#2 誘拐
7階に到達した一行は、互いに離れることなく周囲の本棚を調べ始めた。
『妖精さん』――――瓜花は気まぐれである。彼女に遭う条件を「図書館内で何かしらの本を探す」以外、サチたちは知らない。とにかく、皆手当たり次第に何らかの本を探すように動く。
至極当然のことであるが、見ているだけで気が狂うのは7階のフロアの構造だけで、そこに並んでいるのはごく普通の魔導書である。そのため、蔵書を閲覧するだけならば普通の図書館と何ら変わりはない。
さらに、棚に並べられた本は装丁の色も紙面のサイズも、厚さでさえバラバラで乱雑に並べられているように見えるが、中身を開いてみるとしっかりとテーマごとに本棚はまとめられていた。ヴェルナが薬草学の本を読み解こうと本にかじりついている後ろで、サチは隣の棚で魔法を使った料理の本を読むことにする。
「あ、これって……」
「サッちゃん、なんか見つけたんけ?」
何かを見つけたのを察して、ライラが横からサチの手の中にある本を覗き込む。
「この前、ヴェルナにもらったユリーカさんのクッキー……」
「へぇ」
サチが見ていたのはクッキーのレシピであった。
読み進めれば、材料や工程は至って普通のものであるが、仕上げにかけるまじないは、かなり本格的な魔法である。かつてのサチであれば魔法と聞けば「自分には無理」と諦めていたが、今ではクローディアに師事して特訓してきた成果もあり、簡単な魔法なら扱えるようになっている。
「わたしも挑戦してみようかなあ」
「いいね、ウチも手伝いたい。味見のほうで」
「味見のほう⁉ そこは『一緒に作ろう』でしょ⁉」
「ウチ、こういう細かい作業苦手なんよ……お母ちゃんにも『アンタは大雑把すぎる』って良く言われたし」
「あら、あなたたち料理に興味があるの?」
後ろで話を聞いていたクローディアがサチとライラの会話に割り込んできた。
「クローディアさん、これ、この前ヴェルナが出してくれたユリーカさんのクッキーじゃないですか?」
「そうね……でもちょっと違うかも」顎を撫でながらクローディアはサチの手元の本を覗き込んでいる。「あのクッキー、ここに書いてあるものよりも卵の量が少なかったわ」
「ようそんなん分かんね、クロちゃん」
「まあね。あなたたち、興味があるなら料理も教えてあげるわよ」
「ほんとですか。ぜひお願いします! わたしこれ、作ってみたいです」
「お菓子作りはなかなか難しいわよ」
「はい。頑張ります!」
サチはヴェルナが出したユリーカのクッキーを知らずに食べてしまったことを後悔していた。ヴェルナは「湿気るよりは美味しく食べたほうが師匠も喜ぶはず」と言ってはいたものの、故人であるユリーカが遺したものである。食べてしまえば、ヴェルナは二度とそれを口にすることはできない。
形あるものはいつか失われてしまう。故人を偲ぶものもその例外ではない。サチの目の前で命を落としていった『NIGHT RAVEN』のメンバー、彼女らの遺したものも永遠不変ではありえない。いつか遺品は失われ、彼女らの生きた証も波に消える砂浜の文字のごとく消え去っていってしまう。
それに抗うために出来ることが、その遺志を、技術を継ぐことであるとサチは考えているのだ。
「わたしはユリーカさんの代わりなんてできませんけど……それでも、ヴェルナがユリーカさんを忘れないようにしてあげることは、わたしにもできると思うんです。ユリーカさんとの思い出の味を、なんとか守ってあげたい」
「……ふん、カッコつけたこと言っちゃって」クローディアはサチの頭を小突いた。「実力が伴っていなかったら、そんなのただの戯言よ。まずは練習あるのみ……魔奏器の訓練よりもキツイ修行になるかも」
「う、ウチは食べる専門が、いいかなぁ~なんて」
「待ちなさい、この野生児」クローディアは逃げようとしたライラの襟を後ろから掴んだ。「いい機会だわ。ライラ、あなたもそろそろ『淑女のたしなみ』ってものを身に着けたほうがいいわね。聞いたわよ。授業中もぐーすか大いびきで寝ているそうね」
「ひえっ、クロちゃんなしてそのこと……」
「先生たちも手を焼いてるって私のところに相談に来たのよ。あなたはもうちょっと淑女になるべきだわ。私が上級生としてみっちり躾けないと」
「え、遠慮しておきますですぅ~っ!」
「こら待てッ!」
逃げるライラを追いかけ、クローディアが去っていく。騒ぐ2人にヴェルナが文句を言っている――――そんな姿を、サチは口角を緩ませて見つめていた。
セナがやりたかったこと。クローディアを犠牲にしない、最高の仲間――――クローディアを『死神』呼ばわりしない、不死能力者としてその命を、存在を粗末に扱わない、彼女を一人の人間として接することができる仲間たちを集めること。それが達成されたとはまだ言えないが。今の『NIGHT RAVEN』は着実に、それに近づいている。
「――――料理、するの」
「へ?」
突然母国語で話しかけられ、サチは驚いた。
振り向くと、そこには少女が浮いていた。灰青色の長い髪、ぶかぶかの制服。クローディアとヴェルナから聞いていた『妖精さん』こと、望月瓜花だ。
「キミ、日本人でしょ」
「え、あ、はい。そうですけど」
「来て」
瓜花がサチの腕をつかんで引っ張り上げる。うわあ、と悲鳴を上げたサチに気づいてクローディアたちが駆け寄るが時すでに遅し、サチの足は図書館7階の床を離れ、瓜花に引っ張られてサチは上へ上へと上昇していった。
「サチ!」
「ひゃあああぁぁぁ!」
上へ向かって『落ちて』いくような感覚にサチは襲われていた。瓜花とサチを避けて、トンネルのように並び替えられた本棚たちのチューブの中心を、サチは瓜花に引っ張られながら飛行している。無数の本棚たちがどろどろに溶けて流れていくかのように見えるところからして、凄まじい速度だ。
「まっすぐ前だけ見てて。頭がおかしくなる」
「へ?」
しかし瓜花の忠告は手遅れだった。
周囲を流れていく本棚の色彩は徐々にサイケデリックで不気味な色合いになっていく。その名状しがたい奇々怪々な世界を目撃してしまったサチは、ものの数秒で意識を失ってしまったのだった。
◇ ◆ ◇
「――起きて」
体を揺すられ、サチは瞼を開く。
薄暗い、板張りの天井。鼻にスンとくる井草の匂い。体を起こすと、サチは和室に寝かせられていた。
サチの顔を、灰髪の少女が覗き込んでいる。瓜花だ。
「だから前だけ見ててって言ったんだ」
「ここは……?」
上体を起こして周囲を見回す。
サチがいるのは畳の並べられた六畳間だ。照明はなくて薄暗く、障子ごしに外から差し込む光でなんとか部屋の全容が見えている。ふすまはあるが、その隙間から見える奥には真っ暗闇があるだけで、とても普通の和室ではない。
部屋には読みかけの本が雑多に積み上げられていて、散らかっていた。
「ここは図書館の二十四階」
「に、にじゅうよ……ッ⁉」
瓜花の言葉に、サチは飛び上がるほど驚いた。
最高到達記録である十八階を軽く上回っている。二十階以上のフロアに到達した者の末路――『巻き戻された』というリーゼロッテの言葉を思い出し、サチは驚いた後に震え上がった。十八階より上に到達できたものはいるが、無事に帰ってきたものは誰一人としていなかったという。
「この図書館が、古今東西のあらゆる魔法知識を無尽蔵に蒐集してるっていうのは知ってる?」
「え、あ、はい」
「ここはタイムトンネルみたいなものだよ。『魔王』が時間と空間を跳躍して魔法知識を集めるためのね」
「『魔王』?」
「この図書館のコアユニットみたいなものかな。ありとあらゆる魔法知識を自動的に蒐集・管理する機能がある。誰も触れることも、見ることもできない究極の魔奏器さ」
それより、と瓜花はサチの制服の袖をぐいと掴んだ。
「キミ、日本人だろ。日本人だよね?
嬉しいな、同郷人に会えるなんて!」
「ええ、まあ……」
「ボクは望月瓜花。那須の生まれなんだ。キミは?」
「星野幸智っていいます」
「サチか。これからよろしくね」
「これから……?」
「そう。『これから』。ボクと一緒に、キミはずっとここで暮らすんだよ」
「え、ええええぇぇーっ⁉」
サチの上げた大きな悲鳴は誰にも届かない。
二十四階のタイムトンネルはどこまでも続き、サチの声一つではその外まで届くことは絶対にないのだ。




