になるのには数年……長く見積もれば十年はかかるだろう」
「……はい」
あの魔法陣の中には現在地、結界を実際に展開する座標、大地の丸みと国土や標高に合わせた形、また各地の瘴気濃度などが互いに緻密に関わり合う高度な機構が存在するそうだ。単純に数値を書き換えただけではきちんと機能せず、それをこれから解析してこちらが使える形にしなければならないと言う。
「お前はもう今回の皇帝位争いのレースからは大きく後れをとった。わかるな? 今の最善策は何だ?」
「……臣下に下る事を宣言して、皇帝位継承権を放棄して第一皇子の派閥に入ります」
「あそこは文官と官僚が多いが研究職の魔術師も少なくない。こちらに引き込めばあれの研究に使えるだろう」
「かしこまりました……」
苦い思いを飲み込みながら、自分の失敗を噛みしめる。防壁の国の結界自体は確かに素晴らしいものだったが……俺の行き着く先は軍務大臣で終わりらしい。クーデターを仕掛けるほど落ちぶれてはいない。内戦で疲弊した国が欲しいわけでは無かった。
「あの結界の技術を完全に使いこなせるようになれば、今度はシューベンバッハの血で使用者の制限をかける」
「!! そうすれば……国を守る王の資質として相応しい! 結界が起動できるシューベンバッハの血を引く者しか王になれない!」
「ふむ……お前の子供を聖女に仕立てて国母を狙うつもりだったがそれもありか。……出来たら私の存命の内に良い景色が見られるといいのだが」
「精進いたします!」
挽回の目が残った俺は改めて頭を下げるとこれからの事を改めて考え直した。研究の成果が出るのは早ければ早いほど良い。国内では敵陣営に結界の存在が漏れる存在がある。研究施設も本格的なものを用意して、国外から魔術師を招聘したいが、今回大分資金が必要となったため一時的にシューベンバッハの財政は落ち込んでいた。ならばまずは金策か、と俺は展望を描く。
皇帝位争いで利用させてもらった頭のおかしな女とその家族の事は、もう意識にすら上らなかった。




