佐井田さん、雨になる。
振り返るとそこには、
真っ黒い背景の中、
浮かび上がる白い、人影。
前より
ずっとずっと
白い。
「、かたにくん、」
目を見張る彼。切れ長の目が大きく開かれる。
「さいださん、、」
「っ、、」
なにかしゃべらなきゃ、、、
そう思うのに、
言葉が出てこない。
必死に言葉をつむごうとするのを、
香谷くんが区切った。
「もしかして、バス、、行っちゃった、?」
「、っ、」
ううんと、言おうとしたはずなのに、
私の頭にぐっと掠めた黒い想いが、
それを引き止めた。
(きっと頭を縦に振れば)
ーーーきっと頭を縦にーーーー
私の目に
地面が映っていた。
香谷くんはこう言った。
「じゃあ、うちに来たら。」
暗い雨の中に白い肌が見える。
香谷くんは自分の指している傘をこちらに傾けて「入りなよ」といった。
ーーーーなんで。
なんで、優しくするの。
だってこんなに、
こんなに。
わたしは、、っーーーー
香谷君の左手がゆっくり近づいて、
わたしの右手首を掴んだ。
「止まってないで。早く入りなよ。」
大きく傾いた体は大きな傘に収って。
体温がわかるくらいの微妙な距離を保ったまま、バス停とは反対方向に歩きだした。
心臓がこの上なくうるさい。
この距離のせいじゃない。
そうじゃない。
バスが。
もしバスがまだ来てないだけってかたにくんにばれたら?
ばれる、、、
ぜんぶ。
はやくはやくはやく
ザーーーーーーーーーーーー
あたしは雨音に必死に耳を傾ける、
どうか、どうか、
まだこないでください。
ザーーーーーーーーーーーー
どうか、どうか、もっと雨が降ってください、、、
ハヤクハヤク、、、、、
モットモット、、、、、
ブーーーーン、、、、
キキキィ!!
雨音の中に異様にも響く無機質な音。
バスの音だけに集中していた私は、
「っ、!」
おもわずその音に足を止めてしまった。
「ご乗車ください、こちらは、、、、」
あぁ、もうだめだ。
わたしは
意を決して
香谷くんを見上げた。
その時の香谷くんの顔は
「佐井田さん、濡れる。」
まるで自分が濡れてる子犬のようなかおだった。
なのに私は忘れてしまった。
突然違う熱を持つ右腕。
そう。
それに夢中になってしまったから。
(腕がつーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっつつ!!)
頭で思考回路を処理し切れなくて、
思わず下を向く。
なっつ、、なっつっつつ!!
「佐井田さん、なんていおうとしてたの」
こえがみみに
ひぃっひびぃくーーーーーーーーーっつ!!
『傘の中で声が反射している。』から。きっと、そうか、そうだ、きっとそうだ、ほぼみみもとできこえる気がする木がする奇がするの、、、、、、
あわわわなにいってんだ、自分っつ!
「な、なんでもないっつ!」
「そう、。でもよかった、来てくれて。」
えっ、、
きてくれて
よかつた?
それって、、、!?
「クリームスープ、バゲット手付かずだし、手伝ってくれないと困る。」
、、、、。
、、、。
「、、、え?」
「佐井田さんぐらいがっついてくれる人じゃないと。一人じゃ無理だわ。」
「はいっつ!?」
「だいじょうぶ、スパゲッティカツどん食べてるぐらいなら、俺より余裕だよ。」
ニヤリ顔でこちらを見る。
「ちょっと、っ!って、見てたの!?」
「うん、先週の水曜くらい。」
「そう、、水曜くらいにお昼に。て、そういうこと言ってるんじゃなくて!」
「トマトソースととんかつソース合わせるとうまいから完食しちゃうよな。」
「うん、そう、意外においしくて、完食、、て!なんでそこまで知ってるのっ?!」
「まじこの季節食べ物腐らせないようにするの大変だよな~、」
「なんか話ずれてませんか?!てかそれ主婦の発言だし!」
「主夫はたいへんなんだよ、荷物持たないといけないし。」
「あっ!、、香、かたにくん、
持つからっ
いいよっつ!」
「いいから。じゃ、傘、代わりに持って。」
返事をせずに、傘を受け取る。
顔を見ることもできず、なおかつ微妙にくっついたままの右腕をこちらから離すことができずに、
遠くにバスが去る音を聞きながら、、、
また無言になる。
なんとなく気恥ずかしさに下を向く。
すると、
(なにやってんの)
(嘘ついちゃってさ)
(人の良さを利用してさ)
うそ。
嘘の自分。
見事なまでに映し出す水たまり(鏡)。
そうだ。
香谷くんは、
付き合っている人がいる。
はっとした私を打ち付けるかのように雨の音が激しくなる。
大きな傘の下、私の気持ちに反比例するように、
ぐっ!
腕の距離はもっと縮んだ。
「い、やっ、」
思わず出た声に自分で驚く。
「いや?」
それを
香谷くんの上から見られる顔に
「っ、いや、なんでもないです。」
何も答えられなくなる。
香谷くんは私よりずっと大きいから。
ーーーそう思ってたんだ。
だから忘れてたんだ。
さっきの子犬のような香谷くんも。
それと同じくらいに見えたあの後ろ姿も。
いや、
きっと気づいた。
気づいたのに見ないふりをしてた。
忘れたふりしてたんだ。
そう思っていたかっただけなんだ。
「お風呂、お先しました。香谷くんありがとう。」
「うん。はい。これお茶。」
「あ、ありがとう。」
結局おふろまではいちゃったよー
結局今日で何日めなんだ、、
いちにーさん、、
「、、、、、」
「、、、、、」
「ーー結局今日も泊まっちゃってるし?ーー」
ぶふぉっつ!!!!!!
「杏だいじょぶ?」
げっほげっほげっほごっほ!!!!
だっだぁれっの、げほ!せいだ!とっ!!
「べつにきにしなくていいからなー、ケーキ全部食ってくれるなら。」
なっ!、!てかもう入りません!!ギブです、ギブ!クリームスープでカルシウムは充分とれてますーーー!!!
ぎゃっ!!!てか目の前に持ってきた!!!
ほんとはいらんてーー!!!
ブブッ
「あ、香谷くんケイタイなっ、た」
「」
「」
『原田さん』
原田さんと
ライン
してたんだ。
「、じゃ、俺もふろ入ってくるわ。」
香谷くんと携帯が一緒に浴室へ消えていく。
いや、
いや!!
まって!!
「か、かたにくん!」
口を紡いでももう遅い。
呼び止めてしまった。
後ろ姿のままだ。
「つきあってるんだよね?」
ゆっくりと振り向く香谷くんが、
こわい。
「その
原田さんと、、、。」
香谷君は
まっすぐ私をみた。
「うん。」
香谷くんは口角をあげた。
口角って言ったのは、あたしの必死の願望。
「やっぱりね~。」
若干震える声
気づかれただろうか。
「じゃ、ふろ入ってくる。おやすみ。」
バタンッ
閉められた扉に背をむけたら
知っていたはずのこの頭は、
この頭なのに、、、。
思考回路を止められなくて
心臓がぶしつけにうごめいた。
それを正そうと階段を昇る。
必死に左胸を右手握りこぶしで打ち付け続けて
とまれ、と息を深く呼吸しながら。
でなければ
でなければ溢れそうで、、、、
『溢れそうで、、、?』
そこではたと気づく。
なんて自意識過剰なんだ、と
きっと香谷くんは気づかない。
明日私の目が赤いかなんて。
いや、気づいたとしても。
ほんとはそんなのきっと
どうでもいい。
そう思うと
ついにとめられなかった。
でも上を向けなかった。
ずっと上から
誰かが
『だから言ったでしょう』と言っていたから。
それでも形すら床に残さないようにと
わたしは体操服をぐちゃぐちゃに胸に抱きしめて、丸まった。