帝国から見える景色
おや……?聖女の様子が……
見習い聖女と神官達は聖教会の聖堂予定地となる豪奢な宮を与えられてそこで新しい生活を始めた。不自由がないようにと、そちらにも使用人を用意してもらえる至れり尽くせりの環境だ。もちろん私やお父様達の仮の住まいとなっているこのケイン皇子の離宮にも、世話をする者を連れて来れなかったのでは不便でしょうからと、私達の身の回りの世話をする一流の使用人が手配されている。
長旅の疲れを癒してしばらく体を休めたら、この地で聖女として時々力を奮いつつものびのび過ごそう。ヴィクトル様やその周りと違ってここには私達の活動に難癖をつけて否定したり、過剰な清貧を強いて不当に聖教会の予算を削るような人達はいない。
枢機卿として教会開設に動いているお父様も「もっと早くにあの国に見切りをつけるんだった」と言っていて、前の国ではどれだけ私達が息苦しい生活をさせられていたのかを実感した。
私はこの新しい人生で誰よりも幸せになってやるんだから。
「例の結界とやらはまだ使えるようにならないのか?」
「何でも神力とやらが溜まっていないので、高めるために精神統一とやらが必要だとか」
「しょうがない、ここで離反されても面倒だからな。こちらの準備が整うまでは快適に過ごさせてやれ」
「かしこまりました」
神だ奇跡の力だと聖女達は喧伝しているが、こちらの魔術師達の分析によるとあの国に張られていた結界はごく普通の魔力で起動されていた。こちらの魔法学では外からは解析もできないような高度で精密な魔法陣が使われて、それが丁寧に分解され我が国に無事持ち込まれた所まで分かっている。聖教会側が秘匿しているその技術さえ盗めば後は用無しだ。
どうやらその結界は数代前に一人の天才が作り上げたらしく、今の聖教会は残されたその魔法陣をただ「使っている」だけでその意味まで理解出来ていないのが現状だ。魔術についてまともに学びもしていないようで、試験的に行ったはずなのに、見習いとはいえ数人の聖女と神官を簡単に支配下に置く事が出来た。悪意のある契約から身を守る術すら学んでいない、自分達の飯の種にも関係していたのに魔術文字すら読めないようだ。
俺たちにとっては都合が良いから構わないが、何とも愚かな事だ。
しかし技術を盗むにしても実際に使われている所を調べないとさすがに難しい。
リュシールは何かと理由をつけて俺と過ごしたがるが、そんな暇があったらさっさと結界のために動いて欲しい。引き抜くために随分金がかかったのだから、その分も働いてもらわないと。
仕事だから仕方がない話なのだが、良い気分にさせるための演技も苦痛だ。慣れているはずの俺ですら顔が引き攣りそうになる。いや、代わりに誰かやろうかな。あの女は聖職者を名乗っておきながら顔が良い男に目が無いようだから、俺じゃなくても見目の良い騎士や文官がいればいいだろう。特別手当を弾んで立候補式で離宮に行ってもらうか。
今回聖教会を我が国に引き込むために、母の実家には多大な援助をしてもらった。しかしこの結界を我が国のものと出来ればその対価が問題では無くなるほどその利益は計り知れない。「防壁の国」は当時の教会と王家の間に不平等な魔法契約があって手が出せなかったようだが、それがあっても上手く使えば良いものを。かの国も早計をしたな。
これで軍閥でまとまっているこちらの派閥は更に力を強める。「魔物から国民を守る盾」は目に見えて求心力を高めるだろう。
しかし将来的なメリットは大きいが今現在第三皇子陣営の単なるお荷物になっているのは事実だ。
いつ神力とやらが溜まるのかも分からない、教会の聖堂予定地に運び込まれた魔法陣の解析も急がせた方が良いな。
そう考えて半月後、辺境の魔物討伐から戻った俺の執務室に耳を疑うような報告が上がってきた。
「ケント殿下……聖女様とご家族を迎えた離宮から請求書が上がって来ていますがいかがなさいますか?」
「あいつらに機嫌をとる必要経費だろう。そのくらい俺に許可を得ずとも……何だこの金額は?」
ある程度の裁量は離宮の管理を任せた部下に与えていたはずだが。そう思って側近から受け取った請求書には俺が予想もしていなかった金額が記されていた。……何をどうしたらこうなる? まるで毎晩のように宴を開いているようなバカバカしい金額がそこに記されていた。
「……明細は?」
「こちらに」
俺は怒りを滲ませながらながら細かい金額の確認を行った。ドレス、宝石、酒、王宮で使われるレベルの調度品、皇族の身の俺ですら数度しか口にした事の無いような嘉肴すらある。
「は……? 何だこの店は」
「ああそれらは……皇都五番区にある……」
「いや全て何の店かは知っている。名前だけだがな。だがこの店どもに聖教会の聖女一家が何の用がある?」
「……神力を高める修行に必要であるとの事です」
言いにくそうに俺に伝えた側近から詳しい報告を受けて、離宮でおこなわれている「修行」の内容に俺は絶句した。
「如何なさいますか? 結界の必要経費と割り切ることも出来る金額ではあります」
「……まだ結界は張られていないではないか」
「たしかにこちらがあの技術を得るためと言えど、高い買い物が過ぎますね」
我が国に引き入れた、「防壁の国」の結界を張っていた組織……「聖教会」は二ヶ月経った今も何のかんのと理由をつけて未だ働こうとしていないのもあって俺の苛立ちは限界を迎える。
「自主的に働いてくれるならそれが一番面倒が無かったのだが……隷属可能人数には限りがあるし、使う触媒も魔石も金さえ出せば手に入ると言うものではない」
俺は討伐から帰った体を休める事も無く、踵を返してあのものどもを住まわせている離宮に向かう事にして指示を飛ばした。
「このペースで金がかかることを考えると、今のうちに隷属させてしまえば十分損切りは出来るかと」
「先を考えると、今多少強引な手を使う事になるのも仕方がないやもしれません」
「そうしよう。レーベン、契約の準備はどうなっている?」
「見習い達の分はまだ用意が出来ておりません」
「いい、リュシールとその一家、高い位を持っていた者達の数が揃えば」
「それならば可能です」
「半刻後に出る」
「かしこまりました」
あまりにも由々しき事態に、馬車は使わず馬で駆けた。討伐に共に辺境に伴った精鋭達、そこに捕縛のための人員を加えた中規模中隊を引き連れ離宮へと向かう。同時に俺の指揮下にある小隊をいくつか、「聖教会」の支部へと向かわせた。
俺は……俺は、間違えたのか。判断を。あの者達をこの国に招き入れたのは誤りだったのか……?
ぐっと苦いものを感じる。腹の底に後悔が湧いていた。
次の更新は1/18の19時です