喫煙所
俺は検査科の明かりを消し、部屋を出てドアを施錠した。すっかり遅くなってしまった。
俺の勤める病院では「院内発表会」と言うイベントがあって、今日はその準備の為にサービス残業をしていたのだ。「院内発表会」とは各部署の職員が自由なテーマで研究を行い持ち時間15分で発表するという、非常に高尚かつ面倒なイベントである。今回俺に発表の順番が回ってきてしまった。
最初俺は臨床検査技師として「採血時における被採血者の色っぽいリアクションランキング」を独自に決定し発表しようと思っていたのだが、検査科長に秒で却下されてしまった。ちなみに1位は「目をギュッとつむって肩をすくめつつ、採血されている腕と反対側に顔を背ける」、10位は「目をかっぴらいて採血者を威嚇する」である。
絶対ウケると思うんだがなぁ。せっかくの案を却下されたので新しいテーマを考えている内に、21時を回ってしまった。疲れたせいか煙草を吸いたくなったので、更衣室に寄った後喫煙所に行く事にした。うちの病院は今だに敷地内禁煙となっていないのだ。俺にとっては有難い事だ。
喫煙所は病院の北側玄関を出てすぐだ。こちらは患者の出入りする表玄関から離れているし、職員がチラホラ煙草を吸いに来る以外は昼間でも人気はない。今は遅い時間だが、誰かいるだろうか? 出来れば人と駄弁って気持ちよく帰路につきたいのだが……。
喫煙所には先客が1人いた。それも俺と仲が良い、薬剤師の吉田君だ。ラッキー。
「お疲れ〜」
俺は吉田君の向かいのベンチに腰掛けた。
「あ、お疲れです石崎さん。珍しいですね、こんな遅くまで」
彼は脚を組んでのびのびと煙草を吸っている。
「うん、例の研究発表の準備で。今日当直?」
「はい。でも今日の当直のドクター、渡辺先生なんで比較的ヒマなんス」
ここの病院は内科外科整形外科などいろいろな科があるが、渡辺先生は泌尿器科医なので緊急で受診する外来患者も少ないし、受け持ちの患者はほとんど外来だから入院処方が出ることもあまりないらしい。
「そりゃいいことだ。なぁ何か愉快な話ない? 例えば誰かが付き合い出したとか誰かが結婚したとか誰かが離婚したとか」
俺は話を振った。吉田君はありとあらゆる部署に盗聴器でも仕掛けてるんじゃ? ってくらい病院内の噂話に詳しい。俺は吉田君より2歳上だが、転職組なので彼より勤務年数が短い。彼にはこれまでも様々な下世話な話を提供してもらっていた。
「あぁそういえば、施設課の宇野さん離婚したらしいっスよ」
「宇野さんって背の高い白髪の?」
「はい。お子さんが2人共独立してるから熟年離婚になるんスかね」
「ふぅん。何でだろうな」
「キノコが原因みたいです」
「キノコとはなんぞや?」
「奥さんが大のキノコ好きなのに宇野さんがキノコ全般ダメだから、今までもおかずの事で喧嘩ばっかりしてたって。奥さんもキノコ食べるの我慢し過ぎてもう限界だったって聞きました。最終的には奥さんに言われた『自分のキノコがショボいからって食用キノコに嫉妬しないで』ってのが決定打になったとか」
「すげぇセリフだな」
下世話な話を聞きながら吸う煙草の味はやっぱり格別だ。俺はフゥ〜〜ッと煙を吐き出す。
「あと小林先生ですけど、財産がとうとう1億円を突破したそうです」
「1億! 俺にも分けてくれないかなぁ」
小林先生は呼吸器内科の女医さんで、もう四半世紀以上うちに勤めている大ベテランだ。ずっと独身だったらしい。
「小林先生は趣味がベランダ園芸と図書館通いだし粗食だから、とにかく金が有り余って困ってるみたいですよ」
「へぇ〜」
てか吉田君、何でそんな詳しいんだ。怖っ。
吉田君は新しい煙草に火を付けた。仕事に戻らなくて良いのだろうか? まぁ俺としてはもっと話していたいからその方が好都合なのだが。
「それから外科の杉尾主任、お見合いしたらしいです」
「へぇ。あの人結婚する気あるんだ」
杉尾主任は外科病棟の看護主任で、仕事をテキパキ捌いていくいわゆる「デキる女」だ。ただしルックスは男だ。
「そうみたいスね。でもお見合いの席で相手の親に『息子さんではなく娘さんを連れてきてくださいよ』って言われて、殴り合いの喧嘩に発展して超大変だったらしいです」
「悲劇だな」
杉尾主任は腕っ節も強そうだから、相手はタダでは済まなかったのではなかろうか。
「外科と言えばさ、浦田さんっていくつよ? 太ももが超ムッッッッチムチじゃねぇ?」
俺は気になっていた事を聞いてみた。浦田さんはパートのおばちゃん看護師だ。
「53歳です」
吉田君は即答した。さすが。
「俺、あの人見る度に太ももに目が行くんだよな。なんでスカートに拘るんだろうな」
うちの病院のナースの制服はワンピースタイプとパンツタイプがある。浦田ナースのワンピースはどういう訳だか短くて、太ももがモロに見えまくっているのだ。
「ズボンは蒸れるから嫌だって言ってました」
「吉田君それ本人に聞いたの?」
「はい。『そんなに短いスカート穿いて、一体何を目指してるんですか?』って普通に聞いたら普通に答えてくれました」
「それ普通に聞けるのは普通の神経じゃないよな」
俺は吉田君が情報通である理由が少し分かった気がした。
「つーか誰かフリーの子知らない? 俺そろそろ彼女欲しいんだよね」
俺は去年彼女と別れて以来、なかなか新しい彼女ができない。実は切り出すタイミングを伺っていたのだ。そろそろ本題に入っていいだろう。
「総務課の飯島さんとか可愛くね? 彼氏いるのかな」
「います。付き合って3年目、相手は警察官。電車で3時間の距離の遠距離恋愛です」
スラスラと原稿でも読むように吉田君は答える。
「じゃあ地域連携科の佐藤さんは?」
「います。すでに結婚秒読み段階に突入しています。相手は地方公務員」
「じゃあ外来ナースの栗田さんは?」
「あの人既婚者スよ。結婚7年目、旦那も他の病院の看護師です」
「マジ? まさかの人妻か……。リハビリの柴さんは?」
「3回目の結婚が決まってます」
「3回目……」
チッ……俺のいいなと思う女性はみんな男がいるのか。いや、まだ希望はある。
「薬局にはイイ子いないの? 自分の部署だから一番詳しいでしょ」
「あぁ、うちで彼氏いないのは山岸さんと加納さんと原さんですけど、あの3人はやめといた方がいいスね」
「え? 山岸さんとか普通に可愛い感じだけど」
「山岸さんは昼ごはんに日の丸弁当持ってくるんです」
「ん? おかずなしって事?」
「おかずも日の丸です。つまり1段目と2段目、どっちも日の丸なんです」
「それは……家庭的じゃないな。加納さんは? 何がダメなの?」
「彼女、錠剤数える時に『ひいふうみい』って言うし、点滴とかの段ボール抱える時いちいち『よっこいしょういち!!』って絶叫してうるさいんス」
「若いのに、心がおばぁちゃんなんだな……」
「あと原さんですけど、……」
「お疲れ様です! ちょっと吉田さん!」
吉田君の話を遮って、突然牧君が現れた。彼は吉田君の後輩の薬剤師で、確か去年入ったばかりの新米だ。
「どしたの牧」
吉田君が尋ねる。
「いや、薬局にスマホ忘れたんですよ。吉田さん鍵開けて下さい。それに薬局、電話ジャンジャン鳴ってましたよ」
牧君は吉田君の隣に腰掛けた。急いでいる風なのに、実は会話に加わりたいのかもしれない。
「今一服してんの。もうちょいしたら戻るから。急用ならピッチにかけてくるっしょ」
吉田君はなかなか肝が太いようだ。というか戻らなくて本当にいいのか……? 俺も腹が減ったし、そろそろ帰ろうか。いやその前に……。
「原さんの、やめといた方がいい理由って何?」
俺はさっき吉田君が言いかけた事が気になって聞いてみた。
「俺は原さんと同期で5年以上の付き合いなんスけど、彼女何もないとこを見つめてブツブツ呟いてたりするんスよ。それもしょっちゅうです。あれは院内で一番ヤバいっスね」
「マジか……何か見えてんのかな? でも俺、そうじゃなくても彼女は遠慮しとくわ。ゴリラみたいだし」
俺が言うと2人は笑った。牧君なんて腹を抱えている。
「あれ!!」
ひとしきり笑った後、牧君がいきなり叫んだ。喫煙所から歩いて10歩ほどの、北門の方を指差している。俺と吉田君もそちらを向いた。
「ピギャーーーーー!!!」
門の上方数メートルに落武者の生首が光って浮いている!! 俺は我先に院内へと逃げ込んだ。
✳︎
「原さーん、上手くいきましたね」
吉田さんと石崎さんが病院内に消えた後、僕は北門に向かって声を掛けました。
今晩は。僕は新米薬剤師の牧君です。今夜はゴリ……原さんに誘われて、吉田さんを喫煙所から追い出す作戦を実行したんです。全く原……ゴリラさんは人使いが荒いし、さっき吉田さんが言っていたように色々ヤバい感じだなぁ。でもでも僕も吉田さんの怠けっプリと煙草臭さには辟易していたから作戦には喜んで参加させてもらいましたよ。これで吉田さん、喫煙所に近づかなくなるかな?
ちなみに僕は薬剤科で一番の常識人だと自負しています。ここに就職した時から他部署の方々には「薬剤科って変なのばっかりでしょ。よくやっていけるネ☆」って度々褒められるくらいですよ。
ほら、木の陰からゴリラが出て来ましたよ。ウッホッホ。
「来るのが遅いよ牧君!」
ゴリラは手に懐中電灯を持っています。さっき生首を照らしていたんでしょう。
「すみません。寮で開脚前転の練習に明け暮れてたらすっかり忘れちゃってて」
「あんた、ここんとこ薬局でも隙あらば開脚前転してるからね。邪魔でたまらないのよ」
「でも、随分と上手くなったと思いませんか? 何事も鍛錬が大事なのです」
「開脚前転は場所を取るから、薬局ではせめて伸膝前転にしなさいね」
「それにしてもさっきの生首、どうやって浮かしてたんですか? 動きが妙にリアルでした!」
「あぁこれ? タネなんてないよ。ホンモノだからね、ホラ」
ゴリラはそう言って懐中電灯をオンにして、門の上を照らしました。生首は闇の中にまだ浮いてますよ。ふーわふわ。お! 今度は宙に8の字を描きだしたぞ。
「ピギャーーーーー!!!」
僕は病院の中に駆け込みましたよ。やれやれ、今夜は眠れそうにないですね☆
✳︎
「ナマちゃん! お疲れ様、下りて来ていいよ!」
私が言うと生首のナマちゃんはふわふわ下りてきて、私の目の前でホバリングした。私は彼からソフビ製の落武者マスクを剥がした。中から落武者の生首がでてくる。
「ごめんね、苦しかったでしょ」
私はナマちゃんにビーフジャーキーを与えた。ナマちゃんは「ナマ、ナマ、ナマ!」と笑ってムッシャムッシャそれを食している。その様は、すこぶるキュート。それでいて大胆。
今晩は。私はさっき噂されてた「ゴリラ薬剤師」こと、原です。今夜は牧君と協力して吉田をギャフンと言わせてやりました。
吉田にはほとほと困っていたのだ。
吉田の当直明けは手付かずの仕事が山と積まれているし、服薬指導に行ったかと思うと半日戻って来ないし、珍しく調剤したと思ったらミスばっかりだし、注射のアンプルは良く割るし、発注ミスで在庫が滅茶苦茶になるし、ドクターへの問い合わせはしたがらないし、意味もなく病棟でナース達に世間話を仕掛けてウザがられているし、電話には全然出ないし、若い女性患者にモーションかけるし、当直中も煙草ばっかり吸いに行って薬局を留守にするしで、他部署からクレームが殺到しているのだ。にも関わらず、自分は次の主任になるつもり満々なのが痛々しい。
そしてついに私の堪忍袋の緒がプッツンして、今回の計画を練ってやったのだ。この前当直を代わってあげて貸しがあった牧君を無理やり誘って、今夜決行した。私は煙草の煙で気管支が苦しくなるから喫煙所には近づけないし、ナマちゃんは男の人にトラウマがあるらしく男の側に行けないから、協力者がいた方がスムーズに行くと思ったのだ。
検査科の石崎が一緒だったのは好都合だった。彼は検査科の台風の目だと聞いている。仕事は遅いし私語ばっかりだしセクハラ大魔王だし、検査科の他の技師さんは超マトモそうなのに、彼だけが残念な人物のようだ。
それにこいつが新しく入った年に職場健診で採血してもらった時、「ふむふむ。腕毛もちゃんと処理してるみたいだね。感心感心。ところで君、何カップ? AかなBかな?」なんてすさまじいセクハラ発言をされたのだ。さっきは飛び上がってビビってたからいい気味だ。
それにしてもちっちぇえ男達だなぁ。女性のちょっとした事をあれ嫌これ嫌言う男が一番女に嫌がられるぞ。ブワァ〜〜カッ。
牧君はちょっと可哀想だったかなとも思う。でも会話に加わった挙句に吉田と一緒になって笑ってたからつい腹が立って……。それに彼の来るのが遅すぎたせいで石崎のゴリラ発言を聞くハメになってしまったし。
ナマちゃんはジャーキーを食べ終わって、宙を一回転した。また私の前に戻って来たのでほつれ毛を撫ぜてあげた。ほぉら、こうするとナマちゃんは喜ぶんですよぉ〜〜〜。
落武者の生首のナマちゃんとは、私が初めて当直に入った夜に出会った。外来処置室の前で首だけでシクシク泣いていたから、ちょうど持っていたビーフジャーキーで餌付けしたらとっても懐いてくれた。もう5年の付き合いだ。この辺りは古戦場らしいから、きっとその関係者だろう。
ナマちゃんは私以外には見えないみたいだし実体がないから、ドンキで買って来たソフビの落武者の首を被せるのにも苦労した。でも何度かやっているうちに両者コツを掴んでナマちゃんは無事に二重の落武者になった。
ナマちゃんはおっさんだし落武者だし頭を矢が貫通してるし落武者ヘアで頭頂部が青々してるけどなかなかいい男だ。少なくともワガママ吉田達なんかの何千倍もいい男だ。当直中に話し相手になってくれたり、愚痴を聞いて的確なアドバイスをしてくれたり、首だけで奇妙な踊りを踊って笑わせてくれたり、今回は私のために一肌脱いでくれたりもした。私たちはもう親友と言っても過言ではないだろう。
私はナマちゃんにビーフジャーキーを追加で2かけら与えた。
「ナマ、ナマ、ナマ」
ナマちゃんはそう鳴いて、ニコニコしてジャーキーを頬張った。凄く美味しそうだから、私も嬉しくなる。
明日も頑張ろう。
ありがとうございました。