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フルーツ・ドロップ

作者: 7016

・水間艿㮈(みずま にな)は、フルーツドロップを一つ口にほおばった。

・口の中に、パインの香りが広がる。

・カットされたパインの食感を思い出しながら、艿㮈はゆっくりと舌の上で溶けていくドロップを味わった。

・艿㮈は缶を逆さまにする 手のひらに赤色のドロップがひとつ転がる。

イチゴ味のドロップだ。

・機械によって作られ量産されたドロップ。

・本物のフルーツをしばらく食べていない。

・艿㮈は口の中に広がる甘さを感じながら、前に洗って食べたいちごの味を思い出そうとしたが、ドロップが溶けてなくなってもその味を思い出すことができなかった。

・次に手のひらに転がったドロップはメロン味だった。

・ ドロップを人差し指と親指ではさみ、レンズのようにのぞき込む。


・こうやって、のぞいてごらん。世界がいつもと違って見えるから。


・緑色の記憶 ・子供の頃の艿㮈・静かに笑う細身の青年・さしだされる緑色のビー玉

・川・蝶・畑・木・電柱・空。

・それらが、美しい緑色で彩られる。

・青年の名前は忘れてしまったが、彼が絵描きの仕事をしていたことは覚えている。

・彼はよくあちこちの公園や河原でスケッチをしていた。

・何度か彼の家に遊びに行ったこともある。絵がどれくらい売れていたのかはわからない。

・他に覚えていることは、彼が世界は色彩にあふれていることを自分に教えてくれたということだけだ。

・艿㮈は公園で本を読んでいた。いつの間にか青年が隣で風景や遊具をスケッチをしていた。

・「きみは、あの子たちといっしょに遊ばないのかい?」

・青年は艿㮈にそっと聞いた。

・「わたしは、本が好きなの。ひとりでいるほうがつかれないし」

・青年は微笑みながら、僕もきみと似ている、と艿㮈に言った。

・「だけど、たまにはちょっと休憩してみない?せっかく今日はいい天気なんだ」

・そういって青年は艿㮈にスケッチした絵を見せた。紙の上には蒲公英が描きあがっている。

・艿㮈は渡されたスケッチブックを開き、青年の描いてきた絵を順番にめくっていった。


・メニューブックをぺらぺらとめくる艿㮈を店員がときどきちらっと見る。

・なかなか食べたいものが決まらない。

・クリームパスタは先週食べた。ピザはちょっと高い。カレーは昨日家で作った。

・迷った末、艿㮈はオムライスを店員に注文した。

・店員はあわただしそうに厨房へオーダーを伝えると、次の客のテーブルへ向かっていった。

・艿㮈は色鮮やかなメニューを再びめくる。

・和洋中なんでもそろうファミレスの料理。

・鮮やかすぎる料理の写真にくらくらする。

・自分には到底こんな立派な料理は作れないと、艿㮈はメニューを見るのをやめた。

・空腹。

・今の自分は空っぽだ。

・いつから自分の生活は色あせてしまったのだろうか。

・ファミレスが賑わってきた。ディナータイムの始まりだ。店員の数も増え、なお慌ただしくかけまわる。

・絶妙なバランスでラーメンやら焼肉定食やらピザやパスタなどを運び、帰りにジョッキや積み上げられた皿などを持ち帰る。

・艿㮈は作られた料理が厨房から自分のテーブルに届けられるのを待っていた。

・やがてふっくらとしたつやつやの黄色いオムライスがテーブルへとやってきた。


・艿㮈の眼には一面の向日葵が映っている。

・それは一枚の絵だった。休日のため、普段は静かなはずの美術館は来館者で賑わっていた。

・子供が退屈しのぎに甲高い声をあげ、母親が大声で叱りかけ、あわてて口を押える。

・艿㮈は向日葵の絵から抜け、反対側の壁に展示されている大海原の絵に入りこんだ。

・静寂の海。

・水は空の色をうつし、太陽の光がきらめき波の形を浮かびあがらせる。

・あの頃青年と共有した色彩豊かな世界。

・艿㮈はこころが空腹になると、芸術に会いに行く。救いを求めるかのように。

・芸術家は日常の中にあるひとつひとつの点のきらめきを思い出させてくれる。

・赤・青・黄・緑・橙・桃・茶・紫・黒・白…無限の色彩が、世界を構成しているということを。

・自分を形作る無数の点。それはフルーツドロップに似ている、と艿㮈は思う。

・あの頃の青年は今どこで何をしているのだろう。引き続き絵を描き続けているのだろうか。

・艿㮈はこれまで味わってきた絵の数々をひとつひとつ心に浮かびあがらせてみた。

・湧き出る清流の源泉、巨翼を広げ青空を舞う旅客機、白く輝く雪原、赤くもえる紅葉の葉、ぬくもりのある裸婦、銀色に光る雨上がりの坂、夜空に煌めく七色の花火。透明な水に集まる蛍たち。

・もしかしたら、自分と彼はすでにどこかですれ違っているかもしれない、と艿㮈は想像した。

・地下鉄の駅で、街の大通りで、どこかの美術館で、よくあるファミレスで、静かな公園で。

・艿㮈は自宅のテーブルで、缶に入ったフルーツ・ドロップをじゃらじゃら振ってみた。

・明日はどんなドロップとめぐりあえるだろう。艿㮈は色彩で満たされた眼を大切に閉じて眠った。


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