其の二
「社長、四門社長」
四門と呼ばれた男は目を開く。
学者のように冷利な瞳をしているが、身体は鍛えられ引き締まっている。
一見、ビジネスマンのようでもあるが、その威圧感は暴力の世界に身を置くもののそれであった。
四門は口を開く。
「どうした?」
「あと10分ほどで着きます」
運転している男の言葉に、四門は頷く。
四門の乗るリムジンの窓の外は、夕闇に沈みつつあった。
あたりは、廃ビルの並ぶ廃墟のような街である。
多少は物騒な場所ではあるが、防弾ガラスで守られた装甲車のようなその巨大なリムジンは襲われたとしても、容易く返り討ちにできた。
「王との約束の時間まで、あとどのくらいある?」
四門の言葉に運転している男が応える。
「20分ほどありますね。はやくついてしまいますが、時間をつぶしますか?」
「いや、かまわない。このままいこう」
四門は、少し伸びをする。
リムジンには運転している男と、あと三人の男が乗っていた。
皆、アメリカの傭兵会社から派遣された、屈強の男たちだ。
多少、大げさな気もするが武闘派のチャイニーズマフィアと話をするのであるから、むしろ手薄なのかもしれない。
ただ実戦経験のあるSEALS出身のツーマンセル二組なら、相応の働きはするはずだ。
保険としては、十分といえるのだろう。
リムジンは少し細い路地のようなところへ、入ってゆく。
「細かい道に入るのだな」
四門の言葉に運転している男が応える。
「工事で閉鎖された道が多いもので。すぐ抜けます」
リムジンが曲がり角を曲がったところで、20メートルほど先に人影が見えた。
黒い影のような人影は、手になにかを構えている。
どん、と音が響いた。
血飛沫があがる。
防弾のフロントガラスを砕いた銃弾が、運転している男の頭を貫いたのだ。
残りの三人の男たちは、素早く反応する。
助手席の男はまずエンジンを切り、サイドブレーキを引く。
助手席の男と、四門の隣に座っていた男は拳銃を抜くと外へ飛び出す。
助手席の男が前衛で、四門の隣にいた男がバックアップだ。
四門の向かい側に座っていた男が銃を抜き、盾となる。
そのとき。
今度はもっと大きな轟音が響いた。
そして、何かが爆発したように、閃光があたりを覆う。
四門の盾となっている男がつぶやいた。
「スタングレネードか!」
光と轟音が消えたとき、影のような男はすぐ目の前に来ていた。
一瞬光が閃いたかのように見えると、前衛の男が頭の半ばを断ち切られて倒れる。
白い脳髄を溜めたお椀のような頭骸骨が、地面に落ち滑っていく。
それが、横なぎにされた日本刀の一閃によるものだと理解するのに、数秒かかった。
驚くべき太刀筋である。
バックアップの男が拳銃を撃つ。
間違いなく、影のような男の胴に着弾したはずであるが、男の動きはとまらない。
おそらく9ミリ弾では、ボディアーマーを貫通出来なかったのだろう。
再び日本刀が閃き、拳銃を持った右手がリムジンのボンネットに落ちる。
金属のような輝きを持つ、血飛沫があがった。
影のような男はさらに刀をふるい、頸動脈を断つ。
バックアップの男は、吹き上がる血のなかに崩れ落ちた。
盾になっていた男は、助手席に移りエンジンをかけサイドブレーキをはずす。
死体を運転席に置いたまま、ギアをバックにいれその場を離れようとする。
影のような男は、片手に銃を抜き撃った。
防弾ガラスは再び砕かれ、男の頭を貫く。
運転席は血に染め上げられた。
四門はむせ返るような血の臭いの中で、呆然とする。
プロの手練を片付けるのに、おそらく一分もかかっていない。
たったひとりの男にも関わらず。
スペシャルフォース一個小隊ぶんくらいの働きをしている。
ありえない。
そんなことができるとすれば、それはもう、怪物としか言いようが無かった。
影のような男は、後部席のドアの前に立つ。
銃声が轟くと、ドアのロックが破壊された。
男は無造作のドアを開け、四門に声をかける。
「車から降りてもらおう」
四門はその言葉を無視し、平静を装って言い放つ。
「おまえが何ものかは知らんが、このあたりで手をひいておけ。ただではすまんぞ」
男はそれに応えず、日本刀を突き出した。
四門は突然走った激痛に、悲鳴をあげる。
膝の上に何かが落ちた。
耳の切れ端。
血が首筋を濡らしてゆく。
四門は、嗚咽をとめることができない。
「もう一度言う。車から降りてくれ。今度指示に従わなければ、目をえぐる。契約では命をとらないことになっているが、無傷でということにはなってない」
四門は車から降りた。
足の震えを押さえられない自分に苦笑する。
暴力には慣れているつもりだった。
ふるうこと、ふるわれること両方に。
しかし、今目の前にいるその影のような男には、次元が違うものを感じる。
「まず、その廃ビルに入れ。それからあんたの部下に電話だ。指示に従えば止血もしてやるしモルヒネもやる」
「ひとつ聞いていいか?」
四門の歩きながらの問いに、男は応える。
「指示にさえ従うなら、なんでも聞いてやるよ」
「あんたの名前を教えてくれ」
影のような男は、狼のように笑った。
「百鬼だ。亜川百鬼」