#6 閃光
「くそっ……」
肉が溶け、煙となって消えるすえた臭いが、生気のなくなった遊覧船のデッキに充満している。
その場にはセナを助けようと近づいたために両腕に酸を浴びてしまい、両肘から先を失ったルイスが残されていた。
酸によってむごたらしく焼けただれたルイスの人工皮膚。その下には鈍い鉄色の人工筋肉や骨格、それに赤や青のカラフルなチューブが露出している。ルイスは両腕を失った――――彼女が自律魔導人形でないただの人間だったなら、ショック死していてもおかしくはない重傷だ。
「おい新入り。生きてるか」
「……はい」
サチはクローディアの冷たくなった遺体を抱きかかえたまま、振り返ったルイスに答えた。
「お前だけでも無事に残って良かった。すまないが魔奏器を拾ってもらえないか」
私じゃ拾えん、とルイスはサチに自分の腕を見せつけた。
ルイスの足元には主を失ったユリーカとセナの、そして両腕を失ったために扱えなくなったルイスの魔奏器が転がっていた。サチはクローディアをその場に静かに寝かせ、ルイスの側まで駆けていく。
魔奏器はあの酸を浴びても傷一つついていない。魔奏器が放つ波動は、『血球』の浸食から魔奏士を守る能力がある――――そう学校で習ったことをサチは思い返していた。
その波動のおかげで酸に溶かされなかったのだろうか。だったら、ユリーカやセナのことも守ってくれればよかったのに。両手に二人の魔奏器の重みを感じながら、サチは道具に過ぎないそれらを恨む気持ちを抑えられなかった。
「……あ」
サチは足元に光るものを見つけてしゃがみ込む。
そこは先ほどまでセナがいた場所。酸を浴びて一瞬のうちに彼女が絶命した、最期の場所であった。足元の木床も酸で少し腐り始めており、『それ』は半分ほど床にめり込んでいた。
「指輪……」
セナが身に着けていた結婚指輪だ。サチが指輪を拾い上げると、酸のツンと鼻をつく匂いと、死体の腐ったような酷い腐臭がこびりついていた。サチはそれにも構わず、周囲を見回してそれと対になるもの――――ユリーカの指輪を探し出した。
「それ、指輪か」
「はい。お二人の……」
「そうか。それはお前が持っておいてくれ」
「えっ?」
「私はこんなだからな。お前の手でロアノールへ届けてほしい」
「……わかりました」
サチは拾った指輪二つを丁寧に、制服の胸ポケットにしまった。
「こんなことになって、本当に申し訳ない。新入りのお前を、まさかこんな危険な目に合わせてしまうとは」
「……ルイスさんは強いんですね。みんな死んだのに、わたしの心配なんか」
「私は機械だからな。感情というものが備わっていないんだ。だから仲間が死んだといっても何も感じることはない。だが人間がこういうとき、どういう感情を抱くかは理解しているつもりだ。
私が人間だったなら、怒りに任せてコイツを跡形もなく消滅させようとしただろうな。セナがそうしたように」
そういって、ルイスは目の前に横たわった怪物の遺骸に目線を向けた。
赤黒い表皮は黒っぽく変色しもう動いていない。セナに真っ二つに割られ、半分に切ったマンゴーのようにその内部をさらけ出している。
「コイツは『魔女の臓物』の一つ、『胃』だ」
「『胃』?」
「滅びた魔女の力が不完全に結集し、顕現したもの……だそうだ。それ以上の詳しいことは分かっていない。ただ、コイツらも生き物は生き物だ。切り刻めば殺すことだって――」
ルイスは、言いかけた言葉をそこで飲み込んだ。
セナの最期の一太刀は、『胃』の息の根を止めた。そのはずだったのだが。
サチとルイスの周囲に沸いて出た『血球』たちが、一目散に『胃』へと集まり、その傷口へ我先にと潜り込んでいく。『血球』が飲み込まれていくと、次第に『胃』の表皮は赤さを増していき、その蠕動も大きくなっていった。
「コイツ」
「再生してる……?」
半分に裂けた胃袋だった空間から次第に強くなる、酸を含む消化液の鼻を突く匂い。サチは思わず半歩体を引いたが、ルイスは微動だにしない。
それどころか、少し目線を下げたルイスは口元を少し緩めて笑った。
「ふっ」
「ルイスさん、一旦逃げましょう」
「サチ。ロアノールに帰ったら、ムツミによろしく伝えておいてくれないか」
「ムツミ……?」
「私の妹だ。ムツミが『心』を理解するまで見守ってやりたかったが、そうもいかなくなった」
半身をひねり、ルイスはその場でサチを後ろ蹴りした。
腹を蹴られ、後ろへ吹っ飛ばされるサチ。その反動で、ルイスは前――――怪物の『中』へと飛び込む。
両腕を失ったルイスに残った武器は一つだけ。『胃』や『血球』が人間を喰い殺して貯め込んだ高濃度の魔力を、自らの魔導動力炉に取り込み臨界を超えさせる。すなわち自爆機能のみである。
「ルイ、さ……」
サチはルイスの名前を呼ぶことができなかった。
横隔膜を押しつぶされ、サチの肺の中の空気は全部外へ出てしまったようだ。息を吸うことはできても、吐くことは難しい。ゲエゲエと声にならない音を口から発しながら、デッキに転がったサチはルイスに向かって手を伸ばす。
閃光。
爆裂音。
そして、散らばる光の粒。
それらが一気にサチの視界に押し寄せてきた。
津波と化したそれらがサチの意識をも飲み込み押し流す。サチはそのまま、暗い暗い、意識の闇の底へと落ちていった。
「NIGHT RAVEN」壊滅――――
その知らせは、聖ロアノール音楽学院にもすぐに伝えられた。生徒も教師たちも、最初のうちこそその知らせを何かの冗談だと思った。
だが、サチとクローディア、そして死んだメンバーたちの魔奏器が回収されると、誰も疑うものはいなくなった。
最強の魔奏楽団は、たった一体の「魔女の臓物」によって全員を惨殺されたのだ。




