#4 妖精
しかし、二人の未知への冒険はものの数分で終わってしまった。
7階では、ついさっきまで調べていたはずの本棚が、振り返ればその場所は別の本棚に置き換わっている。クローディアは目的の本を探すのを早々にギブアップをし、ヴェルナと背中合わせになって、二人で床にへたり込んでしまっていた。
「先輩、愚痴ってもいいです?」
「いいわよ」
「くそっ、あの女! 理事長の孫だからって! よくもあたしをこんなところに送ったなーっ!」
クローディアはヴェルナのつく悪態に思わず頬も緩んだ。
ヴェルナに依頼をしたのはロアノール生徒会のヘレナである。クローディアとヘレナは犬猿の仲であり、ヘレナの悪口を言うヴェルナをクローディアは微笑ましく見ていた。理事長の孫娘である彼女の悪口を思う存分言える場所は、来る人間も少ないこの図書館くらいしかない。
「眠り薬、だったかしら」
「はい、そうです。材料は温室に全部あるんですけど、眠り薬って調合を間違えると全く効かなかったり逆に永遠に目を覚まさなくなったりデリケートなんですよね」
「『新世界より』は使わないの?」
『新世界より』はユリーカがヴェルナに遺した魔奏器である。万能魔法薬製造機としての機能を持つ『新世界より』ならば、眠り薬など図書館に来るまでもなく調合可能だ。
「やだなあ。先輩だってあれを使うのがいかに難しいか知ってるはずですよ。あたしじゃ薬の合成はできても、どんな効果があるかなんて分からない代物ができるだけです」
「そうよね」
『新世界より』を使うには膨大な魔法薬学の知識が必要――――クローディアはユリーカが魔法薬の知識を身に着けるために、この7階に足しげく通っていたのを思い返していた。
クローディアたち旧「NIGHT RAVEN」のメンバーは、ユリーカに引っ張られて一緒にこの図書館を冒険したものだった。一度は12階まで踏破したものの、一度図書館内で遭難してからは用のある7階までしか来なくなり、この珍妙な空間を突破する方法の記憶も薄れてしまっている。
「どうする? 諦めて一旦帰る?」
「うぅ……」
ヴェルナはむくれていた。
ユリーカの死後、温室を管理する人間はヴェルナだけになってしまった。ヴェルナがユリーカの遺志を継ぎ、魔法薬調合の依頼をこなそうと必死に努力していることをクローディアは良く知っている。「死神」と後ろ指を指されるクローディアは、大っぴらにはヴェルナと付き合うことはできないが。ユリーカの遺志を継ぐ彼女のことを、常々応援したいと考えている。
「あなたは良くやっていると思うわ」
「先輩……」
「あなたはユリーカに良く懐いていたものね。きっとあの子も、あなたが遺志を継いでくれたことを天国で喜んでいると思う」
「いえ……あたしなんてまだ全然です。知識も、経験も。師匠の領域にはまだまだ全然、手が届きそうにないです」
うつむいたヴェルナの目の前にあった本棚が「ガコン」と大きな音を立てて移動し、後ろに控えていた別の本棚と入れ替わった。
「師匠だったらきっと、眠り薬なんてちゃちゃっと作れたんだろうなあ……」
「でしょうね」
「あたしには師匠みたいなセンスがないんです。本に書かれた通りに調合するくらいしか……師匠みたいに、『てきとー』には作れないんです。才能がないから」
「あら、そんなことはないわよ?」
「え?」
「ユリーカもね、最初は泣き虫で、打たれ弱くて、魔法も苦手で。楽団じゃ一番年上なのに、一番頼りなかったわ」
「え、信じられない。あたしの知ってる師匠はもっと……」
ヴェルナは顔をあげ、クローディアに振り返った。
顎をクローディアの肩に乗せて身を乗り出すヴェルナ。どうやら敬愛する師匠の話に興味があるらしい。
「あの子だって最初から魔法薬を極めてたわけじゃない。ここに毎日のように通って、文献を読み漁っていたの」
「ここに? 先輩、ここに来たことあるんですか?」
「ええ。楽団総出でよくここまで連れてこられたものよ。その後もユリーカのためにここに残されてね。退屈だったけど……今思えば、楽しい時間だったわ」
「ここの本を……」
周囲を見回すヴェルナ。
無限の蔵書を持つと言われるロアノールの図書館。それらを読み漁るのに、一体何年かかるやら――――想像しただけで、気が遠くなる話だ。
「それにね、あなたに才能がないなんてことはないわ。ユリーカはよくあなたのことを自慢していたもの」
「あたしを?」
「ええ。『物覚えがよくて器用だから、とっても助かってる』って。あなたの話をするときのあの子ったら、本当に嬉しそうでね」
ユリーカが『新世界より』をヴェルナに託したのも、彼女の才能を見込んでのことだったのだろう。それほどまで、ユリーカはヴェルナを良く可愛がっていた。
「……先輩、あたしやってみます」
「ヴェルナ?」
「ここの本、全部読んでみたいです。あたしも先輩みたいになりたいから」
「ええ、そうね。応援するわ。今日で終わらなければ明日も、明後日も。いつでも私はあなたの味方よ」
「ありがとうございます、先輩。じゃあさっそく――――」
ヴェルナは立ち上がると、一番近くの棚にとことこと歩いていき、蔵書の一冊に手をかけた。ずしりと重たい魔法薬の専門書を引き出そうと背表紙を掴んだ瞬間、突然横から小さな手が飛び出してヴェルナの手首をつかむ。
「待って」
「え?」
手の根元をたどるヴェルナ。数歩後ろにいたクローディアも突然現れた気配に振り返り、ヴェルナの手首をつかむ『それ』を視認した。
灰青色の長い髪をゆらめかせ、一人の少女がヴェルナの隣に浮いていた。着ている服はロアノールの制服だが、丈はぶかぶかで袖も裾も大いに余っている。見た目には1年生、あるいはもっと年下に見える少女だ。
「何の本を探してるの」
「『眠り薬』の本を……」
「それならここにはないよ。ボクについてきて」
謎の浮遊ボクっ娘に面食らいながらもヴェルナが図書館を訪れた目的を答えると、少女はヴェルナの手首を引っ張り、ふよふよと導くように棚の前を飛行していった。
「まさかこれって……」
「ウワサの『妖精さん』⁉」
浮遊する少女を追いかけて、変化する床につんのめりながら、ヴェルナは棚の間をするすると進んでいく。クローディアは突然現れた「妖精さん」とヴェルナを追いかけ、7階のフロアを歩き出した。




