精神世界にて。
目が開く。夢の中で意識が覚醒するというのも変な話ではあるが、夢の中なら何でもありだろう。
目に入った世界は、何処までも真っ白で、足元は水が張っている。
「……精神世界なんてありきたりなもんだと思うけども。流石にそのまんま過ぎるよな」
「こういうのは安直な方が分かりやすいだろう?」
突然声が聞こえ、咄嗟にその場から飛びのいく。いつここまで近付いたと焦りながら短刀を引き抜こうとしたが、柄にすら手が触れない。いつも隠していた場所を見ると、そこに短刀はなかった。
「あはっ、落ち着けよ。あんたの言う精神世界なんだぞ? 武器なんて持ち込める訳ないだろう」
声の元に視線を向ける。そこには、ただ影法師のような存在がいた。頭から爪先まで真っ黒で、目も鼻もなく、何処から声を出しているのかさえ分からない。
「っ……何だお前。一体どっから現れたんだ」
「あー……理解してはない感じかな。オーケー、私は望の書。望む魔の力を与えるものだ。お前があの本を開いたから、私はここに招かれたんだよ」
……本が人格持ってるのか? 前生きてた世界で言う付喪神とかか。 ということは……かなり凄い魔法とかあるんじゃねぇの?
「そうだね、かなり凄いよ。でも手に入れられるのは一つだけだ。無数にある中の一つ」
「……おまけしてくれると助かるんだけど」
「まぁ、それは君次第っと……さて、それじゃあ……聞こうか。君は何を求める?」
何を求める……か。考えてみたら、魔法は我流で何とかなっているし、物を収納出来るような物……が欲しいな。力はそりゃ欲しいけれど、動けないんじゃ意味がないし。
「えぇ……っと、収納出来る魔法が欲しい。取り出しも楽なの」
そう言うと、影法師……望の書は固まり、ぎこちない動きでこちらに近づいてくる。
「き、聞き違いかな……? 僕の持つ力の中でも、戦闘には必要もないものを……」
「動けなきゃ意味ないんだよ、分かるだろ? 持つ力ってことはあるんだろ? ほら、俺はそれを望んでいるんだから、くれよ」
「……分かったけどさぁ……暫く使えないってのに、この程度の魔法を頼むなんて……」
ぶつくさと文句を言いながら、突然望の書がこちらに向け光の玉を形成し、それを飛ばして来た。
避けようとした途端、その光球は眼前で動きを止め、その場で静止した。
「……何してんの? さっさとそれに触れなよ。終わらないだろ」
「あ、そう言う感じなの……」
光球に恐る恐る右手を突っ込むと、光球が弾け、人差し指に光が纏わり付く。
咄嗟に振払おうと腕を振ってしまったが、外れることはなく、強く光ると人差し指には紅い石が付いた指輪が着けられていた。
「……あれ、指輪? 魔法は……」
「そんなの魔法を教えるよりも、空間操作の概念を結晶化して媒体にした方が早いよ。魔道具ってやつさ」
なるほど……しかし、それでは魔法を教えるというのは違うように思えるのだが……
「魔法を教えるってことじゃなかったのかって? 臨機応変だよそりゃ。全部に教えてたらすぐにただの本にされちゃうよ。いくら滅茶苦茶な量の魔力を使って作られたとはいえ、魔力にも限りはあるんだから」
「……魔導書って、魔力を使うような物なのか? 魔法使いの奴が、書き記すようなもんだと思ってたけど」
「それは研究資料にしかならないね……残したい魔法があるやつが、魔力を込めて作る本。それが魔導書だよ。私は馬鹿みたいに魔力込められたから、そのお陰で君が使うまで残っていられたね。普通は一回きりだ」
なるほど、異様な程の魔力を込められ、何度も使用されてきた魔導書が、目の前にいるこの影法師……望の書ってことか。
「まぁ、僕の話はこれでおしまい。更に聞きたきゃまた何年後かに開きなよ。あぁそうだ。最後に、試すといいよ」
そう言いながら、腕を無造作に振り空気の刃を飛ばす。
その後に、空気に溶けるようにして影法師は消えていった。直撃すれば、首か腕は飛ぶような鋭さの刃を残して。
すれすれの所で避け、刃を見ると再度こちらに向かい飛んで来ていた。舌打ちを一つした後、刃から逃げるように走り出す。
しかし刃の方が速い。このままでは、体の一部分は宙を舞うことが、簡単に想像出来た。
「そんな、突然過ぎるだろっ……! あぁくそ、どうにでもなれ……!」
体の向きを変え、刃に向けて走り出す。
使い方も分からなかったが、右の手を刃に向けて伸ばす。突然宝石が紅い光を放ち、目の刃を吸い込むようにして収納していき、刃は首を飛ばすことなく、消えていった。
「ふぅ……こんな感じなのか……収納は勝手にやってくれるけど、出す時のコードとか決めておかないとな……」
唐突な死への道標が消えたことで気が抜け、その場に座り込む。すると、何かが砕けていくような音が微かに聞こえた。
その音は勢いを増し、こちらに向かっている。
「って、ここも砕けるのかよっ!? 待て待て、ここが砕けるってことは現実でも何か起こって──」
その場から立ち上がり、走ろうとする瞬間だった。
ひび割れが突然、その速度を増し、逃げようと一歩踏み出した足元の地面が砕ける。落下する際の浮遊感を感じていると、地面に張っていた水が顔にかかる。
何処まで落ちるのかと考えながら、翼を広げようとした瞬間だった。突然電源を落とされたかのように、意識がプツンと途切れた。
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「あ゛ぁぁぁぁっ落ちるぅぅ!! ……ってなんだよ、こういう感じか……焦って損した……」
本を開いた時から少し時間が経っているのか、少し肌寒い。誰かが気を効かせて天幕に戻してくれていたようで、天幕の中で飛び起きた。
冷や汗をかいていて体中気持ち悪いが、この肌寒さから考えてもう日は沈んでいるだろう。今日はこのまま眠るしかないな……と考えて、ふと指輪はどうなっているのか気になった。
右腕を上げて確認すると、自分が巻いたよりも上手く、そして多く包帯が巻かれており、誰かがここもやってくれたのだろうと思った。
「……でもこれじゃ指先まで包帯塗れだな。怪我の量、減らさねぇと……」
視界が明滅する。疲れはほぼ半日眠っていたような状態だった為に、大分楽になったが、体の方はそうもいかないらしい。体のダメージは甚大だ。
現状、下手に動いてはいけない……そう再認識し、右の包帯を解こうとしてその時に気付いた。
「ん……何で義手が……勝手に外されてるんだろ?」