猫ちゃん
小さい頃の私は何にも興味がなかった。
運動も勉強も人並み以上に出来、必要最低限の物は全て与えられていた。
大好きな兄弟もいたし、人生に不満は無かった。
何もかもが順調に行き過ぎていた。
だから楽しくも悲しくも苦しくもなかった。
そんな私は、小学生になる直前に幼なじみの拓実と結婚の約束をした。
その時の私はこのまま大人になって、まるで兄妹のように育った拓実と結婚するんだろうと思っていた。
別にそれでも構わないとも。
私の運命が変わったのは、小学4年生の時。
拓実のサッカーの試合を観に行った日のことだった。
当然、サッカーにも興味のなかったから、私は拓実のお母さんに買って貰ったジュースを飲んでいた。
恐ろしくつまらない試合だった。
だけど、それまで慢性的につまらない人生を送ってきた私にはそれが普通だった。
つまらないとも何とも思わないまま、ただ試合を見ていた。
何にも興味の無い私には、ただ流れる景色としか映らなかった。
ある少年がフィールドに出てくるまでは。
その少年は、特に上手いと言うわけじゃなかった。
すぐに敵にボールを取られてしまったし、ドリブルだって下手だった。
だけど今まで見た人の中で一番格好良かった。
ベンチに座っている時は、なんとも思わなかった。
フィールドに出てきたときも、みんなに合わせて走っているときも、なんにも感じなかった。
それなのに、どうしてだろう?
サッカーボールを持った彼はすごく、すごく格好良かったのだ。
つまらなかった私の世界が、彼の出現で輝く物に変わった。
私は彼の役に立ちたくて、彼に少しでも近付きたくて、サッカーの練習を始めた。
ドリブルもシュートもディフェンスも、拓実とは比べものにならないくらい上手くなった。
もしかしたら、彼よりもずっと上手いのかもしれない。
だけど、まだ足りない。
彼にふさわしくない。
私はもっともっと努力しなくてはならない。
時々、彼が河川敷で練習してるのを覗きに行った。
彼はすごく努力をしてる。
だから私も努力しなくてはいけない。
話しかけたりはしなかった。
というより、そんな発想が無かった。
中学生になって、拓実が彼と一緒にサッカー部に入ったと聞いても、私は一人で練習し続けた。
拓実に聞いた『佐倉健斗』と言う名前だけで充分だった。
私はその名前と、時々見る姿や声だけで満足だった。
このまま中学を卒業したら会えなくなるかもしれない。
高校生になって、大学も卒業して大人になって……。
私が拓実と結婚するほど大人になったときに、彼が幸せであればいいな。と思っていた。
彼に近づくなんて、考えてもいなかった。
この先もつまらない人生を送ることしか出来ないって思ってたから。
「猫は、サッカー部に入ったりしないのか?」
それを壊したのは、皮肉にも私につまらない人生を提供し続けていた幼なじみの拓実だった。
「……サッカー部に、入る?」
久しぶりに一緒にサッカーの練習をしていた拓実に言われた言葉。
まさかそんなことが出来るなんて思いもしなかった。
だけどそうなれば、私は本当に彼の役に立てる。
今まで私が無意味にしてきたサッカーの練習は全て彼のためだ。
彼の努力の役に立ちたかったけれど、どうすれば良いのか分からなかった。
ただ、ひたすらに練習し続けた。
彼とは関係のない場所で。
それが報われるかもしれない。
「入る!」
叫ぶように言う私を見て、拓実は嬉しそうに笑った。
なぜ拓実が嬉しいのかはよく分からなかった。
そんなことはどうでも良かった。
私の頭の中にいるのは、佐倉健斗だけだったのだから。




