#2 温室
昼休み。
大きな楽器ケースを背負ったサチは、保健室で休むクローディアに頼まれ、学院校内の中庭に併設された温室へと向かった。
ここでは魔法薬に用いられる薬草が栽培されているが、それを専門に研究する研究室も併設されている。お使いの相手の生徒は普段この研究室にいる。
「ごめんください」
おそるおそる、温室の扉を開く。クローディアの話によれば、ヴェルナ・ハンニネンというその生徒は昼休みの間、この温室で薬草の世話をしているという。
生前のユリーカはこの研究室を根城にしており、ヴェルナはその弟子なのだという。つい最近まで二人で行っていた水やりも、ユリーカは死に今はヴェルナ一人でやっているらしい。
温室の中は、じめじめとした湿っぽい空気に包まれていた。初めて足を踏み入れたサチに、通路の左右からコンニチハとあいさつでもするかのように葉を茂らせているのは、学校の外では到底見られないような、緑色の肉厚の葉が大きく鮮やかな植物たちだ。
「誰?」
温室の奥から声がした。
「クローディアさんのお使いで来ました」
「先輩の?」
「はい」
「こっちまで来てもらえる?」
クローディアのことを「先輩」と呼ぶ声は穏やかで、敬意を込めたものだ。他の生徒たちのクローディアに対するそれとは大きくかけ離れている。どうやら本当に知り合いらしいなと思い、サチは温室の奥へと足を進めた。
サチが温室の植物の葉を押し退けて作業場に入ると、そこにいたのはウェーブのかかった銀髪の女子生徒だった。ロアノールの制服の上から白衣を羽織り、ジョウロを片手に目の前の植物から葉を摘み取っている。
「ヴェルナ・ハンニネンさんですか」
「そういうあんたはサチ・ホシノね」
サチが見える距離まで近づいても、ヴェルナはサチに一瞥もくれなかった。緑の葉を摘み取り終わると、今度はその隣の紫色の珊瑚のような菌糸を根元から折り取って収穫している。
「ヴェルナさんは、どうしてわたしの名前をご存じなんですか?」
「そんなに固くならなくてもいいわよ、同級生だもの。何よその顔。知らなかったの?
あなた有名人よ。『NIGHT RAVENを壊滅させた三年生』とか『NIGHT RAVENが最後に救った三年生』とか。ウワサなんかあたしは別に興味ないけどね。
で、有名人さんが何の用? あたしこう見えて結構忙しいんだけど」
「クローディアさんからこれを届けるように言われたんです」
そういってサチは背中に背負っていた楽器ケースを床にトスンと置いてその前にしゃがむ。
黒い革の外装、その一部には金属製の簡易錠がかかっている。2つかかったロックを外し、サチはケースをパカッと開いてみせた。
内装の赤い保護材の中に鎮座するのは、ユリーカの遺した魔奏器『新世界より』である。大小さまざまのフラスコとそれを繋ぐガラス管が複雑に入り組んだ、実験装置のような見た目の魔奏器。
作業の手を止めて近づいてきたヴェルナも、魔奏器にはさすがに大きな反応を示した。ケースの中を覗き込み、瞳を輝かせる。
「師匠の魔奏器……どうしてこれがここに?」
「ユリーカさんが遺言に書いていたそうなんです。もし自分が死んだら、魔奏器はヴェルナさんに譲ってくれって」
「そう……」
ヴェルナはケースに手を入れ、魔奏器を持ち上げた。
両手にずしりとくる重量感。ヴェルナの表情が、一瞬だけぱあっと明るくなる。
「……やっぱいいわ」
しかし明るくなった表情はすぐに曇り、ヴェルナは魔奏器をケースへと戻してしまった。
「これは学校に返すべきよ」
「そんな!」
「あんたね、この子がどんな魔奏器か知ってるの?」
「あんまり。ユリーカさんが使ってたものだったってことしか」
「この『新世界より』はね、ありとあらゆる魔法薬を自在に生成・調合できる究極の魔法薬製造機なのよ。相手の命を一瞬で奪う猛毒から、尽きかけた命を繋ぐ生命の薬まで、何でもかんでも自由自在にね」
「え、そんなに凄いものなんですか」
サチの目にはただの珍妙なガラス工芸品にしか見えない。だが、ヴェルナがウソを言っているようには見えなかった。
「こんなの、あたしじゃ使いこなせないわ。『新世界より』を使った調合には、作りたい魔法薬を正確に思い描ける知識と思考力、そして人並み外れた集中力が必要なのよ。今のあたしにはそんなの無理」
「でも……。ユリーカさんがヴェルナさんにこれを譲ろうとしたんですよ。訓練すればいつかは使えるようになる、それを見越していたんじゃないでしょうか」
「訓練すればいつかは、ね。でも今はそんなことを言っている場合じゃないのよ。それはあんたが一番よく分かってると思ったんだけどね」
「どういうことですか?」
「見たんでしょう、『魔女の臓物』を」
サチはヴェルナの目を見ることができなかった。
『魔女の臓物』。ルイスはそれを「魔女の力が不完全に顕現したもの」と言っていた。かつて暗黒の世界を作り出し人類を恐怖に陥れた魔女シャリオが、滅ぼされる間際に放った「瘴気」。薄く、世界全域に広がったそれは、七年の時を経て魔力を蓄え、現代に魔女を蘇らせようと『血球』や『臓物』となって蠢いている。
ルイスの言葉を借りれば「不完全」である『臓物』ですら、人間を何人も容易く喰い殺した恐怖の魔獣である。その強さを、恐ろしさを。サチのその目が、耳が、肌が。震え上がるほどに覚えている。
「師匠たち3人の犠牲だけで倒せたのが奇跡みたいなものよ。ううん、むしろあの3人だったから、犠牲もそれだけで済んだと言ってもいい。
次に『臓物』が出たら、3人どころじゃなく人が死ぬでしょうね。だったら、あたしなんかよりずっといい使い手に使ってもらって、戦える魔奏士が一人でも多くいたほうがいいと思うの」
サチは言い返すことができなかった。
今、このケースの中に納まっているのはただの遺品ではない。『魔女の血球』、そして『臓物』に唯一対抗しうる武器なのだ。
「……でも」サチは魔奏器を見つめて呟く。「でも、わたしはヴェルナさんにこれを使ってもらいたいです」
「話聞いてた? この子にはきっとあたしより相応しい使い手がいるだろうって言ってるの」
「わたし、湖に落ちて死にかけてたところを、ユリーカさんに命を救われたんです」
サチはユリーカのことをほとんど何も知らない。彼女と言葉を交わしたのはあの日のほんの数十分程度だけで、しかもその間のほとんどの時間、ユリーカは酔っぱらっていた。
「だけど、何もできませんでした……ユリーカさんが『臓物』に殺されても、仇を取ることすらできなかったんです。だからせめて、ユリーカさんの最期の願いだけでも叶えてあげたくて」
黙りこくったままのヴェルナの顔を、サチは見上げる。
「ヴェルナさん。『新世界より』を受け取ってもらえませんか。ユリーカさんの願いを、ヴェルナさんに受け継いでほしいんです」
「……呆れるほど強情な子ね、あなた。なんだか昔を思い出しちゃったわ」
「昔?」
「気にしないで。こっちの話よ。あんたがそこまで言うなら、受け取ってあげてもいいわ」
「ほんとですか!」
「ただし」喜ぶサチの前に、ヴェルナは手の平を突き出す。「条件がある。サチの見た師匠の最期について、教えてもらえないかしら」
「ユリーカさんの?」
「ええ、そう。学校の公表している情報では『魔女の臓物』が出て、偶然居合わせた3人の魔奏士が……師匠たちが、相討ちになったってことだけ。
知りたいの。死ぬ前の師匠がどんな風だったのか」
サチの見たユリーカはその大部分の時間で酩酊していた。だがサチが正直に話したその事実を聞き、ヴェルナは笑った。酔ったユリーカがどんな行動をとっていたのかこそ、ヴェルナは聞きたかったのだという。
すっかり2時間ほど話し込むと、いつしかサチはヴェルナとユリーカのなれそめを聞かされる側になっていた。時間を忘れて話すうちに2人はすっかり打ち解け、サチが温室を出るころにはお互いを名前で呼び合うようになり、ヴェルナはサチがこの学校に来て初めて出来た友人となった。




