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恋愛もの

ラーメン、つけ麺、チョコレート

作者: 腹黒ツバメ



〈ラーメン、つけ麺、チョコレート〉



 俺はイケメン。

 本名はイケメン、あだ名もイケメン、もちろん容姿もイケメンだ。

 自意識過剰とかでは断じてない。そりゃ容姿端麗である矜持とかは多少あるが、それも客観的に見て顔立ちが優れているという純然たる事実の上だ。

 そんな整った(おもて)を緊張に固めて、俺は路肩に停めた愛車の運転席に深くもたれ、幾度となく深呼吸をした。

 今待ち侘びている恋人とは日常的にデートを重ねてきた仲だ。プロポーズはまだだが、胸の内では既に一生を共に過ごすと誓っている。

 とはいえ二月十四日――情念と智略、そして甘味が飛び交うバレンタインデーである。昂る鼓動を抑えろという方が無理難題だろう。

 ふと、右脇のミラーにこちらへと駆け寄る影が映った。

「イケメンくん、おはよー!」

 彼女はデブちゃん。

 本名はデブ、あだ名もデブ、もちろん容姿もデブだ。

 我が愛しき伴侶の尊厳のために言っておくが、彼女は“デブ”であって“ブス”ではない。詳しく説明するとすこぶる長くなるので割愛するが、そこは常に念頭に置いていて頂きたい!

「おう、おはよう、デブちゃん」

 助手席へ彼女を招き寄せる。扉の外から吹きつける風は冷たかったが、俺は彼女の屈託ない笑顔に夢中で、さほど気にならなかった。ぽっちゃりかわいい。

「今日はどうするか?」

 尋ねながら、眼球はデブちゃんの胸中を探ろうとしきりに、しかし隠密に動き回る。

 なにを隠そう今日のデートはデブちゃんの発案だ。この日ばかりは女の子が主人公。俺の方から『チョコちょうだい』などと野暮な台詞は言わない。絶対に。

「んー、どうしよっか」

 ふっくらした顎に指を添え、悩む素振りをするデブちゃん。

 なるほど、時期尚早ということか。もっと場の雰囲気を盛り上げてから本命の登場を狙っているのだろう。

「じゃあ、とりあえずドライブでもしようぜ」

「うん!」

 そう切り出して、俺はエンジンをふかした。デブちゃんの抱えたいつものバッグ、あそこに甘い甘いチョコレートが隠されているんだろうな、と推測しながら。

 やはりバレンタインは智謀戦だ。



 適当に街道を車で駆け回る。

 ここまでは常時のデートと大差ない。いつも「あっちへ行こう」「こっちが気になる」と、目的地もなく気ままに走るのが、俺もデブちゃんも好きだった。

 しかし、今日は特別な日だ。さりげなく、ムードのある場所へと誘導する。すんなり成功。きっと彼女も時機を見計らっているのだ。

 そして俺たちは――


 極寒の海に辿り着いた。


「いやいやおかしいだろ!」

 突然、駐車した背後からけたたましいクラクションと激しいツッコミが襲う。

 振り向くと、そこには一台の軽自動車。運転席には嫌味な顔つきの男が跨っている。ついでに独り身で。

 溜め息ひとつ、お互いに車から出て相対する。

「誰がデートスポットに真冬の海沿いの崖を選ぶ⁉」

 彼はヨコヤリ。

 本名はヨコヤリ、あだ名もヨコヤリ、もちろん性質もヨコヤリだ。

 つまりこの騒がしい猿野郎はデブちゃんに惚れていて、その恋仲である俺にやたらちょっかいをかけてくる不埒野郎である。馬に蹴られろ。

「寒いよ! 大シケだよ! バカップルの上に馬鹿かおまえは!」

「うるさいな、ヨコヤリ。寒いのはおまえが孤独だからだよ」

「余計なお世話だ!」

 ふたりきりの蜜月を邪魔されて不機嫌な俺は、棘のある口調で問答をする。ストーカーの分際で常識人ぶりやがって。てか、わざわざ車で尾行してきたのか。なんて迷惑な奴だ。

「もう、ヨコヤリくん? あたし、あなたの告白はきちんと断ったはずじゃないの。つきまとうのはやめて」

 そう言ってデブちゃんは、俺の腕にぎゅっと絡みつく。ぽよんと柔らかい感触。さっきから波飛沫で強烈な冷気が押し寄せてきているが、これなら世辞抜きで気にならないわ。

 公然とイチャつく俺たちに殺意で歪んだ視線を突き刺しながら、ヨコヤリが心底悔しそうに歯を軋ませる。おお、嫉妬って怖いね。

「そうだ。チョコレートあげるね、イケメンくん」

「お、本当に?」

 執念深いヨコヤリに見せつけてやるつもりなのだろう、バッグを胸元に掲げたデブちゃんがとびきりの笑顔で言った。当然、俺の表情も蕩ける。ヨコヤリはというと、ハンカチを噛んで地団太を踏んでいる。昭和か。

 そして取り出されたのは、ハート型の包装。赤を基調にした縞模様で、掌ほどの大きさだ。手まめな彼女のことだ、きっと手作りだろう。

 もう無粋なお邪魔虫は存在しないものとして、情熱的に見つめあう。

 なぜか過剰なまでに――それこそキスしそうなほど――近寄って、極上のチョコの譲渡が行われようというその瞬間、事件は起こった。

「ごがばうおあああぁ‼」

 人間のものとは思えないほどの奇声が何処かから発せられる。出所は――考えるまでもない、あの可哀そうな男だ。あまりの妬みに気狂いでもしたか。

 ヨコヤリは目にも止まらぬ速度で俺たちに接近し、慟哭を撒き散らしながらチョコをデブちゃんの手から奪取、そして、


 海の向こうへ放り投げた。


 一瞬、俺たちの時が止まった。

 赤い放物線が青空を真一文字に切り裂く。

 ――野郎、なんて真似を……

 脳内でヨコヤリに対する心の限りの悪罵が巡る。

 今すぐにでも野郎に掴みかかり、押し倒し、あの不細工な面をボコボコに腫れさせてやりたくなる。

 しかし現実にはそんな場合ではない。ヨコヤリが、デブちゃんが今どんな表情をしているか窺う余裕すらなかった。

 遠い水平線に消え、海の泡沫となるチョコの末路を想像すると、俺の方こそ気が狂いそうになった。

 だから俺は、本能に忠実に従った。

 無言で正面から断崖絶壁と向かい合う。デブちゃんたちからの制止はない、ただ茫然の眼差しを一身に感じる。気づけば俺はガードレールに片足をかけていた。

 顔を上げれば、チョコはもう小さな点になっていた。今さら腕を伸ばしても、どうせ届きはしない。もう手遅れだ。

 ――知ったことか。


 そして、イケメンが宙を舞った。



 ★



 眼前に異様な迫力を感じ取り、俺は我に返った。

 その威圧感を携えた背中が、崖下へと身を投げた――いや、違う。

 背中は――イケメンは、遙か彼方を飛ぶチョコレートを追ったのだ。他でもない、俺が投擲したチョコレートを。

 隣のデブさんは、口に手を当てて空中へと目を瞠っている。目の前の光景が信じられないとでもいうように。

 しかし、それは俺も同じこと。

 ただ見ているしかできない。自分の責任だと後悔に浸る心の余裕すらなく、非現実的な光景に目を奪われるばかりだ。

 晴れ渡る大空を一直線に駆けるイケメンの姿は、悔しいがやはりイケメンで(意味不明)。

 そして、

 必死に伸ばした彼の腕が、包装と重なった――気がした。



 ★



 まぶたが重い。

 この季節になると毎朝首をもたげる、寝起きの倦怠感。

 もう少し眠っていたいと布団を鼻先まで持ち上げ、ふと慣れ親しんだ布団に薬品の匂いが混在している気がして、恐る恐る瞳を開く。

「え」

 すると、デブちゃんの顔がいきなり視界に飛び込んできた。

「イケメンくん起きたの⁉ よかった!」

 しかしそれも束の間、驚いて身体を起こすよりも先にデブちゃんが俺の上半身を強く抱き締めた。

「もが……!」

 自然と彼女の肉体の、特に柔い部分に顔を埋める格好になってしまう。思わず身体中が熱くなる。

「よかった! 本当によかったよぅ……」

「むぐ……ちょっと……どういうことだって!」

「イケメンくーん!」

 駄目だ、会話にならない。

 とはいえ、大方の事情は把握できた。

 恐らくここは病院のベッドだ。海に落ちた俺は救急車でここへ運び込まれたのだろう。そして、今しがた失っていた意識を取り戻した。正直跳躍した瞬間は死んだと思っていたので、追想するとむしろ拍子抜けだ。

 ……それより、問題は現在の危機をどう乗り越えるか。

 先ほど言葉を発するために辛うじて彼女の胸の圧迫から脱したものの、犯罪的な抱擁はすぐに復帰してしまった。

 デブちゃんとは普段からイチャラブしているが、実を言うと……、その……さほど大胆な行為に及んだ経験はないのだ。寝起きなのも災いして、俺の下半身では元気印が屹立しており――詳細を解説するのはやめておこう。この小説をR15にはしたくない。

 とにかく危険な状態なのだ。倫理的もしくは生理的に!

「な、なあ。そういえばヨコヤリは?」

「知らない、あんな人!」

 一蹴である。まあ、尋ねておいてなんだが、俺もどうでもいい。どうせすごすごと帰ったのだろう。

 それにしても、なんて心地いい感触なんだ、デブちゃんのおっぱいは。肉づきは供給過多なくらいだが、張りがあって、今にも先端がシャツを突き破りそうじゃないか。俺の局部も布地を貫きそうになる。

「っ――! やべ!」

 興奮状態の頭に血が上り、ある波濤を感じ取った俺は、強引にデブちゃんの肢体を引き剥がす。ちょっぴり名残惜しいと思ったのは秘密だ。

 狼狽してそっぽを向いた俺を、デブちゃんが心配そうに上目遣いの眼差しで覗き込む。

「ど、どうしたの? 大丈夫?」

「いや、その……海でチョコ食べたから」

 更に目線を逸らすと、病院の庭を一望できる窓ガラスがあり、綺麗に磨き上げられたそこに映った自身の顔とばっちり目が合った。

 ――苦しい言いわけだな。

 だが、嘘は言っていない。海面へ落下する寸前、俺は奇跡的にチョコを掴んでいた。そして、無我夢中に頬張った。海水にまみれてしまえば、まさに手遅れだから。

 そう、俺はチョコを食べたんだ。

 窓に映る俺は、だらしなく鼻の下を伸ばし、一条の鼻血を垂らしていた。

 しかし、そんな邪な情動に歪んだ容貌もまた、掛け値なしのイケメンだった。







 読んで頂きありがとうございます!

 男性向けの恋愛作品に求められるはやはり美少女――というわけで、敢えて“デブ”というカテゴリーエラーな存在をヒロインに据えてみました。逆に主人公は絶世の美男子となっております。誰得。いや、ぽっちゃりした女の子も好きですけどね。

 作中では独り身の男性を卑下する文章が随所にありますが、私も絶賛“物書きが恋人”状態でございます。毎年二月十五日はなぜかチョコが安くて嬉しいなあ! 嬉しいなあ! ……はぁ。


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