#3 再演
サチはムツミに手を引かれ森の小道を進む。いつしか周囲の風景は森から抜けて開けた湿地帯になっていた。
沼一面を覆う水芭蕉、その中をジグザグに板を渡した道が走っている。サチとムツミの見つめる先には、背の高い男女とその二人の間で手を繋いでいる幼い少女がいた。サチの記憶の中にある、サチの家族である。
「わたしの家族は……ここで殺されたんだ」
「『臓物』に、ですか」
「うん。沼地の真ん中……あの辺」湖畔から、サチは沼地の中心を指さした。「あの下に、『神経』が隠れてたんだ」
サチの指が下ろされる。下ろした手は、腰に差した『剣の舞』の柄に乗せられた。
「もしここが私の記憶の通りに作られた世界なら、この後起こることを私は知ってる」
「サチの家族が、『臓物』に殺されるのですね」
「……はっきり言わないでよ。これでも無理してトラウマに立ち向かってるんだからさ」
サチは『剣の舞』を鞘から抜こうとしたが、抜けなかった。
まるで接着剤でくっつけられているかのような。サチの手は気づかないうちに震えていて、刀は鞘からその身を覗かせるのを拒んでいた。
「うぅ……」
「サチ」
ムツミはそっと、サチの刀を握った手の上に自分の手を置いた。
魔導プラズマキャノンの余熱のせいだろうか。ムツミの手は、人肌よりもすこしだけ温かい。
「サチ。ここはあなたの過去を再現した夢の中なのかもしれません。ですが、だからこそ出来ることもあると思います」
「できないよ……あの時と同じだ。わたしはただ、見ていることしかできない。
家族が殺されて、わたしが一人ぼっちになるのを」
「いいえ、違います。よく見てください」
「見てるよ! 知ってるよ! だって、この日、この時、この後起きること! 忘れたことなんて、一日だってないもん!」
サチは叫んだ。
家族をすべて「臓物」に殺されたあの日。サチの人生は大きく変わってしまった。
仇を取るために、サチは必死に勉強した。ろくに練習もしていなかった魔法までも。聖ロアノール音楽学院の門を叩いたのは、ちょうど三年前。ここで魔奏士になれば、家族の仇が討てる――――そう信じていた。
だが、結果は散々だった。
魔奏器を使うには個々人の適正が重要視される。普通は弦楽、管楽、打楽それぞれの適正を測り個人の特性に最も合った魔奏器が与えられるが。サチの場合は、全適性がゼロ、すなわちどんな魔奏器も扱えなかったのだ。
どんなに努力しても、自分では家族の仇を討つことはできない。欠片でもどこかに才能があれば、研究者や調律師として後方支援の道もあったが、その道すらもサチは否定されてしまった。
なんで自分だけ生き残ってしまったんだ。こんなみじめな思いをするくらいなら、あの時いっそ――――。
「いっそ、わたしもあの時、死ねばよかったんだ」
「剣の舞」に乗せられたサチの手が解かれる――――その寸前で。ムツミはサチの手の上から、無理矢理に刀の柄を握り込んだ。
「刀を抜いてください、サチ」
「ムツミ……?」
「諦めてはいけません。ここは悪意によって構築されたあなたの記憶の中。でも、変えられない過去ではありません。
なぜなら、この世界には当時の貴女がいないからです」
サチは目を見開いた。
確かに、小道を渡っているのはサチの両親と妹、三人だけである。その少し後ろを付いて歩いていた、当時のサチの姿がない。
「ここが変えられない過去なら、貴女はここにいて、こうして私が手を触れられるはずがない。貴女は幼い姿で、あの小道を歩いているはずです。
でも貴女はここにいる。現実の、貴女の夢の産物ではない私が、こうして手に触れられている。干渉できているのです。
ここは貴女の悪夢を再演した世界に過ぎません。過去の反芻ではなく。ならば、その結末を変えることもできるはずです。貴女の意志で」
「結末を……変える?」
「そうです、サチ。今の貴女は魔奏士で、その手には魔奏器がある。これは、『臓物』を屠るための武器です。
その力は、今貴女の手の中にある」
「ムツミ……」
サチは手に力を込めた。ぎゅっと握った刀の柄は、以前よりも手に馴染む。
否、サチのほうが刀に馴染んでいる。かつてセナと共に数多の戦場を駆けた「剣の舞」。その力は、今サチの手の中にある。
「そうだ……わたしはセナさんから貰ったんだ。
生きる目的、戦う理由。それに、自分の過去を、はねのける力!」
サチは「剣の舞」を鞘から抜き放った。
白銀に輝く刀身。「斬る」ということに特化した日本刀。洗練された機能美は、飾らないのに見る者を惹きつけてやまない、セナの化身。
風に晒した「剣の舞」の刀身が震えると、セナの言葉の残響が、サチに語り掛けてくるようだった。
ただ一言、「生きて」と。
「セナさん……わたし、乗り越えてみせます。どんな辛いことも、苦しい過去も!」
サチは切っ先を前に、刀身を肩の上で水平に構えた。
左手の指で、刃の背を撫でる。小さな震動が刃全体を震わせ、加速の魔奏を奏でた。
目の前には救うべき命がある。サチの両親と、妹の巡璃。
あと数歩歩いたら――――サチはその瞬間を明確に覚えている。水芭蕉の植わった泥の中から、『魔女の神経』が飛び出して、三人を捕食する。
だが――――ここが、ただの記憶でないのなら。
サチは地面を蹴って、水芭蕉の花畑の上へと飛び出した。サチの背後に起きた旋風が、水芭蕉の花びらを纏って踊る。
「めぐ!」
立ち止まる少女。その背後にに迫る、泥から鎌首をもたげた赤黒い蛇。
いや、蛇ではない。
有髄神経軸索を模した、『神経』の触手の一部だ。赤黒い、人間を捕食する魔の手が何も知らない少女の背後に迫る―――――
ザシュ。
ぶわぁと吹く一陣の風が少女の横を吹き抜け、麦わら帽子を吹き飛ばした。
背後に迫っていた触手が千切れ、ぼたぼたと落ち、黒いシミになって蒸発した。
「えっ……?」
『神経』を斬り抜けて泥の上に着地したサチは、足が沈むより早く体を翻した。『神経』を斬ったことで再度発動した加速の魔奏が、サチの体をさらに加速する。
今度は『神経』の節を、サチは切り裂いた。
「離れてて、めぐ」サチは巡璃を背にして『神経』の前に立つ。
「おねえ……ちゃん?」
突然現れた怪物に驚いて、小道に尻もちをつく巡璃。
刀の背に指を当て、大きくなぞる。発動した加速の魔奏が、サチを超音速の世界へと誘った。
サチを捕らえようとする『神経』の動き。だがそれも、加速された世界にいるサチには止まって見えた。何度も往還する光が空間を切り裂き、『神経』の体を粉々に打ち砕く。




