【たった一人の生存者 後編】
朝食が終り、居間へ食休みを兼ねて少女を移動させた。この年頃の子供が鑑賞に堪えそうな映画をテレビで見ていてもらおうと考えたためだ。
異世界に来てから、当然のように地上波や衛星放送はテレビで映らなくなった。なので、テレビの現在の使い道は、家にある映像作品を映すことだけである。
テレビに映っている映画は、恭一郎が子供の頃に録画したもので、宇宙から来た巨人と不幸な事故が原因で争うことになり、やがて巨人と共に手を取り合って生きて行くという作品の劇場版アニメだ。
互いの文化の壁を意識させる、この状況ならではの皮肉な物語だ。別に深い意味はない。女の子向けの作品が、近場になかっただけなのだ。
少女の反応は――食い入るように見ている。あまり近くに寄って見ないように、注意だけはしておく。
映画で時間稼ぎをしている間に、これからの準備を始める。
まずは、衣服の調達だ。
昨日のうちに、家中から恭一郎の小さくなって着れなくなった衣服を発掘し、洗濯して部屋干ししておいたのだ。あまり数を確保することはできなかったが、シャツとズボン、それと靴下は、ローテーションが組めるだけの数を確保することに成功した。上着は父の上着を流用して、袖丈を調整したハーフコートの様に使ってもらうことにする。肌着に関しては、シャツのみ放出することにした。改めて強調するが、男所帯で女物の下着が必要になるだろうか? 必要ない! ないよね?
ショーツ等の下着に関しては、少女本人になんとか頑張ってもらうしかない。普通の人間にはない尻尾とかがあるため、恭一郎が自作で作ろうにも、手本になりそうな現物がない。
まさか男物を前後逆にして、あの場所から尻尾を出して使ったりはしないだろう。一応念のため、未使用の現物を見せてみようか。……倒錯的な画になりそうだから、止めておこう。
着替え一式を持って、風呂場の脱衣所へ向かう。着替えを籠の中に入れ、今度は風呂場へと入る。
湯船を掃除してから、お湯を張る。温度は四二度に設定する。
大小のバスタオルを何枚か、収納棚から取り出しておく。未使用のボディーブラシも発見したので、これも一緒に置いておく。
この二つが、これから訪れる試練のための勝利の鍵だ。
映画の終了を待って、試練は実行に移されることになる。
「これから君には、お風呂に入って、身体を綺麗にしてもらう」
言葉が通じなくとも、誠意は伝えておかねばならない。恭一郎はこれからやってもらうことを、正直に少女へと伝えた。怪我の治りが速い少女ならば、風呂場の中で動けなくなるような事態は起こらないだろうと判断した。そのため、昨日の濡れタオルでは落し切れなかった汚れを風呂で綺麗さっぱり落とすことにしたのだ。
「風呂の使い方を覚えてもらうから、今回だけは、風呂場に一緒に入らせてもらう」
このような状況を『サービスシーン』などと表現する者は、心の汚れた悲しい人である。これは拾ってきた子供の雌ライオンの身体を、綺麗に洗ってあげる善意の行動なのだ。
内心でそう自分に言い聞かせながら、少女の手を引いて風呂場の脱衣所へ向かった。
「まずは、着ているその服を脱いで、その代わりにこのバスタオルで身体を覆ってくれ。終わるまで扉の向こうで待っているから、終わったら合図をして呼ぶように」
身振り手振りを交えながら、ゆっくりと丁寧に、するべきことを説明する。大切なことを説明していると聡い少女が理解を示し、同じようにジェスチャーを行って確認をしてきてくれた。
意思の疎通が図られたと判断した恭一郎は、少女を脱衣所の中に残して扉を閉めた。服を脱ぐ僅かな物音が聞こえなくなってしばらくすると、控えめに扉を叩く合図が聞こえた。
恭一郎が一言声を掛けてから扉を開くと、バスタオルを身体に巻いた状態の少女が待っていた。ちゃんとこちらの意図が伝わっていて、一安心である。
「それじゃあ、風呂場の中で少し待っていてくれ。俺は、この水着に着替えてから入るから」
風呂場の中に少女を案内して、自分が水着に着替えてくることを念押しして、その場で待機するように伝える。
不透明なアクリルの嵌められた風呂場の扉を閉めて、恭一郎は急いで水着に着替える。数年前に買った、あまり使う機会のなかったトランクス型の水着だ。
水着に着替えて風呂場に戻る。ここからが、本当の試練の始まりだ。
「まずは掛け湯をして、身体の汚れを落す。それから湯船に浸かって、体を温める。普段はバスタオルを身に着けて行わないのだが、今回は特別に、そのままの状態で行ってもらう」
少女に向けて、掛け湯の説明を行う。
シャワーを使う時は湯の温度を決め、湯の温度が安定してから全身を軽く洗い流すこと。
頭からシャワーを浴びる時は、耳と目と鼻にお湯が入らないように注意する。その際の呼吸は、口呼吸で行うこと。
ついでに、湯船にはしっかりと浸かり、ちゃんと体を温めることも伝える。
説明の後は、実践である。
少女は説明した通りにシャワーの温度を確かめ、頭からシャワーを浴び始めた。頭頂部付近にあるライオン耳の中にシャワーのお湯が入らないように、深く項垂れるような態勢でお湯を受けている。
その様子を見守る恭一郎。その視線は、背中でバスタオルの上にちょこんと顔を覗かせている、とても小さな翼に移った。
鶏の手羽先とミズキには説明したが、若鶏どころか雛鳥の手羽先だ。羽根も全く生えていないツルツルの状態だ。
全身を洗い流した少女は、バスタオルを巻いたまま|(※ここ重要)湯船に浸かった。乾燥地帯が原産のネコ科の多くが水を嫌うと聞いたことがあったが、このライオン少女には当てはまらないらしい。温泉に浸かるカピバラのように、蕩けた表情をしている。
「ではこれから、身体を洗ってもらう。湯船から上がってくれ」
頃合いを見て、少女を湯船から上がらせる。桜色になった肌の少女が、名残惜しそうに湯船から出てきた。
「まずは、髪から洗いうように。このボトルに入っているリンスインシャンプーを出して、両手で軽く泡立ててから髪の毛を頭皮と一緒に優しく揉むように洗う」
ここからが、この試練最大の山場の始まりである。
シャワーを出したままにして、少女に髪を洗わせる。毛足が短めのため、洗髪に多量の洗剤は必要としない。
少女は自分なりの洗い方で、耳の周りも綺麗にしている。そして流す段になって、耳の後ろからシャワーで濯ぎ、汚れと一緒に洗剤を洗い流した。
「髪は綺麗に洗えたようだな。では次に、身体を洗ってもらう。バスタオルを脱いで、このボディーブラシにボディーソープを付けて泡立ててから、全身くまなく洗うように。足を洗う時は、そこのバスチェアに座って洗うと安全だ」
新品のボディーブラシにボディーソープのボトルから洗剤を掛け、それを少女に手渡した。
「洗っている間に、俺は先に上がって着替えているから、洗い終わってバスタオルを巻き直したら、もう一度合図をするように」
恭一郎は少女にそう伝えると、風呂場を出て着替えを始めた。思いのほか、身体が濡れなかったため、ほとんど身体を拭く必要がなかった。
少女がバスタオルを取って洗っていることを一瞬だけ不透明なアクリル越しに確認してから、恭一郎は脱衣所から出た。
少女の耳に聞こえないように、深く長い溜息を吐く。どうやら試練の山場を無事に越えられたようだ。自分で自分を褒めてあげたくなった恭一郎だった。
しばらく時間が経過して、少女からの合図があった。身体を洗い終わって、バスタオルを巻き終えたようだ。
先ほどと同じ手順で、脱衣所に入る。そこには、湯上りの少女が恭一郎を待っていた。
「全身が綺麗になったので、新しいバスタオルで全身の水分を拭き取る。それが済んだら、この籠の中に入れてある服に着替えて、外に出てくるように」
乾いた新しいバスタオルを手渡し、着替えの服を指示してから、脱衣所を後にした。そして恭一郎が向かった先は、台所だった。
着替えまでの時間を考慮して、残り少ない新鮮な牛乳を冷蔵庫から取り出し、時間を掛けて最後の一滴までマグカップに注ぐ。風呂上りの水分補給といえば、牛乳系飲料が鉄板だ。これで普通の牛乳は、全て在庫がなくなった。次からは粉乳か脱脂粉乳を飲んでもらうことになる。
ふと視線のようなものを感じて、台所の出入口へ振り返った。するとそこには、恥ずかしそうに身体を隠して、顔だけ覗かせている少女が恭一郎を見ていた。
「着替えは済んだのか? 最後のフレッシュミルクだ。遠慮しないで飲みなさい」
少女を手招きで呼び寄せ、牛乳の入ったマグカップを持たせる。
牛乳を少女が飲んでいる間に、ちゃんと着替えられているか、服装をチェックする。
靴下が少し大きいサイズなので、踵の位置が踝の高さになっている。綿のズボンも同様で、余った裾は恭一郎が折りながら巻くって調整して、胴回りも余り気味だったので、ベルトで留めた。上半身は肌着の上にこちらも少し大きなシャツを着て、その上に父の厚手のシャツを袖を折り返して羽織っている。
服に着られている感が強過ぎるが、間に合わせなので我慢してもらうことにする。
昼までには、まだ時間があった。
そこで、少女に使わせている自分の部屋のベッドのシーツを交換し、敷布団と掛布団を干すことにした。
少女には、テレビと再生プレイヤーの使い方を説明し、作品を数点渡して自分で選ばせておいた。言葉が通じないので、映像や音楽だけでも楽しめる作品ばかりだ。
布団は屋上で、天日干しにする。洗濯機でシーツを単体で洗い、次にタオルを洗濯する。
洗濯の合間の時間で、湯船のお湯を抜き、掃除をしてから換気扇を回して浴室を乾燥させる。
洗濯物は昨日と同じく物干し部屋に干した。この部屋は以前から、雨などの天候が優れない日に洗濯物を干しておく部屋となっていた。この部屋専用の抗菌脱臭機能付き除湿機も配置してある。
現在は異世界での天候の予測がまだできないため、こうしてまとめて室内干しにしている。
屋上に干した布団は、頃合いを見計らって取り込むこみ、部屋のベッドで念のためのダニの駆除を兼ねて、布団乾燥機も使っておく。
掃除が終わる頃には、昼近くになっていた。昼食にチャーシュー入りチャーハン、野菜炒め、中華風スープを作った。今度も少女は、美味しそうに沢山食べていた。沢山食べることは、大変よろしいことだ。だが、成長期なのだとしても、食べ過ぎにならないように注意が必要なのかもしれない量が、少女の口の中に消えていた。恭一郎の三倍は食べている。
このまましばらく少女を保護するとして、普段からこうも大食い――もとい、健啖家なのだとしたら、いずれ自分で食材を調達してきてもらうことも考えよう。
この世界の食べ物に、少なからず興味があるからだ。
午後になり、家事が一区切り付いた恭一郎は、少女を連れてミズキのところに顔を出した。
「ミッテの整備は、順調か?」
場所は、司令室。ガレージの様子は、ここから全体がよく見える。タンク型のフェストは外で警戒中のため、ガレージの中にはいない。
『整備は完了しています。いつでも使える状態で、エプロンへ運んでおきました』
「そうか、助かる」
『その子も連れて来たのですね。ワタシは、この基地の主管制人工知能。SEY‐Fシリーズ、TYPE・ミズキと申します。ミズキと呼んでください』
「ミズキ。その型式番号|(?)は、やっぱり君のフルネームになるのか?」
ふと疑問に思ったことを、恭一郎はミズキに訊ねた。
『人格こそ有していますが、ワタシは人工知能です。同型の姉妹が製造されていた場合は、管轄の名称を用いて、個を識別します。ワタシの場合は、ミズキ一〇五〇(ヒトマルゴーマル)となります』
「一〇五〇か……それなら、語呂合わせで、一〇(ヒトマル)を『トウ』、五は『ゴ』のままで、〇を英語の『O』にして、『ゴ』と『オー』を合わせて『ゴウ』と韻を踏ませれば、『トウゴウ』になるな」
『ミズキ・トウゴウですか……素敵ですね。なぜだか、ものすごく偉くなれたような気分になれました』
異世界の出身|(?)のミズキが、神社や公園に名前が使われているほどの有名な連合艦隊司令長官の存在を知っている……ことはあるまい。
話が逸れてしまった。本筋に戻らねば。
「実は明日の朝にでも、遺体の埋葬に行こうと思っていたところなんだ」
『犠牲者の数は、多いのですか?』
「そうだな……何人か実際に喰われていたから、多くても三〇数人といったところだろう」
『多い――ですよね……』
指折り数えて答えた犠牲者の数に、ミズキの口調が重くなった。
「こちらも出来ることをして、その結果がコレなんだ。この子だけでも助けられた。それが救いだな」
ミズキの姿を探してキョロキョロしていた少女の頭に手を乗せて、落ち着かせるように優しく撫でる。
ガレージの様子がよく見える位置まで移動すると、少女が目を見開いて絶句した。CAを初めて見たのだろうから、仕方がない。ただ、何か言葉を発していたように感じた。とても小さい声だったので、ミズキとの会話の中で聞き取ることはできなかった。
「ついでに、この子の首輪を外す鍵を探してくるつもりだ。あとは、この世界の情報になりそうなものを……地図や文字の書いてあるモノあたりだな。それから、食料品らしきものがあったから、そういうモノのサンプルも回収してくる予定だ」
少女を救出している時から気になっていた金属製の首輪には、鍵穴が存在していた。風呂に入れて全身を綺麗にしたことで、鍵穴に詰まっていたゴミが流れ出て鍵穴が露出したのだ。
それまではガレージの機械を使って、強引にでも首輪を外そうと考えていた。そうすれば、確実に首輪を破壊する過程で多少――もとい、かなり怖い思いを少女は体験することになるだろう。だが、この鍵穴の存在に気付いたことで、安全に取り外すことができるのなら、まずはそちらを試すことに決めたのだ。
そのために、こうして分解点検していたミッテの状態を確認しに来たのだ。
「ところで、気になったのだが……」
先程から少女が異様な熱い眼差しを送っているモノが、恭一郎も気になった。
メンテナンスハンガーで組み立てられている、新たなCAのことだ。
機体モジュールの装甲は、丸みを帯びた重厚なモノで、さながら相撲取りのようである。
『予備の機体として、ヘヴィーレッグを組み立て中です。機体名は、ヒュッケバイン・シュヴェーア。強襲要撃機として、即応待機させます』
ヒュッケバインのミドルネームを考えた者|(恐らく父だ!)は、かなりやっつけ仕事で機体名を登録しているようだ。
ちなみにシュヴェーアはドイツ語で、『重い』という意味だ。こうしてみると、ライトレッグがライヒトで軽い。ヘヴィーレッグがシュヴェーアが重い。ミドルレッグがミッテがライヒトとシュヴェーアの中間で真ん中。タンクのフェストは硬い。まったく捻りがないネーミングとなっている。この調子だと、残りの機体名も安直なモノになりそうだ。
――話を戻そう。
ミズキの説明によれば、このシュヴェーアは、基地防衛の切り札になるらしい。まず、武装が全て、一撃必殺級の超絶威力となっている。左右の腕にバスターライフル。予備武装でヒートハンマー。エクステンドにSC・レイを搭載する。
バスターライフルは、所持している全武装の中で、唯一のビーム攻撃を行える武器である。超高エネルギー状態の重金属粒子を解放することによって、射線上のあらゆるモノをビームの暴流が薙ぎ払う。重金属粒子の暴力的な運動エネルギー。化学合成エネルギーを超えた化学昇華エネルギー。超高エネルギーの膨大な熱量。それら全てが合わさったことで、唯一の全属性攻撃の武装として、確固たる地位を確立している。
しかし、圧倒的な攻撃力と引き換えに燃費が極端に悪く、一発分のエネルギーカートリッジが、バスターライフル本体に三基しか装填できない。また、空気中で一定距離を進んだビームの粒子は拡散・減衰してしまうため、遠距離攻撃には不向きとなっている。さらに、攻撃に使用された重金属粒子は、周囲の環境に深刻な汚染を引き起こすという、災厄の兵器である。
なお、この武装にはモデルがあり、それを装備していた作品の主役機は、主人公のパイロットの手によって、魚雷攻撃、自爆、海洋投棄、戦場投棄と、散々な扱いを受けていた。
次に、ヒートハンマーは、巨大なハンマーヘッドの両端に大型成形炸薬弾頭が一発ずつ取り付けられていて、ヒートパイルを遥かに上回る威力のメタルジェットが、攻撃対象を完膚なきまでに叩きのめす。
こちらの武装にもモデルがあり、こちらは超重力で攻撃対象を原子の塵にまで分解する必殺武器だった。
最後にSC・レイは、自律遠隔攻撃装置 (self - controlled remote aggressive equipment)を搭載する支援武装である。ダンシングダガーと呼ばれる、小型のソニックブレード。六連装リボルビングスロアーと呼ばれる、短身ヒートパイル射出機。レーザーオービットと呼ばれる、追尾型レーザーガン。この三種の攻撃装置が、標的の脆い箇所を狙って、全方位から攻撃を仕掛ける。一度の使用で、保有する攻撃能力のほぼ全てを使い果たしてしまうが、エクステンドの中で最高の瞬間火力を誇っている。
シュヴェーアは、清々(すがすが)しいまでに継戦能力を捨てた、瞬間火力馬鹿な構成となっている。そんな武装を運用するにあたり、機動性の低さを補って間合いを高速で詰めるために、蓄電能力と長距離巡航能力の高いパーツが搭載される。
「このシュヴェーアも、ミズキが直接制御するのか?」
『いいえ。シュヴェーアには、ライヒトのパーツから作成した、私のアバターを直接搭乗させます。もちろん、恭一郎さんが乗っても大丈夫です』
「この機体に乗るっていうことは、相当まずい状態だろうから、できれば乗らずに済ませたいな」
シュヴェーアの運用について意見を交換して、昨日提案しておいた通信環境の改善策を聞いてみる。
「基地との長距離通信の確保に、何か使えそうなものはあったか?」
『通信衛星が存在しないので、遮蔽物の影には電波が届きません。ですので、ほぼ無傷のライヒトの上半身にサブコンピューターを取り付けたものを中継器として、基地外の開けた場所に――例えば、崖の上などに配置するというのは、いかがでしょうか?』
「衛星の代わりに、ライヒトを使うわけだな」
『そうです。ライヒトのシステムをデータリンク機能に集約させ、サブコンピューターの演算能力で増幅させるのです。機能を限定することでかなり距離が離れても、無線と同じようにデータリンクも可能となる計算です』
オールド・レギオンのCAにはレーダー機能がない代わりに、強力なデータリンク機能があった。友軍機とデータリンクで相互に演算や情報交換を行い、オペレーターの支援を得ることで、オールド・レギオンのCAは最大の能力を発揮することが可能となる。
このデータリンクが受けられない状況では、自機の保有する能力以上の性能は発揮できない。先日の虎の追撃戦では、死角の多い大樹の森の中を進むため、周囲への警戒で素早く移動することが難しかった。
「ライヒトのパーツが、大活躍じゃないか。さっそく、ライヒトの改修を頼みたい。ちなみに、明日までに改修は可能か?」
『残念ながら、いくら人工知能のワタシでも、数日の時間的猶予を希望します。当基地の設備は、あくまでも整備のために作られているのです。現状の様な設備の使用は、まったくの想定外なのですから』
言っておいてあれだが、これは完全に無茶振りである。機体の管理と整備を行い、フェストによる周囲の警戒、恭一郎の支援のためのアバター製作と、すでに複数の重要なタスクをマルチに遂行しているのだ。生身の人間である恭一郎には、天地がひっくり返ってもまねできない仕事量である。
「すまんすまん。ミズキがあまりにも頼もしいから、ついつい甘えてしまっただけなんだ。許してくれ」
『煽てても、何も出ませんからね』
恭一郎が素直に反省したことで、ミズキは恭一郎の無茶振りを許した。
「では、明日は朝から出掛ける。留守の間、この子のことも一緒に頼めるか? 言葉は通じないままだが、絵や動きと関連付けた単語が理解できているようだ。食事も用意して――」
「いんめし、ろぐかた!」
恭一郎がミズキに少女の面倒を頼もうとすると、その少女本人が、会話に割り込んできた。あまり言葉を発しなかった少女から、積極的に話し掛けられた。恭一郎が一方的に喋ることが多かっただけに、少女が意思を伝えようとしているこの状況は、今までになかった。
「いんめし!」
そう話した少女は、自分のことを指差した。
「ろぐかた!」
今度は恭一郎の腕を掴み、一緒に三歩だけ移動した。
『もしかしてこれは、「いんめし」が自分自身を指す名詞に当たる言葉でしょうか?』
「次の『ろぐかた』が、一緒に歩く。もしくは、一緒に連れて行くという意味か?」
試に、恭一郎が自分を指差して、「いんめし?」と喋ってみる。
「ひい」
少女が同意を示すように頷いた。
今度は、恭一郎が少女を指差して、「いんめし?」と喋ってみ。
「うなー」
少女は否定を込めて、顔を横に振った。
『どうやら「いんめし」が、自分自身を意味しているのは間違いないようですね』
「そうみたいだな。それから、『ひい』と『うなー』が、肯定と否定を意味すると……」
続いて恭一郎は、「ろぐかた?」と言いながら、一人で移動してみせた。
即座に少女が「うなー」と言って、否定をする。
少女の側まで戻り、今度はその手を繋いで一緒に歩き、「ろぐかた?」と少女に確認する。
「ひい」
恭一郎とミズキの考えは、正しかったようだ。意味が通じたことで、少女が嬉しそうに頷いている。
『私を連れて行け、と言っているのではないでしょうか? 私たちの会話を途中で遮ったのは、ちょうど明日の行動の打ち合わせの途中でした。もしも、ある程度私達の言葉が理解できているのだとしたら、この子は明日、恭一郎さんと一緒に犠牲者の弔いに行きたいのではないでしょうか?』
些か飛躍した考えだと、恭一郎はミズキの見解を否定しようとした。だが、もし少女が本当にそれを望んでいるのだとしたら、その想いを自分の勝手な判断で踏み躙ってはいけないとも思った。
「もしかして本当に、明日は俺に付いて行くつもりなのか?」
「ひい、ろぐかた。かいちょこえ、だーだす」
恭一郎の問い掛けに、少女はしっかりと肯定で返した。それどころか、首輪の鍵穴を指差して、その目的まで伝えてきた。
ここにきて、急激に意思の疎通が進んできた。相変わらず言葉の壁は厚く立ちはだかっているが、たった一日で大きく前進しているのは確かだ。
少女の望みである首輪の鍵は、犠牲者の誰かが持っているのだろう。鍵探しは少女に任せておけば、その分恭一郎は、時間を別のことに充てることができるようになる。
それに――。
「うなーみー?」
少女が恐らく「ダメですか?」と、恭一郎に懇願の眼差しを向けている。飼い主に捨てられそうなペットのような潤んだ瞳で、こっちを見詰めないでほしい。この光景の破壊力は、恭一郎の想定を軽く凌駕して心に突き刺さる。
「分かった。明日、君も一緒に付いてきてくれ」
「ひい、こんぷりー」
恭一郎の許可が得られたことで、少女は明日も行動を共にすることになった。
恭一郎に感謝の一礼をして、少女は僅かに微笑んだ。
「ミズキ。大型キャリアーの用意を頼む。明日はミッテを搭載して、大型キャリアーで現場に向かうことにする」
ミッテ単機での移動に比べて、大型キャリアーでの移動には、時間を多く要することになる。当初の計画では、現場で得た資料やサンプルなどは、コクピットに持ち込める大きさのバッグに収納して、基地に持ち替えることになっていた。そうすると、帰りのコクピット内の空間的余裕が、荷物でほぼなくなってしまう。
そのため、多少時間が掛かっても、恭一郎と少女が二人で乗り込んでも余裕のある大型キャリアーを使うことにしたのだ。
限界重量でフル装備のCA一機を運搬することが可能な大型キャリアーならば、現場から大量の資料とサンプルを持ち帰ることが可能となる計算だ。