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心の折れる音

作者: 赤色野菜
掲載日:2025/12/06

「目の前の仕事にぶつかりに行く毎日、いつしかそれは自分を助ける」

 そんな耳触りの良い言葉を言われても、この仕事への意欲は上がらない。

 毎日同じ時間に起きて、同じ時間に寝るこのサイクルの中で唯一の甘味は、華金の散歩だった。吐息が目に映るこの時期の散歩は、どことない寂しさと街の明かりが心地よい。


 歩いていると、見たことのある顔立ちの女性が前から近づいてきて、肩がぶつかりそうになる。

「前見て歩けよバーカ」と心の中で叫んだ声が聞こえたかのようなタイミングで、その女性に声をかけられた。


「すみません、落としましたよ」


 どうやら俺は、ポケットに入れたままの定期を、避けた際に落としてしまったようだ。


「ありがとうございます」


 心に薄くかかった靄を払うように、感謝の言葉が漏れた。


「え、ケイ君?」

「やっぱりユイさんか、見たことある顔だと思ったんだよね」


 さっきまでの気持ちは急に晴れ、大学の頃を思い出す。


 大学2年生の後期の授業で初めて話した女の子がユイさんだ。何度か会ううちに、誰もに平等に優しく振りまかれる笑顔は、心の癒しとなっていた。

 だが、話す機会はこの授業しかないため、これ以上仲良くなるには自分から話しかけなければならない。それは少し面倒くさい。

 そんな気持ちを持ったまま大学を卒業し、一般企業に勤め、気づいたら2年が過ぎていた。何度か恋愛はしてきたが、しっくりくる相手がいないため、付き合うたびに1年足らずで別れている。

 しかし、ユイさんとは付き合ったこともないのに、上手くいく気がする。

 そんな謎の自信を持ったことは、誰もが1度はあるだろう。


「ケイ君なんでこんなところにいるの?スーツってことは仕事終わりかな」

「そうそう、華金だから散歩してるんだよね」

「いいじゃん、少し話そう!」


 ブラウンのダウンジャケットを着ているユイさんは、もこもこして暖かそうだが、

私服のような感じなので、職業が気になる。


「ユイさんめっちゃ私服っぽいけど、仕事は何をしてるの?」

「高校生のころからバイトしていたカフェの正社員になったよ」

「そうなんだ!てことはカフェ歴7年目くらい?」

「そうだよ、重鎮になっちゃってそのまま社員登用してもらったかな」


 大卒なのにもったいないなという思いは押し殺し、会話を続ける。


「すごいね。あんまりそこまで長く続ける人いないんじゃない?」

「まあね!楽しいからこのまま続けたいと思ったんだけど、正社員はやっぱり違うね」

「だろうね、責任も売り上げもまとわりついてくるもんね、大変だ」

「ケイ君は?なんのお仕事やってるの?」

「営業だよ、今日も先輩にあほ臭いこと言われてイライラした」

「お互い大変だね」


そう言ってほほ笑んだ彼女の笑顔が、冬の寒気を暖気に変える。


「あ、またどっかでね!彼氏が待ってるの忘れてた!」

「そっか、またどこかでね」

「また会おうね!」


 去っていった彼女の背中を追えなかった。そんな自分に嫌気がさした。


 帰り道のスーパーで、晩御飯の食材を買った。

 鶏むね肉、卵、ホウレンソウ。それら炒めて、白米のおかずにするつもりだ。

 スーパーから出てすぐ、段差を無くすための鉄板で足を滑らせる。


 グチャ


 卵が潰れた音がした。

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