#2 生存
「はっ」
サチが勢いよく起き上がったので、額を重ねていたセナとゴツンと強く頭をぶつけてしまった。
「いったぁい!」
「あっ、ええっと、ごめんなさい!」
押しのけられ、床に尻もちをついたセナにサチはさっそく謝り倒した。
目が醒めたと思ったら、自分の上に女の人が覆いかぶさって顔を近づけていた。思わず跳ねのけてしまったが、サチは自分の置かれたこの奇妙な状況がよくわからず周囲を見回す。
どうやら寝かせられていたのは立派な寝室のようだ。壁にはゴシック調の豪華な装飾が施され、絨毯は赤く、照明は煌々と照らされたランプがずらりと並んでいる。サチが自分の寝ているベッドをばんばんと手でたたくと、シルクのような肌触りが心地のいいものだった。
湖に落ちたところまでは覚えている。サチはどうやら自分が溺れたと勘違いされて、この人たちに助けられてしまったようだと察した。
「ここは、一体……あなたは?」
「ここは私の船室だよ」
「わ・た・し・た・ちーッ!」
セナの言葉を、扉を隔てた向こうから大きな声が否定する。
「あはは、ごめんね。紹介するよ。立てるかな、ついておいで」
セナに手を引かれ、ベッドを下りたサチは寝室の隣の部屋へ連れていかれた。
そこには3人の女がいた。一人は金髪を伸ばした青い瞳の女で、腰かけたソファから振り返り一言「意識が戻ったのね」と無表情のままつぶやいた。
一人は茶色の整った髪を後ろで一つ結びにした女で、壁に寄りかかるように腕を組んで立っている。
そして最後の一人は――――飲んだくれていた。
白衣を羽織り、黒い髪に白いメッシュを入れた飲んだくれの眼鏡女は、ソファから滑り落ちたような格好で、テーブルに置かれたウィスキーグラスを握って掲げ、ぶーぶーとサチに向かって呂律の回らない声で何かを言っている。
しかし何より驚いたのは、そこにいる全員がサチと同じ服装――――聖ロアノール音楽学院の制服を着ていたことだ。胸に入った刺繍を見るに、彼女らは上級生らしい。
「自己紹介がまだだったね。私はセナ。鴉羽瀬奈」
「カラスバ⁉」
その名前を思わずサチは復唱した。聖ロアノール音楽学院において「セナ・カラスバ」の名を知らぬ者はいない。
セナ・カラスバといえば、ロアノールにこの人あり、稀代の天才と謳われた至高の魔奏士である。
「じゃあみなさんはもしかして……!」
「NIGHT RAVEN」壁に寄りかかった女が答える。
思わず、サチは「わぁ」と歓声のような声を上げた。
セナの名を知らぬものがいないように、その楽団の名を知らぬものはい。「NIGHT RAVEN」といえばロアノールの中でも、『魔女の血球』の討伐数首位をここ1年ほどずっと維持している、最強の魔奏楽団である。
「そういうこと。紹介するね。この子はクローディア」
「クローディア・クランフィールドよ。助かってよかった」
ソファ越しに手を伸ばし、金髪で青い瞳のクローディアはサチと握手を交わした。
「あっちのはルイス」
「よろしく」
一つ結びのルイスは動かず、壁に寄りかかったまま手だけを上げて簡単な挨拶をした。
「そしてこの人は……」
「ゆりーか・ふぁれんたひんでひゅー」
呂律の回らない飲んだくれ眼鏡が答える。
「ユリーカ。私の奥さん」
「お、おく……?」
「結婚したんだよ。3日前にね」
サチは言葉を失った。
あのセナ・カラスバが同性婚していたことも驚きだが、その相手がこんなヤバそうな人だというのが一番の驚きである。確かによくよく見てみれば、セナもユリーカも薬指には指輪がはまっている。
「もうユリィったら。お酒はほどほどにしなよって言ってるのに」
「うるはーい! 花嫁ひゃんを放って他の女のとこいくセナのいうことなんか、ひへないもんねーだ!」
ソファからやれやれ顔で立ち上がったクローディアが、べろべろに酔っているユリーカの脇に手を回し、ソファに座らせる。
これはいわゆるヤケ酒というものらしい。暗黒時代が過ぎてようやく嗜好品も出回るようになったためか、伝承に伝えられる「酒」というものを嗜むものも増えた。
「このどろぼうねこー! かえせかえせー! あたひのセナたんをかえへーッ!」
……それでも酔っぱらってくだを巻く人間は珍しいが。
酒臭いユリーカは隣に腰を下ろしたサチに突然ヘッドロックをかける。
「あの、やめてくださると……」
「ハハハ。気にしないでね。ユリィはこれでも魔法薬学の天才なんだよ。死にかけてたキミの命を救ってくれたしね……そうだ、そういえばキミの名前を聞いてなかった」
ユリーカの奇行にいたたまれなくなったクローディアが、ユリーカをサチから引きはがす。
じゃまするなー!ともがくユリーカから解放されたサチは、向かいのソファに腰かけたセナに正対した。
「サチ・ホシノっていいます」
「サチっていうんだね。その服、うちの制服だよね。何年生?」
「三年生、です」
「なぜ三年生がこんな場所に?」ルイスが問う。「下級魔奏士試験に合格して校外活動許可を得ている三年生は、学校の記録ではまだいないはずだが」
「ルイス、その疑問は後にしようね」
セナが言葉を遮っても、ルイスは疑問を口にするのを止めなかった。
「訓練のためにこの湖まで来たのか。それなら他にも仲間がいるんじゃないのか。その仲間はどうしたんだ」
「ルイス」
「セナ。もし『血球』に襲われたなら、他にも生徒が湖に落ちている可能性がある」
「ルイス。黙って」
セナが語気を強めて、ようやくルイスは黙った。
「……ごめんね、サチ。ルイスはちょっと融通が利かない性格でね」
「はあ」
「そりゃ言いたくないよね。実はさっき、キミの記憶をほんの少しだけ覗かせてもらったんだよ。キミが何を考えて、何のためにここに来たのかを私は知ってしまった」
「えっ」
「私がキミにやった『魔力融合』とはそういうものなんだ。自分と相手の精神的な繋がりを作る。だから感情や想いや、強く刻まれた記憶はお互いに伝わってしまう」
サチはうつむき、制服のスカートの裾をぎゅっと両手で強く握りしめた。
とどめを刺すように、セナはサチの聞きたくない言葉、聞かれたくない言葉を口にする。
「自殺、しようとしたんでしょう」
セナの言葉に、一堂は言葉を失った。
唯一、すでに言葉を失ってむにゃむにゃ言っているユリーカを除いて。




