#3 手繋
図書館を満たしていた光が収まり、全力を出し切ったライラは力尽きて、ドサリとその場に倒れた。
クローディアが目を覆っていた腕を外すと、そこには瓜花がまだ立っていた。
「くそ、あいつ……道理で『魔王』に載ってないわけだ……」
瓜花もぶつぶつとつぶやきながらその場に膝をつき、バタンと床に倒れる。
意識はまだあるようだが、瓜花のほうも防御結界のために魔力を使い果たしたのだ。手にしていた『魔王』が光になって蒸発し、その場には手足をぴくぴくと痙攣させる灰青色の髪の少女が残された。
「うぅ……もうだめだ。歩く元気も残ってない」
「あらそうなの」
身動き一つ取れない瓜花。その視界に、一人の生徒の靴が映る。
ヴェルナである。横向きに倒れていた瓜花を足蹴にして仰向けにすると、ヴェルナは手に持っているつららをこれ見よがしに瓜花に見せつけた。
つららの中央辺りまで、べっとりと血が付いている。クローディアに刺さっていたそれを、治癒魔法をかけるときにヴェルナが抜いていたものだ。
「これ、分かる? あんたが先輩に刺したつらら」
「それでボクを殺そうっていうのかい」
「そうだ、って言ったら?」
瓜花はもう魔法の一つも唱える気力を持っていない。ヴェルナの脅しに、瓜花は抵抗する素振りも見せなかった。
ただゆっくり目を瞑り、瓜花はつららより鋭く冷たいヴェルナの視線を、その身に受け止める。
「やるなら早くやってくれ。氷が融けちゃうよ」
瓜花の横に膝立ちになるヴェルナ。つららの根元を両手で掴み、鋭くとがった先端を真下に寝そべる瓜花の喉元に向ける。
今にもつららが振り下ろされるかと、その場にいた者全員が息を飲んだ。だがヴェルナの手を、横から強くつかんで阻止する者がいた。
「だめだよ、ヴェルナ」
サチである。
瓜花の魔法結界が解け、解放されたサチがヴェルナの手を掴んでいた。
「サチ。あんたコイツに捕まってたのに、よく庇えるわね。先輩たちだって殺されかけたのよ」
「それはそう……なんだけど。だからって瓜花ちゃんを死なせていいわけないよ」
「あんたコイツの肩を持つ気? それじゃあ先輩たちは何のために戦ってたわけ? みんなあんたを取り戻すために体張ったのよ?」
「ヴェルナ。わたしたちは魔奏士になるんだよ。わたしたちが戦う相手は『魔女の臓物』であって、味方の魔奏士じゃないはず」
「『味方』ですって?」
ヴェルナは掴むサチの手を強引に振りほどくと、握っていたつららを投げ捨てた。
床に落ちてパリンと砕けたつららが、小さな氷の破片になって飛び散る。
「バカバカしい。コイツが味方だっていうの?」
「瓜花ちゃん、大丈夫?」しゃがんだサチが瓜花を抱き起こす。「怪我はない?」
「……サチ、どうしてボクを庇うんだ? どうして、ボクなんかを……」
「うーん、なんでだろう?」
「サチ、キミはそこのヴェルナと友人なんだろう。意見が衝突して、険悪になるのが怖くないのか」
「険悪ぅ?」
おどおどした口調の瓜花を威圧するようにヴェルナは大きな声で答えた。瓜花はサチの腕の中で縮こまっている。
「たかがこのくらいの喧嘩で、親友辞めたりしないわよ」
「えっ、親友? ヴェルナわたしのこと親友だと思ってくれてたんだ」
「なっ! そんなつもりじゃ……ちょっと口が滑っただけで!」
「そんなぁ……わたしはヴェルナのこと、親友だと思ってたのになぁ……」
「まあ、そこまでいうならなってあげても……」
「ほんと? やったー! じゃあこれからもよろしくね、ヴェルナ」
「何よ『よろしく』って……あんたちょっと重いのよ」
「ひどーい!」
「……羨ましいな」
瓜花そっちのけで盛り上がるサチとヴェルナを、瓜花は悲しそうに見上げていた。
「ボクはキミらが羨ましかったのかもしれない。キミらが友達のために命を懸ける様を見て、ボクは……そう、そうだ。ムカついてしまった」
「どうして?」
「ボクにはキミらみたいな人がいなかったから。図書館にある時空の狭間に迷い込んだボクを、助けに来てくれる人なんて誰もいなかった」
瓜花はこの4年間ずっと図書館の二十四階、タイムトンネルの中で暮らしていた。そこにたどり着いた人間は史上唯一、瓜花だけだ。
それはすなわち、迷い込んだ瓜花を助けに来られるものは誰もいなかったということである。事実、二次遭難防止のためとはいえ、学院は瓜花の存在をもみ消し、誰も彼女に近づけないようにしていた。
「クローディアが言ってただろ、『サチのためなら死んでもいい』って。誰かのために命を張るなんて、ただの口から出まかせだろって思ってた。だからムカついた。そんな出まかせを平気で言えるやつが、ボクは大嫌いだったんだ」
先ほどまで瓜花に憎しみを向けていたヴェルナの表情が、憐みに変わる。
長い、長い孤独が瓜花を狂わせたのだ。瓜花のために命を張る人間はいない――――それを痛切に感じる毎日が、彼女を追い詰めていった。
「キミにはいるんだ、サチ。キミのために命を懸けてくれる人が」
「わたしもだよ、瓜花ちゃん。もし逆の立場だったら、わたしもたぶん必死になって戦う。クローディアさんも、ライラも、ヴェルナも。みんなわたしの大切な人だから」
「そうか……そうなんだ。だめだな、ボクは。ボクの持ってないものを持ってるみんなに八つ当たりなんかして……ごめんね、サチ。ボクはまたあの部屋で、ひっそりと静かに暮らすことにするよ」
サチの頭上に異空間ゲートが開く。瓜花だけがそれに引っ張られるように空中に浮かんだ。
「待って」
しかしサチはゲートに吸い込まれていく瓜花の右腕をぎゅっと掴んで引き留めた。
「瓜花ちゃん、うちの楽団に入ってよ!」
「はぁ⁉ サチ、あんた何言ってんの⁉」ヴェルナがサチの肩を掴んで揺さぶる。「コイツはあんたを誘拐した上にあたしたちを殺そうとまでしたのに!」
「楽団……?」困惑する瓜花。「ボクに言っているのか」
「うん。瓜花ちゃんがいてくれると心強いし……何より、あんな寂しそうな瓜花ちゃん、放っておけないよ」
「この手を離せ、サチ。キミの掴む手はボクの手じゃないはずだ」
そういいながら瓜花はサチの手を振りほどこうとするが、サチはより強く瓜花の腕をつかみ、両手で手繰り寄せるようにしてその体を引き寄せた。
「寂しそうだって? バカなことをいうなよ。そんなのもう慣れっこさ。だからボクのことは放っておいてくれ」
「……お断りよ」
サチの横から手が伸びて、瓜花の左腕を掴む。
クローディアは満足に動かない足を引きずり、なんとかその場に立っていた。サチに寄り添うように立ったクローディアも、瓜花を掴んで離さない。
「あなた、そうやって今までずっと閉じこもってきたんでしょう。寂しいのに慣れたですって? 強がりはやめなさい」
「強がりだって? ボクが? 強がりなもんか。今までだって4年もずっとあの部屋で暮らしてきたんだぞ」
「ウソだよ」サチが瓜花の言葉を遮る。「寂しいのに慣れたなら、どうして気まぐれに下の階に降りてきてたの? それは瓜花ちゃんが寂しくて、誰かに会いたかったからでしょ?」
「ボクの心を勝手に推察するなよ。キミたちにボクの何が分かるんだ。本当のボクのことなんか、一つも知らないくせに」
「ええ、そうね。私たちはあなたのこと何も知らないわ」
振りほどくのを諦めた瓜花はゲートを閉じる。
上に引っ張られる力を失った瓜花は落下し、その場に倒れたサチとクローディアを下敷きにした。
「辛いことや苦しいことは、何度繰り返しても慣れるものじゃないわ」優しく諭すように、クローディアが瓜花に語り掛ける。「一人になったところで、また寂しい気持ちになるだけよ。それならもう、一人になるのはやめなさい」
クローディアには瓜花の強がりがなんとなく理解できる気がした。自らの死も、仲間との死別も。クローディアは何度も繰り返してきたが、それらに慣れることは一度もなかった。
別れが辛いから、誰にも近づかないようにする――――クローディアがセナを失ったときに決め、そしてサチによって打ち砕かれた選択肢である。サチを諦め、独り図書館の奥地に戻ろうとする瓜花が、クローディアにはかつての自分に重なって見えた。
「クローディア、なぜキミはボクに優しくしてくれるんだ? ボクはキミを殺そうとさえしたのに」
「そんなの決まってるじゃん」瓜花の質問に黙りこくってしまったクローディアの代わりに、サチが口を開く。「瓜花ちゃんだって、もう大切な仲間だからだよ」
「ボクが、仲間……?」
「ま、いいわ。そういうことで」
セナが生きていたらそうしたでしょうし、とクローディアは心の中で付け加えた。
瓜花の魔法知識や五元素を自在に操る技術には目を見張るものがある。魔奏器の扱いには慣れてきたとはいえまだまだその太刀筋が未熟なサチや、力のコントロールができず大技を出すたびに昏睡しているライラ、そして不死の能力を持ちながらも基本的な魔法でしか戦えないクローディアで構成されている今の『NIGHT RAVEN』にとって、瓜花の加入は大幅な戦力アップになるという打算があったのは間違いない。
だが、それよりも何よりも、クローディアもやはり瓜花を放っておくことができなかった。瓜花もまた、居場所を求めているのだ。彼女が口には出すもののその中身を語ろうとはしない、瓜花の『本当の自分』とやらを受け入れてくれる場所を。
『NIGHT RAVEN』がクローディアにとっての居場所になるのであれば、他の楽団員にとっての居場所となってもいいはずだ。
「えーっ、瓜花ちゃん『NIGHT RAVEN』に入っちゃうのー?」
サチたち3人の様子を眺めていたマハーレはニコニコと笑顔で、だが少し残念そうな口調であった。
「ウチの楽団に来て欲しいなー。ウチの楽団はこの図書館の探索と、収蔵されてる本から魔法知識を得て、それを発展させるための研究をしてるんだけど――――」
「だめですっ!」むくりと起き上がったサチは瓜花の後ろに立つと、ぎゅっとその背中を抱きしめてマハーレにむっとした顔を向けた。「瓜花ちゃんはうちで可愛がります!」
「そういうことだ。すまないね、マハーレ・ハイヤーン。ボクは一人しかいないからキミの楽団には入れない。でも研究には興味があるね。そっちには協力してもいいよ」
いいよね、と見上げた瓜花にサチはもちろん、と答える。
顔かたちも背格好も似ても似つかないが、この打ち解けぶりはまるで姉妹のようである。クローディアはそれを見て微笑ましく思った。
「残念だなー。じゃあもう降参するしかないよ」
「え?」
「降参します。『Lapis:philosophicus』は『NIGHT RAVEN』との決闘を降参しまーす」
「戦う前から⁉」
「うん。だって瓜花ちゃんの魔奏はイヤになるほど見せつけられたし……あんなの、ウチの楽団じゃ絶対勝てないもん。それにウチの楽団の本分は研究だし。瓜花ちゃんとは仲良くしたいしねー」
マハーレが手を差し出すと、瓜花はおそるおそるその手を握り、握手を交わした。
「なんだ、こんなに簡単なことだったんだね」
「何が?」
「ありがとう、サチ。ボクはキミのおかげで一歩踏み出すことができた。あの図書館の、誰もいない部屋から踏み出すことができたんだ。もう二度と出ることなんてないって思ってたのにね」
「寂しくなったらいつでもいってね。瓜花ちゃんはもう、わたしたちの大切な仲間なんだから」
「ああ」
そういって、瓜花は歳相応に顔をほころばせた。
瓜花の語る『本当の自分』――――その真実をサチたちが知るのは、瓜花が図書館から生還したこの日から、おおよそ1年後のことである。




