#3 孤独
「キミ、日本人だろ。ほら、付いてきて。頼みたいことがあるんだ」
ニコニコと楽しそうな笑顔を浮かべる瓜花。サチの手を引いて無理やり立たせると、無理やりに引っ張ってふすまの一つを開け、その奥に続く土間へと無理やり連れて行った。
土間には土を盛って作った竈や水を満たした甕、木で出来た棚に無造作に並べられた野菜類などがある。まるでサチの故郷、日本の古民家のようだ。瓜花は土間をずっと放置していたと言ったが、そのどれもが今日初めてそこへ持ってきたかのようにピカピカとしている。
「実は、久しぶりに味噌汁が飲みたいなと思ってたんだよね。作ってくれないかな?」
「え……」
材料はそこにあるからさ、と瓜花は竈を指さした。釜の載った竈にサチは恐る恐る近づく。木製の蓋を取ると、中は空で、至って普通の釜であった。
「あ、あの」
サチが振り向く。瓜花は板敷の縁に腰かけ、制服の余りに余った袖をぱたぱたさせながら、目を爛々と輝かせてサチを見つめている。
期待されている。瓜花の一点の曇りもない視線を、サチはそれ以上見返すことができなかった。
「うぅ……今更『お味噌汁なんて作ったことない』なんて言えないよ……」
瓜花に聞こえないように、サチは背中を向けてぼそりと小さな声でぼやく。
味噌汁――――その存在はサチも知らないわけではない。平たくいえば味噌で味付けした和風スープである。
しかし数年前にサチが家族を喪い天涯孤独となって施設に入ってからは、日本食に触れる機会も少なかった。『味噌汁』というものの外観こそ分かるものの、どんな手順で何を使って作っているのかまでは理解していない。
サチは適当に甕から釜に水を汲み、適当に火起こし(ここはクローディアに習っていた火魔法が少し役に立った)をし、目についた謎の根菜やら何やらを乱雑に切って釜に放り込んだ。
「みそ、みそ、みそ……さて、どれが味噌なんでしょうか……」
迷っていることを悟られないように、サチは瓜花に背を向けたまま棚を物色した。
しかし、サチは『味噌』を生まれてこの方見た事がない。サチの記憶の中にある味噌汁は土色をしていた。それならば、そこに添加するべき味噌も土色をしているはずである。想像と推測を頼りに、サチは味噌を探した。
釜が沸騰してごとごといい始めたころ、サチはようやく味噌らしきものを発見した。
「あ、きっとこれですね」
だが、その選択が最大の悲劇となることをこの時のサチはまだ知らない。
味噌を見たことがないサチは、自分が選んだ土色のペーストがピーナッツクリームであることなど、想像もしていなかったのだ。
◇ ◆ ◇
「……サチ、キミはもう二度と土間に入らないでね」
サチの作った『ミソシル』を飲んだ瓜花は、一口飲んだ椀をもって立ち上がると、おもむろに障子戸まで歩いていき、スパンと開けた障子戸から椀ごとタイムトンネルの中へと投げ捨てた。
「……おいしく、なかったですよね」
「日本人だから味噌汁くらい作れるだろって、期待したボクが馬鹿だったよ」
虹色の光を放つタイムトンネルに通じる障子戸をぴしゃりと閉めると、瓜花は座布団を出してサチに座るよう促した。
サチがそれに応じて腰を下ろすと、瓜花はおもむろに、サチを座椅子代わりにするようにして膝の上に腰を下ろした。
「料理はダメでも、話し相手くらいならできるよね」
「ええ、まあ……」
膝に乗せた瓜花はとても軽く、そして小さかった。今は12歳のはず――――リーゼロッテの言葉を思い出す。図書館に入り込んで行方不明になったのが4年前ならば、瓜花は4年間もここで暮らしていたことになる。12歳の少女の背中は小さく、華奢で、一人で生きていくにはあまりにも小さいものだった。
「瓜花ちゃんは……寂しくないんですか。こんなところに一人でいて」
「寂し……くないよ。全然」瓜花は少し言い淀んでから、サチの言葉を否定した。「だって図書館にはありとあらゆる知識があるもんね。暇潰しに下に降りていけば、読む本なんていくらでもあるし」
瓜花は目の前の乱雑に積み上げられた本を指さした。
背表紙の文字すらサチには何と書いてあるのか分からないが、革の装丁に金の刺繍が施された本たちは、どれも貴重な魔導書の類なのだろうとサチは推測した。
おそらく図書館の二十階以上の蔵書――――未だ、人類でも限られた者にしか明かされていない真実の数々が、この中にはある。
「キミはどんな本が読みたい? 希望を言ってくれればボクが探してきてあげるよ。なんたってボクはこの図書館に4年も住んでるんだ。どこに何の本があるかなんて、全部分かるからね」
「それじゃあ……声の魔奏を打ち破る方法を何か知りませんか?」
「『声の魔奏』ってそれ……」急に瓜花のトーンが落ちる。「キミの魔奏器を狙っている、アイツの特技のことだろ」
「はい。二週間後の決闘で、わたしたちは勝たなきゃいけないんです。その対策を瓜花ちゃんが何か知っているんじゃないかって思って、図書館に入ったんですけど」
「……そんな決闘なんて、すっぽかせばいいじゃないか」
瓜花はサチの膝の上でぐるりと180度回転し、サチに向き合うと両手でサチの腕を掴んだ。
鶏の足のように細く、小さい手。だが、その掴む力は予想以上に強い。まるで猛禽並だ。
「キミはずっとここにいればいい。魔奏器だってここに置いておけば、誰にも取られる心配はないだろ。生徒会だって、アイツだって、誰だってこの部屋になんか来れやしないんだ」
「それは確かに……そう、かもしれませんけど。でも、わたしはまだやり残したことがあるんです。だから戻らないと。みんなのところに」
「どうしてさ! ボクまた、なんか気に障るようなことしたかなぁ⁉」
体は小さいが、腕を掴まれ、今にも押し倒そうな体勢の上に大きな声で凄まれれば、イヤでも瓜花の姿は怖く見えてしまう。だがサチは瓜花の目からじっと視線を外さなかった。
「キミもずっとここにいればいいだろ!
この部屋はずっと同じ1日を繰り返せる空間なんだ。ここにいる限り、キミは歳を取らないし死ぬこともない。何も心配することなんてないんだ!」
「心配することがないなんて……ウソでしょ、瓜花ちゃん」
ぶるぶると腕を震わせながら押し倒そうとしてくる瓜花を、サチは押し返して自分の膝の上に座らせた。後ろから腰に手を回して抱きしめると、しょげる瓜花の姿は実際よりもっと小さく見える。
瓜花の姿にサチは亡き妹の姿を重ねていた。あの子が生きていたらこのくらいだろうか、と思うと、サチはいっそう瓜花を愛おしく感じた。
「寂しくないなんてウソ。この部屋に4年も一人でいて、寂しくなったからわたしを連れてきたんでしょ」
「なんだよ。分かったようなこと言うなよ。本当のボクのことなんか、何にも知らないくせに」
言葉では凄んでいても、瓜花はサチから離れようとする素振りは見せない。
「寂しくなんかない。だってここには読み切れないほど本もあるし、話し相手が欲しかったらキミみたいに連れて来ればいいんだから」
「……じゃあどうして、瓜花ちゃんはこの部屋に一人でいたの?」
そこにいる限り歳を取ることはない、同じ1日を繰り返す部屋。話だけ聞けば魅力的であるが、今この場にいるのは瓜花とサチだけである。瓜花の言うように、過去にもサチのように『話し相手』として連れてこられた生徒がいるのなら、なぜ今この場にその生徒はいないのだろうか。
「逃げたんだよ。ボクからね」
「逃げた?」
「本当のボクを知ったら、キミも絶対こんな部屋にはいられないって言うはずだ」
「本当の瓜花ちゃんって?」
「イヤだ。絶対に教えない。教えたらキミも、ボクから逃げていってしまうんだろ」
その時、二人の横のふすまが突然スパンと開いた。
ふすまの向こうには、浅く靄のかかったような映像が映し出されている。声は聞こえないが、映っている場所にはサチも見覚えがあった。図書館の1階、カウンターに身を乗り出して何かを訴えているクローディアと、それに首を横に振るばかりのマハーレの姿である。
「キミのお友達が何か騒いでるみたいだよ。連れ去られたキミを助けるために10階より上に入りたいってさ。無駄なことを」
「クローディアさん……」
「あんな女のどこがいいのさ。魔法も弱くて、死なないだけが取り柄なのに」
「死なないのはクローディアさんの取り柄なんかじゃないよ。クローディアさんは誰よりも優しくて、頼りになる先輩。
わたしは、クローディアさんと『NIGHT RAVEN』をやりたいんだ。クローディアさんを犠牲にしない、最高の仲間を集めた楽団を作る――――それがセナさんの『剣の舞』を譲り受けた、わたしのやるべきことだから」
「頼りになる先輩、ねぇ」
瓜花はサチから立ち上がり、振り向いてサチの腕を強引につかんだ。
「あんなのがいるからキミは帰りたいって思うんだろ。キミの目の前で、帰る場所をボクが全部消してやる。そうすれば、キミもここに残るしかなくなるはずだ」
腕を引っ張って無理やりにサチを立たせた瓜花は、障子戸を魔力で操作して開き、サチを引っ張ったままタイムトンネルへと飛び込む。
虹色のトンネルを落下していく。サチの手を引く瓜花の手は、まだ震えていた。
瓜花は恐れているのだ。いつかサチが真実を知り、瓜花のもとを離れて行ってしまうことを。
強引な手段でサチを自分のもとに引き留めておいても、その心までは手に入らない。帰る場所を全部失くして、自分のもとにしかいられないようにしたい――――長い、永い孤独の余りに情緒不安定になり、極端な選択肢しか選べなくなっている瓜花。
サチはどうにか彼女を救いたいと思った。しかし今のサチには、瓜花を救う方法は、何も思いつきそうになかった。




