#5 臓物
廊下を駆け抜け、階段を駆け下り、遊覧船の開放デッキに飛び出したところで、サチはようやくセナに会うことができた。
「セナさん!」
「サチ? クローディアはどうしたの」
セナは振り返りながら手にした日本刀を振り下ろし、『魔女の血球』――――スライム状の、赤黒い粘液の塊を切り裂いた。『血球』の中から飛び出した液体が黒紫色の蒸気となって蒸発する。
人間では赤血球が生命維持に必要な酸素を運ぶように、この『魔女の血球』は人間を捕食・消化して搾り取った魔力を運ぶ役割を持っている。この無限に生み出される『血球』に対抗できるのは、魔奏器の発する波動によって護られている魔奏士だけなのだ。
「艦橋に、怪物がっ」
「……そっか。サチ、絶対に私の側を離れたらダメだからね」
サチの背後から迫る5体の『魔女の血球』。一陣の風となり日本刀を構えてサチの横をすり抜けたセナは『血球』たちをすれ違いざまに切り刻む。『血球』のふにゃふにゃした表層部分を鋭く切り開くたびに、セナの刀は音を奏でる。
風のように軽快で、それでいて花園のように優雅な和音。敵を切ることで音を奏でる、それがセナの魔奏器『剣の舞』の特性である。
「セナさん、上っ!」
セナの周囲で影が濃くなり、セナが上を見上げる。開放デッキの開けた空の上から、艦橋にいた、あの怪物が降ってきた。
ドスン。
セナが飛びのき、木製の床を怪物が破壊して着陸する。怪物の触手はうねうねと蠢き、その中の一つにはクローディアがぶら下がっていた。
「……!」
いや、厳密には「ぶら下がっていた」のではない。
クローディアの腹部を触手が貫通していた。
すでにこと切れてしまったのかクローディアはぴくりとも動かず、うねうねと動く触手に合わせてぶらぶらと手足を揺らしているだけだった。流れ出した夥しい血液でクローディアの下半身は血まみれになっている。
もう助からない。サチは思わず目を反らした。
すぐ戻る――――サチはクローディアにそう約束した。だが、間に合わなかった。
「クローディアが喰われる前で良かった」
セナはサチに隠れていろと指示すると、刀を構えて怪物に突撃した。
吐き出される酸、そして鞭のようにしなる触手。それらを素早いサイドステップでかわしたセナが怪物の懐に入り込む。
ぬるぬるとした粘液質の表皮に足をかけて怪物の体を駆け上がるセナ。クローディアの遺体をぶら下げた触手に近づき、その根元から一太刀に切り落とす。
弛緩して解ける触手、落下するクローディアだったもの。空中でそれをキャッチしたセナは着地すると素早く怪物から離れ、抱きかかえたクローディアの遺体をサチの元へ連れ帰ってきた。
「クローディアをお願い」
「は、はい……」
サチはセナの目を見た。
セナやクローディアのことをサチは詳しく知っているわけではない。だがあの打ち解け具合、2人はただの楽団の仲間以上の浅からぬ関係だったのは想像に難くない。だがセナはクローディアの死を目にしても恐れるどころか悲しむ様子もなかった。
「セナさん、『あれ』は何なんですか」
「説明は後でもできるから、後でね。今は『アレに近づいたら死ぬ』ってことだけ覚えておいて」
再びサチに背を向け、日本刀を手に怪物に向かっていくセナ。
後ろから見ているサチには、その姿を目で追うのがやっとだ。触手の森を吹き抜ける暴風となったセナは、触手を次々切り落とし本体に近づき、「臓物」に刀を突き入れる。怪物が豚を締め上げたような苦しそうなうめき声を上げたところで、援軍が現れた。
「えいっ!」
刀を深く突き刺したセナ。その頭上から襲い掛かる触手が、空中で突然弾ける。
拳銃を構えて下部デッキからひょいと飛び上がって現れたのはルイスだ。
「そいつが親玉だな、セナ」
「うん。たぶんそう!」
吐き出される酸をアクロバティックに避けるルイスの動きはまるでアクション映画のそれである。左手の銃から一発、右手の銃からもう一発。寸分違わぬ精度で全く同じ位置に打ち込まれた弾丸が、怪物の表皮に穴を空けた。
「ユリィは?」
「もうすぐ来るんじゃないか」
怪物から一旦距離を取ったセナとルイスが並ぶ。
2人と一緒に出たはずのユリーカがいない。だがその理由はすぐに明らかになった。
げぼっ。べちゃり。
体に穴を開けられた怪物が内容物を吐き出す。
飲み込まれた人間のそれと思われる、どろどろに溶けて原型をとどめないほどに皮膚のただれた肉片。そして――――
からん。
軽い金属音とともに、それがデッキに落ちた。
銀色の、シンプルながらサチもよく知っているデザインの指輪――――ユリーカが身に着けていた、セナと揃いの結婚指輪だ。
「……!」
サチのいる位置から、セナの表情をうかがうことはできない。
しかし、その背中から放たれる気圧されるほどの殺気に、セナの今の表情は安易に想像できた。
目は見開かれ、歯は食いしばられ、鼻から出た呼気には白い湯気が立つ。怒り――――愛するものを奪われた、憎しみに満ちた顔だ。
「貴様……ユリィを、私のユリィをおおおぉぉぉッ!」
「落ち着けセナ」
「うるさいッ」
肩に置かれたルイスの手をはねのけ、セナは日本刀を構えて走り出した。向かってくる触手を切り伏せ、上段に刀を構えたまま大きく飛び上がる。
「うおおおおおッ」
吠えるセナ。しかし空中にいればいい的である。無数の触手がセナに向かっていき、迎撃を試みたルイスの奮闘もむなしく、一本の触手がセナの足、そして腹を食い破った。
血が、臓器が、セナの体から飛び散る。だがその痛みも、怒り狂った彼女を止めることはできない。
「構うかあああァァァっ!」
足、そして脇腹を食い破った触手をセナは切り伏せる。その太刀筋から響く不協和音はさっきとは大きく違う――――猛獣のように荒々しく、また刃物が骨を削るような、鋭く響く不快な音だ。
セナは落下する勢いを乗せて刀を振り下ろす。その一太刀は怪物の体を斜めに切り裂き、真っ二つに割った。
「ぐおおおおぉぉぉ」
怪物の動きが止まった。多大な犠牲を払いながらも、「NIGHT RAVEN」は怪物を打倒したのだ。
「セナ、危ないっ」
ルイスが駆け出す。
確かに、怪物は絶命した。しかし、その内容物が、切り裂かれた部分からこぼれようとしている。
一瞬だった。
サチは振り返ったセナと目があった。
悲しい目をしながら、セナは笑っていた。仇を討ったことに満足したのか、ユリーカを失ったことを実感したのか。あるいはその両方か。
サチがそれを問う機会が永遠に失われる。噴き出した怪物の内容物がセナを飲み込み、強力な消化液と酸が彼女の体を跡形もなく消化してしまったのだ。




