【さらば『普通』の人生】
烏丸恭一郎は、『普通』を求める青年である。恭一郎本人は、一般的な規格に分類される『普通』の青年だ。その恭一郎が殊更に『普通』を追い求めるのは、恭一郎の生い立ちが深く起因している。
恭一郎の両親である父の源一郎と母の恭歌は、少しだけ特殊な環境で育った人物だった。出会いは学生時代にでクラスメイトになったというありきたりのものではあったが、当時は互いに惹かれ合いながらも煮え切らない中途半端な関係であった。
そんな二人の関係が動いたのが、出会いから数年後のこと。恭歌が地元の政治家と政略結婚することになったのである。
その恭歌を源一郎は結婚式場から連れ去り、そのまま駆け落ちしてしまう。
その後、複数の人死にと無関係な多数の負傷者を出し、国家規模の大事件にまで発展する騒動の渦中で、恭一郎はこの世に生を受けた。けれどそれは、母の命と引き換えだった。
そんな生い立ちの恭一郎は、幼い頃に決意した。
「母を失ったのは、『普通』じゃない人生を送っていた両親が原因だ。自分は『普通』の人生を歩んで、ささやかでも『普通』の幸せを手に入れよう」
それからの恭一郎は全寮制の一貫校で『普通』に学び、『普通』のレベルの大学に進学した。
そして『普通』の会社に就職して、『普通』家庭を築く人生を送るべく行動を開始した、大学生活最初の夏。実家に帰省した恭一郎は、『普通』の人生設計を放棄せざるを得ない状況に、否応もなく一方的に放り込まれた。
◇◆◇◆
「なんじゃこりゃぁ!?」
恭一郎は心の底から、そう叫ばずにはいられなかった。
東京都の西の外れ、鬱蒼と茂る木々の緑に取り囲まれていたはずの自宅の周囲が、一夜の内に黒み掛かった砂礫の大地へと変貌を遂げていた。そればかりか、白い岩の断崖絶壁が、窓からの視界全体に広がっている。極め付けは、真夏とは思えない身を切るような外気の冷たさだ。
ジュラルミン合金製の雨戸を開けようと手を触れた時点までは、この異様な外気の冷たさは感じられなかった。だが、雨戸を開けると同時に、外の冷気が恭一郎の部屋の中へと殺到してきた。その冷気の衝撃たるや、心臓を始めとする恭一郎の身体のそこかしこを一気に縮み上がらせたほどだ。
慌てて窓ガラスを閉じ、早鐘を打つ鼓動を落ち着かせる。
混乱する思考の中で、客観的な情報だけを整理する。
恭一郎の身体に、違和感は感じられない。身体の重さも気にならず、呼吸も問題なく行なえている。少なくともこの世界は、地球と同じ重力と大気組成を持っているようだ。
改めて、窓の外を観察する。
外が明るいということは、太陽のような恒星があるようだ。しかし、白い岩壁からの照り返しが強い。陽光を反射しているのだろう。それにしては、外気温が異様に低かった。八月の東京では、この寒さは有り得ない。
近年の日本の夏は地球温暖化の影響も合わさって、異常高温の厳しい暑さが続いている。東京都西部の山中にある自宅も、都心より多少ましな程度に暑い。
夏用の生地の薄い寝巻を身に纏ったままでは身体が冷え切ってしまうため、衣装箪笥の奥から冬物を取り出す。
恭一郎は小さい頃から事ある毎に、父の源一郎から様々な訓練を施されてきた。主な訓練は、サバイバル関係だった。
自宅の立地は東京都内とはいえ、山間部の一軒家だ。外界へと通じる道路は一本しかなく、土砂崩れ等で寸断されると、たちまち陸の孤島と化して外界から孤立してしまう。
そのような状況でも生きて行けるように、自宅には豊富な食材が蓄えられている。ライフラインも最低限確保できるように、太陽光発電装置と小型の風力発電装置が備えてあり、地下には蓄電設備も完備している。水は地下水脈からポンプで吸い上げていて、もし水脈が枯れても貯水タンクと濾過装置を使えば、しばらくは何とかなる。
とはいえ、有線か衛星でないとテレビ番組が見れない僻地では、個人では対処不能な事態が発生した時に、外部へ助けを求めに行かなくてはならない。自宅から避難するような深刻な事態も想定される。
そのため、山中の自宅から人里まで安全に移動できるよう、必要とされる技術は一通り教え込まされてきた。その経験が、恭一郎をパニックにさせずに行動を行う冷静さを与えてくれている。
目の前に異常な事態発生しているからこそ、冷静に行動を起こさなければならない。
このような形での実践を内心で呆れつつ、身支度を終えた恭一郎は部屋を後にした。
恭一郎の実家である烏丸邸は、簡単に説明すると土砂災害用の防災シェルターである。建物は小規模の雑居ビルと同程度の容積があり、間取りは少し部屋数の多い一軒家といった具合だ。
そんな烏丸邸の外観は、秘密基地を想起させる重厚なモノとなっている。基礎構造は鉄骨で組み上げられていて、厚さ一〇センチの鋼板が隙間なく取り付けられている。鋼板には防水防錆の効果を付与した炭素繊維シートで覆われていて、外壁は厚さ一メートルにも及ぶコンクリートで構成されている。
防御陣地と見紛う地上三階地下一階の威容は、住宅ではなく軍事施設だと説明した方が説得力があるだろう。
異様な耐久性を持つ烏丸邸には、現在二人しか生活していない。里帰りしている恭一郎と、その父で家主の源一郎だけだ。
恭一郎は無人の廊下を挟んで反対側にある、源一郎の部屋へと向かった。
「父さん、起きてるか!?」
一応ノックと問い掛けを行ってから、返答を待たずに部屋の扉を開ける。
部屋の中は、無人であった。
源一郎の部屋は、雑多な本の溢れる書庫のような雰囲気だ。部屋の主もここのところ使用していないようで、少し空気の澱んだ静寂に包まれていた。
恭一郎は床にまで塔を成している本の間を通り抜け、この部屋の雨戸も開放した。やはり見える景色に木々の緑は無く、黒い地面と白い壁ばかりだった。
恭一郎と源一郎の部屋があるのは、自宅の三階となる。この階には他にも部屋が三つあり、手洗いと階段で全てとなっている。空き部屋の一つは物置となっていて、様々な物が収められている。もう一つは未稼働の小規模水耕栽培プラントに占有されている。残る一つは部屋干し用の乾燥室に使われていた。
これらの部屋の窓からも外を確認してみたが、結果はどこも同じだった。どうやらこの場所は、断崖絶壁に挟まれた谷の底のようだ。谷の一方は対岸が望めないほどの広大な湖か海に面していて、反対側には巨大な森と峻険な山脈のようなモノが確認できた。
残念ながら人間はおろか、動物の類の痕跡も確認できなかった。
自宅の二階へと降りた恭一郎は、源一郎の姿を探した。台所から始まり、食堂、居間、応接間、客間を巡る。風呂場と洗面所も確認してみたが、源一郎の姿はどこにもなかった。
唯一の収穫は、二階にある玄関に源一郎の靴が残されていたことだ。どうやら、自宅の中からは出ていないらしい。
自宅の一階には、部屋が二つしかない。一つは巨大な食料貯蔵庫。もう一つが源一郎の仕事部屋である。
源一郎の仕事は、ゲームクリエイターだ。得意としているのは、レトロゲームを現代風に蘇られるリバイバルゲームの制作だ。版権の使用を正式に許可された作品に手を加え、オリジナル版と比較して遊べるように新旧の作品を同梱させている。
これまでに二桁ものゲームをリバイバルさせており、それなりの実績と地位を確立していた。何を隠そう、恭一郎の里帰りもリバイバルゲームに関連したものであり、最新作のテストプレイを乞われてのものだ。
競合他社の作品情報が集まっている源一郎の仕事部屋には、高度なセキュリティーが施されていた。インターホン付の扉には、電子ロックは勿論のこと、手の掌紋、瞳の虹彩、音声パスワード、日替わりパスコードのいずれか三つをクリアしないと、扉は開かない。例外として、インターホンで呼び出して中から開けてもらうという方法もあるのだが、肝心な中の人に気が付いてもらえなかったりすることがままあるので、その確実性は低い。
カードキーで電子ロック、タッチパネルで掌紋、認証カメラで虹彩をスキャニングする。扉は問題なく開錠された。
入室した仕事部屋の照明は、全て落されていた。稼働していることの多いコンピューター機器も、完全に電源が落されている状態だ。
源一郎は三階の部屋へ戻らず、この仕事部屋のリクライニングチェアで仮眠をすることが多い。特にゲームの完成直前ともなると、仕事部屋の中に簡易トイレを持ち込むまでに部屋の外へ出てこなくなる。
恭一郎は仮眠しているであろう源一郎を起こすべく、部屋の照明を点けて部屋の奥にあるリクライニングチェアへと歩み寄った。
「父さん、外の様子がおかしい。異常事態が……?」
源一郎が仮眠しているであろうリクライニングチェアには、一通の封筒と初期型家庭用ゲーム機のカセット型ソフトのようなモノが置いてあった。封筒には源一郎の直筆で『恭一郎へ』という宛名と、『烏丸源一郎』と署名が成されている。
自分宛の封筒の中には、手紙が入っていた。自宅周辺の異常事態に加え、姿の見えない父の源一郎。その源一郎からの手紙という要素が重なり、恭一郎の中に漠然とした不安が湧き上がってくる。
気持ちを切り替えて、恭一郎は手紙の内容に目を通すことにした。男手一つで子供を育てあげてきた人物が、わざわざ書いた手紙である。無意味なことが書いてあるとは思えない。
恭一郎は手紙の文字を追うごとに、表情を硬くしていった。そして読み終わる頃には、内面に溢れ出した感情が一周回って無表情に変換されていた。
手紙の内容を要約すると、次のような内容だった。
本日未明、恭一郎に買ってきてもらったゲームのプレイ中に、源一郎は心臓発作を起こして亡くなっていた。ここまでなら、ただのテクノブレイクで家族の恥で済んだ内容だ。
驚くべきことに、源一郎は死亡と同時に、神へと昇進を果たしたというのだ。話の内容が一気に飛躍してしまい、通常ならば理解不能な話である。
極め付けは、恭一郎のために理想の世界を創造したので、自宅ごと恭一郎を転移させたというのだ。状況証拠から判断すると、手紙の内容は現状と辻褄が合っている説明がなされている。理解はできるが、納得はいかない。
最後に申し訳程度で、急逝した詫びが認められていた。あまりにも恭一郎の意思を無視した一方的な内容に、恭一郎は呆れ果てて言葉もない。
手紙を読了した恭一郎は、日本のことを考えていた。区内の大学へ通うため、恭一郎は小さなワンルームで独り暮らしをしている。
実家へ帰省するため、腐ってしまう食べ物の類は全て処分してある。しかし、家財道具を始め、身の回りの品は殆ど置いてきている。その中には当然、健全な青年用の不健全な品々もあるわけで、恭一郎の失踪でそれらが他人の目に曝されるのは、精神的にも社会的にも非常によろしくない。
そのあたりのアフターケアも源一郎に期待しておきたいが、伝達手段も確認する術も恭一郎は持っていない。文字通り、神に祈るしかない。
恭一郎では手の打ちようのない日本の件から思考を切り替え、手紙と一緒に置いてあったカセットを手に取る。カセットには一切の装飾が施されておらず、本体下部に接続面と思われる端子が確認できる開口部があった。
どうやら、何かの機械に接続して使用するモノらしい。
何ともアナログな方式のカセットを手に、仕事部屋の中を隅々まで見渡す。源一郎に会うため、周りを気にせずリクライニングチェアまで移動した。そのため、仕事部屋の内部に見慣れないモノが置いてあることに、今更ながら気が付いたのだ。
それは全面が金属板に覆われた立方体で、外部操作用と思われる固定端末と、搭乗用と思われるタラップが取り付けられていた。端末にはゲームのカセットを接続できそうなスロットが、これ見よがしに大きく口を開けている。
「ゲーセンの筐体みたいな作りだな。余計な装飾がないから、何かのシミュレーターだろうか?」
見た目の疑問は脇に置き、スロットにカセットを収め、電源ボタンを押して機械を起動させた。すると、カセットが機械の中に飲み込まれて行く。
『――マスターキーの使用を確認しました。機能の凍結を解除します』
起動と同時に外部端末から、機械的な女声が発せられた。
それからの展開は、まさに怒濤だった。
当初は端末だけ、もしくは端末に付随した金属の立方体が稼働するだけだと、恭一郎は予想していた。
しかし、展開はそれだけに止まらず、仕事部屋の壁の一面が可動を始め、本来あるはずのない壁の向こう側の空間が、忽然と姿を現し始めた。
『システムチェック。基幹正常。主機正常。補機正常。主機稼働手順開始。ネットワーク確認。外部接続再試行……失敗。外部接続を除き正常』
壁の一面が完全に取り払われると、広大な空間が見下ろせるようになった。透明なガラスの向こう側、天井からの照明に照らされた無機質な空間には、重量物を移動させる無骨なガントリークレーンや、多関節のロボットアームが接続された台座があり、大小様々なコンテナが、何らかの規則性を持って整然と積み上げられていた。
何か巨大なモノの組み立て工場の様である。
『当基地は、稼働基準を満たしました。これより既定の方針に従い、オールド・レギオン第一〇五〇(ひとまるごうまる)秘匿基地として、稼働状態となります』
「自宅に本物の秘匿……ってことは、秘密基地か!? ここは、どういう世界なんだ!?」
事態は恭一郎の理解を越えていた。源一郎の手紙を全面的に信用するならば、この世界は恭一郎のために創造された、恭一郎が幸せになるための世界のはずだ。そのような世界に軍事基地など、恭一郎が創造主の立場なら『普通』は盛り込まない要素だ。
『ワタシは、当基地の主管制人工知能、SEY‐Fシリーズ、TYPE・ミズキと申します。これより司令官登録の確認を行います。貴方のお名前は、烏丸恭一郎様で間違いございませんか?』
「何故、俺の名前を知ってるんだ?」
『マスターキーの登録内容に、烏丸恭一郎様のプロフィールデータがございました。最上級の優先コードとなっております』
どうやらこの基地は、父の仕込みで間違いないようだ。随分と物騒な要素を用意してくれたものである。
「すると、そのマスターキーを使った俺が、そのままこの基地の司令官になると?」
『そういう決まりになっております。我らオールド・レギオン全軍が、貴方の指揮下にありますので』
「いきなり司令官とはね……」
源一郎が用意したモノなら、今は理解できなくとも、必ず意味があるはずだ。肩書きだけかもしれないが、この世界で生きて行く上で、何かの役には立つかもしれない。
疑問は尽きないが、現状を正確に把握することが先決だろう。
「分かった。まずは司令官として、この基地の保有する戦力を把握したい」
『承知いたしました。では、映像資料を用いた報告を行いますので、機体シミュレーターをご利用ください』
ミズキの指示に従い、金属製の立方体――機体シミュレーターに意識を向けた。
天頂の一部が搭乗口になっているようで、金属製のハッチが跳ね上げ式に解放され、内部から座席が上昇して現れた。
金属製のタラップを上がり、座席に腰掛ける。座席は身体の遊びが少なく、クッションは硬い。左右の肘置きの先には、操縦桿が設置されている。足置きはそのまま、フットペダルになっていた。
どこか古典的なデザインのパイロットシートだ。
『パイロットシートが降下します。上下に可動しいている間は、大変危険です。天井のハッチが完全に閉ざされるまで、決して着座位置から身を乗り出したりしないでください』
アナウンスと同時に、パイロットシートが機体シミュレーターの内部に収納され始めた。同時に天井のハッチが閉じ始め、それと連動するように、フットペダルの間からパネルが立ち上がる。このパネルには、複数のボタンが取り付けられていた。どうやら計器類を集中管理して操作する、コントロールパネルのようだ。某漫画家の描くような、計器類だらけのコクピットではないらしい。
そして、天井のハッチが閉じられた。
機体シミュレーターというだけのことはあり、内部は正面と左右にモニターが配置されていた。また、コントロールパネルの上に、ヘッドアップディスプレーの透明な小型パネルが展開している。この小型パネルは、正面のモニターと重なるように配置されている。
『これより、当基地の保有戦力を報告いたします』
ミズキは前置きを行い、恭一郎の求める情報を提供してくれた。
はじめての投稿作品となります。
色々と突っ込み所がありますので、楽しく突っ込みを入れつつ読んででください。