失われた聖夜
十二月二十三日の昼。わたし、旦ヶ原麻美は友達の洋子ちゃんと一緒に、もう一人の友達の雨宮悠希ちゃんの家に向かっていた。
悠希ちゃんは夏休み明けにわたしのクラスに転校してきた子で、わたしの隣の席になったからそのまま仲良くなったのだ。しかし、悠希ちゃんの家は引っ越し後、色々とバタバタしていたらしく、今日初めておじゃますることになる。
「悠希ちゃんのお家、どんなかなあ」
洋子ちゃんが期待に胸をふくらませながら言った。
わたしは空を仰いで少し考え、
「うーん……やっぱり、新築なんじゃないかな」
「木の匂いがするのかな?」
どうやら洋子ちゃんの中では、新築の定義が『木の匂いがすること』となっているらしい。
「木造かどうかにもよるけど、どの道もうしないんじゃないと思うよ。何ヶ月も経ってるし」
「そっか……」
洋子ちゃんは少し残念そうに肩を落とした。どうやら木の匂いが好きだったようだ。
しばらく歩いていると、洋子ちゃんが思い出したようにきいてきた。
「そういえば、麻美ちゃんってクリスマスプレゼント何貰うの?」
これはサンタさんに、ではなくて両親から、という意味の質問だ。小学三年生にもなると、サンタさんという存在が幻だということにはみんな気づく。
「わたしは、やっぱり今年も小説かなあ」
自分で言うのもなんだけど、クリスマスに小説をほしがる小学三年生は珍しいと思う。
「読みたい本とかあるの?」
「うーん……別にこれといってないんだよね。本なら何でもいいっていうか……あ、でもせっかくだから文庫とかじゃなくてハードカバーにしようと思ってるよ」
洋子ちゃんは頭の上に『?』を浮かべて首を傾げた。一瞬、洋子ちゃんが何をわからないのか考えたけど、すぐにわかった。
「ええっと、ハードカバーっていうのは簡単に言うと、ちょっと大きめの厚い本だよ」
「へぇ、そうだったんだ。やっぱり麻美ちゃんって物知りだね」
洋子ちゃんに笑顔でほめられて悪い気はしないけど、ハードカバーを知っていることが果たして物知りというのか疑問だった。わたしにとっての物知りとは、近所に住んでる大学生のお姉さんのことなのだ。
「洋子ちゃんは何貰うの?」
「私はもう十一月に貰ってるから、クリスマスには貰えないんだよね」
「あ、そうか。ポケモン貰ったんだもんね。どっち買ったの?」
「UMの方だよ。下馬評ではUSの方がいいの言われてたんだけどね。なぜならUSに出てくる新ポケモンがなかなかに強そうだったから。だけど私は最初から疑問だったの。トップメタに相性の悪いポケモンがいるのに活躍できるのかなって。そしたら案の定、二、三週間で誰も使わなくなっちゃった。トップメタに弱いだけじゃなくて耐久も低すぎるんだよね。型も少ないし。だけどUMに出てくる新ポケモンはトップメタに強いから、これだけでも採用しようと思えばできるの。まあ弱点が多いのと厳選が面倒なのがネックだけどね」
急に早口でペラペラと語り出したが、洋子ちゃんはこの歳にして廃人なのだ。語り出すとなぜか語彙が豊かになる。
悠希ちゃんとの待ち合わせ場所である小学校の校門前までやってきた。悠希ちゃんはすでに着ていた。
「悠希ちゃーん」
洋子ちゃんが手を振ると、悠希ちゃんはポニーテールを揺らしてこちらを向き、笑いかけてきた。
わたしたちは小走りで駆け寄った。
「ごめん悠希ちゃん。寒い中待たせちゃって」
わたしがあやまると悠希ちゃんは首を左右に振った。
「気にしなくていーよ。いま着たところだから。家もすぐ近くだし」
「確か、歩いて五分くらいのとこなんだよね?」
洋子ちゃんがたずねた。
「うん。そうだよ」
「じゃっ、早くいこうよ。寒くて寒くて……」
洋子ちゃんは厚着はしているけど、手袋やマフラーなどの防寒具を身につけていない。耳も鼻も真っ赤だ。
「そうだね、こっちだよ」
◇◆◇
悠希ちゃんの家は予想通り新築だった。周辺にある家と比べてみると明らかにピカピカしている。
それから洋子ちゃんの期待通り木造であったが、木の匂いはもうなくなっていて、悠希ちゃんの匂いしかしなかった。とはいえ、そこまで残念そうにしていなかったので、そんなに好きなことではないのかもしれない。
悠希ちゃんが玄関の扉を開けた。
「ほら、入っていいよ」
「おじゃましまーす」
と二人同時に言って、家の中へ入る。玄関は冷え込んでいたので、三人で急いでリビングに向かった。
リビングの戸を悠希ちゃんが開けると、暖かい空気に包まれた。暖房とストーブが点いているようだ。
「お母さん、麻美ちゃんたち連れてきたよー」
悠希ちゃんがキッチンで食器を洗っていたお母さんに声をかけた。
悠希ちゃんのお母さんは水道をとめ、
「こんにちは麻美ちゃん、洋子ちゃん」
挨拶されたのでこちらも挨拶を返した。家にきたのは初めてだが、悠希ちゃんのお母さんとは何回か会っている。
悠希ちゃんのお母さん時計を確認した。
「うーんまだお昼ご飯からそんなに時間経ってないよね?」
「はい」
まだ一時半だ。
「何かあるの……ですか?」
洋子ちゃんが慣れない敬語でたずねた。
「ええ。クリスマスケーキを焼いたから、二人にも食べてほしくって」
「ケーキ! 食べたい!」
さっそく慣れない敬語を忘れてしまったようだ。
「でも、わたしたちご飯食べたばかりだし、三時のおやつの方がいいんじゃない? お腹空いてた方が美味しく感じるし」
わたしがそう提案すると、洋子ちゃんは少しだけ考え、「そうだね」と頷いた。
「僕もケーキ食べたい!」
こたつに座ってテレビを見ていた悠希ちゃんの弟の桐栖くん――小学二年生――が反応した。
「三時に出すから、後でみんなで食べましょうね」
悠希ちゃんのお母さんはそう言って笑った。
◇◆◇
三時になった。それまでは冬休みの宿題をやったり、一昔前のゲーム機で遊んだりしていた。
悠希ちゃんのお母さんが呼ぶ声が聞こえたので、わたしたちは二階の悠希ちゃんの部屋からリビングへ移った。
こたつの上に大きな手作りホールケーキが置かれていた。
「これが、手作りなんですか? 凄いですね」
わたしは感嘆しながら言った。悠希ちゃんのお母さんは「ありがとう」と笑ってくれる。
「おっきいケーキ……です、ね」
洋子ちゃんが慣れない敬語でつぶやいた。悠希ちゃんが答える。
「桐栖の誕生日ケーキでもあるからね」
「桐栖くんの?」
話題の中心の桐栖くんはわたしたちの話に興味がないようで、悠希ちゃんのお母さんが切り分けたケーキを食べている。
「桐栖の誕生日は二十五日だから毎年クリスマスと一緒にお祝いしてるんだよ」
なるほどお。それで桐栖って名前なんだ。男の子の名前としてはちょっと可愛い名前だと思ってたけど、キリストさんから付けてるんだ。
その後、悠希ちゃんのお母さんが切り分けてくれたケーキを食べた。なんと、ケーキ屋さんも真っ青な美味しさだった。
今日は特に何も起こらなかったが、翌日の雨宮家ではちょっと不思議なことが起こっていた。
◇◆◇
翌日のクリスマスイブ。わたしは去年も参加した学校のクリスマスパーティーにきていた。
洋子ちゃんとともにグラウンドの一角にある三年生の集合場所に向かうと、既に学校に着いていた悠希ちゃんがこちらにやってきた。
悠希ちゃんがいきなりきいてきた。
「ねーねー。二人って昨日、わたしの家のカレンダーに触ってないよね?」
わたしと洋子ちゃんは顔を見合わせ、
「触ってないよ」
「カレンダーがどうかしたの?」
洋子ちゃんがたずねる。
「うん。大したことじゃないんだけどね、家のカレンダーは日めくりカレンダーなんだけど、今日の朝お母さんがカレンダーをめくったら、十二月二十五日だったんだ」
「え、今日って二十四日でしょ? おかしくない?」
洋子ちゃんが首を捻った。
「不良品だったってことはないの?」
わたしがたずねると悠希ちゃんは首を振った。
「破られた跡があるから違うと思う」
「そっか。うーん……どういうことなんだろう」
わたしは推理小説はけっこう読むので、それに出てくる探偵のつもりで考えてみる。まずわたしと洋子ちゃんは犯人じゃない。家におじゃましてすぐと、ケーキを食べるとき以外はずっと悠希ちゃんの部屋にいたし、トイレにもいかなかった。
「昨日って、わたしたち以外に来客はあった?」
「らいきゃく?」
「人はきた?」
「ううん。麻美ちゃんたちしかきてないよ」
じゃあ犯人は悠希ちゃんの家族ということになる。その中で悠希ちゃんは犯人じゃない。犯人だったらわたしたちにこの話をする必要なんてないし。ということは犯人は悠希ちゃんのお母さん、お父さん、桐栖くんの誰か。一番しっくりくるのは……、
「桐栖くんが破ったんじゃない? 二十五日が誕生日なんでしょ? 早くプレゼントがほしかったんじゃないかな」
しかし悠希ちゃんはまた首を振った。
「昨日話したよね。桐栖の誕生日はクリスマスと一緒に祝うから、プレゼントは今日もらえるの。だから二十四日のカレンダーを破る必要はないの」
「そっか……」
どういうことなんだろう。じゃあ犯人は悠希ちゃんの両親のどちらか、ってことなのかな。けど大人がそんなむだなことをするとは思えないし……うーん。
わからない。こういうときは、由那さんに相談するのが一番だ。
◇◆◇
クリスマスパーティーが終わったあと、わたしは袖村由那さんが住んでるアパートをおとずれた。
由那さんは美人で物知りで優しい大学一年生のお姉さんだ。わたしがわからないことでも、由那さんならすぐに答えを出してくれる。
わたしは由那さんの部屋のインターホンを押して近所迷惑にならない程度の声で呼びかけた。中から「はーい」という優しげでいやされる声が聞こえ、扉が開いた。きれいな黒い髪と雪のように白い肌をし女性が出てきた。由那さんだ。
「こんにちは由那さん」
由那さんは微笑みを浮かべ、
「こんにちは麻美ちゃん。そろそろ来るんじゃないかな、って思って部屋を暖めてあるよ。さ、入って」
「ありがとうございます。でも、どうしてわたしが来るってわかったんですか?」
「毎年恒例だからね。麻美ちゃんがクリスマスに不思議なことを訊きにくるの」
言われてみれば、去年も一昨年もわたしは由那さんのもとをたずねている。
ダイニングの椅子に座ると由那さんがオレンジジュースを出してくれた。それから、
「はい、これ。メリークリスマス」
「わあ! ありがとうございます!」
今年もまた小説をプレゼントしてくれた。文庫本が四冊、ハードカバーが二冊。ハードカバーは高価なので少し申し訳ない気がする。
由那さんが向かい側の椅子に座った。
「それで、今年はどういうことが起こったの? またお星様泥棒が出たのかな?」
「違います。今年はですね……聖夜が消えちゃったんです」
「……?」
これだけでは流石の由那さんも意味不明だと思うので、悠希ちゃんから聞いた話を詳細に伝えた。
「と、いうことがあったらしいんです。一体、どういうことなんですか? 悠希ちゃんの両親が犯人だとはとても思えないんですけど……」
少しの間、由那さんは人差し指を唇に当てて天井を仰いで考えていた。
「うーん……そうだねえ……。麻美ちゃんは誰が犯人だと思う?」
「確証はありませんけど、怪しさだけで言えば桐栖くんです。だけど、桐栖くんには動機がないんです。何回か話したことがありますけど、良い子なのでただのイタズラでもやったとは思えませんし……」
「動機、本当にないのかな?」
由那さんが小首を傾げてきた。
「悠希ちゃんの話が本当ならないです。だって二十四日のカレンダーを破って今日を二十五日にしなかったとしても、どの道今日お祝いがありますし、プレゼントも貰えますもん」
「それ、じゃないかな。動機」
由那さんが小さな声で言った。わたしは首を捻る。
「どういうことですか?」
「桐栖くんの誕生日は二十五日。だけど誕生日は毎年、二十四日……クリスマスと一緒に――悪い言い方をすると、クリスマスのついでに祝われてるってことになるよね」
「あ……」
確かに、そういことになる。プレゼントは一日早く貰えるし、ケーキも早く食べられるし、ごちそうも早く食べられる。だけど、その日は誕生日じゃなくて、クリスマスなんだ。いくら祝ってくれても、その日は誕生日じゃない……。
「お年玉をお正月前に貰ったり、クリスマスプレゼントをクリスマス前に貰ったりするのとはわけが違うと思うんだよね、誕生日のお祝いって。やっぱり誕生日は誕生日に祝われたいし、誕生日のプレゼントは誕生日に受け取りたいよ。なのにそれがクリスマスと混合されちゃったら、きっと嫌だよ。桐栖くんは自分の誕生日を祝ってほしかったから、二十四日のカレンダーを破いたんだと思う。せめて家の中だけでも、今日を自分の誕生日にしたかったんだよ」
悠希ちゃんたちは祝っているから問題ない、と桐栖くんの誕生日をおろそかにしてしまっていた。わたしたちも誕生日がクリスマスと混合されることに対して、深く考えていなかった。だけど、誕生日を祝われない側からすれば、それは寂しいかもしれない。七月生まれのわたしに当てはめてみると、七夕と誕生日が混合されるようなものだ。そんなのは、絶対に嫌だ。
わたしは椅子から立ち上がった。
「わたし、このこと悠希ちゃんに伝えてきますね」
由那さんは柔らかく微笑んだ。
「うん。そうしてあげて」
もうすぐ年が明ける。