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恋日和。  作者: 楸 妃憂
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1の2 −青空−

 星花は複雑な心境だった。 面倒なことに巻き込まれて文句を言いたい気持ちもあるが、この二人を二人きりにすると、何をしでかすかわからず心配でもあり、結局のところ星花たちは付き合わざるおえない状況なのかもしれなかった。


 星花は、地元のテーマパークに来ていた。 小規模なもので、古びた観覧車やメリーゴーランドなど王道なアトラクションがいくつかあるだけだった。 しかし、敷地だけは広大で、動物と触れあうことのできる区画もあれば、少年たちが元気にサッカーをしているグラウンドもあった。


 グラウンドの向こう側は芝生の丘があるはずで、家族で休日を過ごしたり、遠足で訪れるには最適な場所だった。


 空は青く、陽の光がぽかぽかと気持ちがいい。 絶好のピクニック日和で、家族連れが多く、小さな子どもが両親の間に挟まれて手を繋いでいるのは、なんとも微笑ましい光景だ。


 その長閑な世界に軋みを入れているのが、目の前にいる美帆と緒方だった。


 向かい合って目を伏せたまま、互いに一言も発さない膠着こうちゃく状態がもう何分続いているだろうか、と星花は腕時計を見る。


「面倒なことに巻き込まれたよね」


 隣から声をかけられた。灰色のパーカーの袖から生えた白い手で、頭を掻いている。 呆れているのか眠いのか、目は半分ぐらいしか開いていない。草薙春琉だった。


「そうね」


 星花は欠伸を手で押さえ、美帆と緒方の姿を見た。 二人はもしかしたら、初めから置き物だったのではないか、とも思えてくる。きっと自分も、今の春琉と同じように半眼になっているに違いないと星花は思った。


 空を仰ぐ。 魔法の絵の具を使ったような透きとおった青が一面にあった。 いつもよりも何倍も遠くにあるように感じる。


 布団を干してくるんだったな、とぼんやり考えながら、星花はもう一度欠伸をした。





「じゃあ、俺は桃井さんと回ってくるわ」


 事態が動いたのは、春琉の一言だった。 星花の返事も待たず、春琉は広場の方へ星花の手を引きながらずんずんと歩いていく。 空を見上げて考え事をしていたので不意打ちに抵抗できず、されるがままに星花は春琉に連れて行かれる。


 少しいったところで、美帆たちのことが心配で振り返ったが、春琉の一言によって長い膠着こうちゃく状態から解放された二人は、ぎこちなくではあるが動き出したので、星花は安心した。 今度は、自分の意志で春琉の隣を歩く。


 世話のかかる友人だと呆れつつも応援してやりたくなるのは、何度恋をしても、美帆がいつも真っ直ぐに恋愛しているかもしれない。


 純粋で、計算の一切ない恋愛ができる美帆のことを、星花はたまに羨ましくなったりもする。


「桃井さんも大変だね」


 隣を歩く春琉が、苦笑交じりにいった。


「草薙君も同じじゃん」


 星花は、春琉と同じ立場に置かれているわけだから、そう返した。


「違う違う。俺は今回だけだもん。剛モテないからさ、こういう状況を見守るのは楽しくもあ

るわけだけど、桃井さんは毎回のことで大変なんじゃない? 野々村さんの噂聞いたことあるからさ」


「え……何の?」


「高校時代のこととか。あの子可愛いから、かなり情報まわってるよ。“百戦錬磨の野々村美帆”みたいな感じで」


「そう、なんだ」


 星花は苦笑を滲ませた。 美帆がモテることは知っていたが、まさか高校時代の美帆のことが、そういう風な噂になっているのは予想外だった。


 芝生の丘には、心地よい風が吹いていた。 太陽の光は一面を照らして、芝生を輝かせている。


「ああ、ここ気持ちいいなあ」


 春琉は急に元気になって芝生の丘を駆け上がると、両手を目一杯広げて息を吸った。 そして、ごろんと仰向けに倒れる。


「ちょ、ちょっと」


 星花は慌てて春琉の元へ駆け寄った。 しかし春琉は気にした様子もなく、気持ちよさそうに目を細めている。まるで仔猫のようだ。


 星花が困って春琉の横に立ち尽くしていると、春琉は不思議そうに星花を見上げた。 そして、自分の横を、手の平でとんとん、と叩く。


「え、そこに寝転ぶの?」


「そうだよ。なんなら腕枕でもしてあげようか?」


「いらないわよ」


 からかうように笑った春琉の顔は、一気に幼い子どものような無邪気なものになっていた。 普段は、面倒くさそうな雰囲気を全体的にかもし出しているので、少し意外だった。


 星花は春琉の隣に腰を下ろした。 梅雨を越えた七月の風は、遠くではしゃぐ、グラウンドの子どもの声を運んできていた。


「さっきから思ってたんだけど、桃井さんさ、そのスカート似合うね。可愛いよ」


 急に何を言い出すのかと驚いて春琉を見ると、今度はやけに大人っぽい表情で微笑んでいるのだった。


「な、何よそれ。からかわないで」


 星花は、ふい、とそっぽを向いた。反対側からは、くすくすと小さく笑う声が聞こえる。 その時、星花の春琉に対する認識は、「女慣れした天然タラシ君」に塗り替えられた。


 視線を戻すと、春琉は余裕の表情で目をつむって、日向ぼっこを楽しんでいる。 栗色の髪に草がつくのにも構わない様子だ。


 なんだか気に食わない。タラシ君のタラシ発言に不覚にもどきっとしてしまうなんて、どうかしている。





 家族連れはいつの間にか見当たらなくなり、人通りもまばらになった夕暮れ時。 星花と春琉は、飼育員が動物の撤収を始めた広場を歩いていた。 陽は落ちかかっていて、だいだい色の空は、深い藍色の空によって、端の方へ追いやられつつあった。


「おかしいなあ。電話に出ない」


 携帯電話の奥から鳴り続けるコール音を聞きながら、星花は呟く。 隣では、春琉も携帯を耳に当てているが、星花と同じく相手が電話に出る気配がないようだ。


「さては剛……うまいことやってるな」


 春琉がにやりと口の端をあげた。


「どうしよう? 先に帰っちゃっていいのかな」


 星花は携帯を閉じて訊くと、「うーん」と春琉が首を傾げた。


「いいと思うけど、最後に、あれ乗ってから帰らない?」


 春琉が、マイペースさの滲んだ垂れた目で見つめながら指差したのは、観覧車だった。 ライトアップされているわけでもなく、特別なデザインがほどこされているわけでもない、飾り気のない観覧車だ。


「別にいいけど……」


「じゃあ行こう。早くしないと乗れなくなっちゃうぞ」


 春琉は子どものようにはしゃぎながら、星花の手を引いて走った。 とはいえ、意識的なのか無意識なのかは分からないが、パンプスを履いた星花がついていけるぐらいのスピードなのは、流石というか。 やはり女慣れしているに違いないという考えを強くした。


「もう。走らなくても間に合うし」


 観覧車の手前まで辿り着いた星花は、上がった息を落ちつけながら、春琉を睨んだ。 春琉は、からからと爽やかに笑う。


「外が明るい内に乗りたいじゃん。折角桃井さんと乗れるならさ」


 青色のゴンドラに乗せられた二人は、向かい合って硬い座席に座った。 所々色がげ落ちてさびが見えているゴンドラが、ぎい、ぎいと錆び付いた古時計の振り子が揺れているかのような音を、一定間隔ごとに鳴らしながら、ゆっくりと空に持ち上げられていく。


 その時、星花の携帯電話が震えた。 サブディスプレイに、『メール受信 野々村美帆』とあった。


「美帆からメールがきた」


 ちらりと春琉を見てから、受信メールを開く。


「さっきは電話ごめん。デート超いい感じだよ。今観覧車下りるとこ。先帰ってていいからね。だってさ」


 星花と春琉は目を合わせてから、窓の外を見た。少し濁った窓ガラス越しに外の景色が見える。 暫くして、遠い地上に、観覧車から降りてきた男女の姿が見えた。


 二人はごく自然に手を繋いで、女は男に少し寄りかかるようにしながら、軽い足取りで遠ざかっていく。 もうすぐ頂上に到達するゴンドラから見ても、二人の足取りが浮かれているのが見て取れた。


「剛、やるじゃん。でかした」


 春琉が手を叩いた。星花もそれと合わせて、投げやりに拍手をした。


「さすが、百戦錬磨の野々村美帆って言われるだけあるわね。すごいすごい。おめでとう」


「桃井さん、全然気持ちこもってないじゃん」


「そんなことないわよ。……まあ、美帆の場合は、この先の方が試練だからね」


 ゆっくりと回る観覧車。 ゴンドラが頂上に達すると、オレンジの空は、遠くの方にまだ少しだけ残っていた。


「桃井さんはさ、彼氏いるの? 好きな人とか」


「いないよ」


「だよね。いなさそうだもん」


「それってものすごく失礼じゃない?」


 春琉は愉快そうに笑った。そして、春琉の瞳が星花を捉えた。 色素の薄い茶色の瞳は、温かくもあり、目を逸らさせない強さもあった。


「桃井さんに吊り合いそうな人がなかなかいなさそうだ、っていう意味だよ。でもさ、彼氏いないんだったら、こんな俺にも望みはあるのかな」


「え? なにそれ。どういう意味?」


 思わず訊き返す星花に、春琉は余裕の笑みを返すだけだ。 本気で言っているのか、冗談を言っているのか、星花には判別できなかった。


 ゴンドラは音を鳴らしながら下っていく。うるさいぐらいだ。 知らない間に、地面はすぐそこまで迫っていた。


「観覧車付き合ってくれてありがとうね。もう暗いし、家まで送っていくよ。今日バイクで来てるから」


「あ、うん。ありがとう」


 出口に向かいながらも、星花の頭は、はっきりしているはずなのに、どこか一部だけがぼんやりしているようだった。 いつの間にかテーマパークを出ていて、いつの間にか春琉のバイクの傍で立っていて、いつの間にか手渡されたヘルメットをかぶっていた。


 バイクの後ろに乗って、家の場所を伝えた。 春琉は、「なんだ、俺ん家と近いんじゃん」と言いながらヘルメットをかぶった。


「俺の腰に手を回して、ちゃんと掴まっててよ。ぎゅー、って抱きついてきてもいいよ」


「馬鹿じゃないの」


 おどける春琉を一蹴して、二人を乗せたバイクは走り出した。 陽は落ち始めるとあっという間で、太陽はもう完全に姿を消していた。


 広い道路には、車がぽつりぽつりと走っているぐらいで、その光景はとても静かだった。 バイクのエンジン音と、風を切り抜ける音と、お尻から伝わる震動はとてもうるさいのに、静かだった。


「ねえねえ、これから桃井さんのこと、星花って呼んでもいい?」


 春琉の声が、風と共に耳に届いた。


「別にいいよ。なんて呼んでも」


 星花は春琉の背中に返す。


「俺のことも、春琉でいいから。草薙君って呼ばれるの、実は好きじゃないんだ」


 濃紺のうこんの空の下を、スピードを上げたバイクが、時々車を追い越しながら駆け抜けていく。 振り落とされそうで怖くなって、少しだけ強く掴まった。



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