表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/19

双子の腸重積


 午前二時十三分。

 救急外来の自動ドアが、ぬるりと音もなく開いた。

 蛍光灯に照らされた母親は、白く濁った顔で赤ん坊を抱きしめていた。片方の靴が踵を踏み潰したままだ。頬に貼りついた髪が汗ばんで光る。

「また、なんです……」

 赤ん坊は顔を真っ赤にして泣いていた。けれど声は弱々しい。ミルクでもこぼしたかのような赤い液体が、口元を染めている。

「昨日と同じで……変な泣き方で……赤いの、吐いて……」


 氷川颯真は、電子カルテを開いたまま視線を上げた。

 「……昨日?」

 「はい。昨日の夜にも来ました。ここに。診てもらいました」

 「うちの病院に、ですね?」

 母親は首を縦に振る。だが氷川のカルテには、赤ん坊の名前が一件もヒットしなかった。


 妙だ、と氷川は思った。

 腸重積──6ヶ月から2歳の乳児に多い緊急疾患。腸の一部が別の腸にめり込むように入り込み、激しい腹痛、嘔吐、血便を起こす。放置すれば、腸壊死すら招く。


 症状はそれらしく見えた。

 しかし、来た形跡がないのはおかしい。


「お子さんの保険証、ありますか?」

「……忘れました。でも、前回と同じなので」

 それが通用するのは、同じ病院に同じ子が来た場合だけだ。

 氷川は口を噤みながら、赤ん坊の腹部に手を添えた。やや膨満がある。触診でわずかに抵抗を感じたが、所見としては曖昧だった。


「とりあえず、エコーを撮ります」



十分後、検査室。


 予想通り、所見はなかった。

 腹部超音波に映るべき“ドーナツ状”のターゲットサインは、どこにも見当たらない。泣いてはいるが、発作的な疝痛とも違う。

 氷川は黙ってモニターを見つめる。傍らの若手看護師が囁いた。

「昨日って、私たちのシフトにはこの名前なかったですよね……」

「ないな」

「お母さん、間違えたのかな」

「……間違えてたら、これで三回目だ」



 翌週、再び同じ母親が赤ん坊を抱えて現れた。

 前回と同じ症状。

 しかし、今回は「別の子ども」として記録がなされていた。


 名前が微妙に違う。

 保険証もない。

 泣き方は同じ。症状も同じ。けれど、今回の赤ん坊には耳の形に違和感があった。


「ちょっと失礼。……こっちの耳、前回より大きいな」

 看護師が怪訝な顔をする。

「先生、赤ちゃんの耳ってそんなに変わります?」

「変わらん。人が変わったなら別だがな」



二時間後。処置室。


 赤ん坊の状態は自然軽快した。

 だが氷川は、それよりも気になっていたことがある。

 ──この母親には、双子の子どもがいるのではないか?


 カルテには一人分の記録しかない。住民票も一人。

 けれど赤ん坊の血液検査を2件照合したとき、血中のビリルビン値が異なることに気づいた。


「これ、同一人物の変化としては説明がつかない。……違う赤ん坊だ」




 氷川は、小児科医の協力を得て児童相談所に連絡。

 実はこの母親は、出産後に1人だけ出生届を出し、もう1人の存在を隠していた。

 理由は「生活が苦しいから」。

 そして、交互に赤ん坊を病院に連れてくることで、医療助成や緊急受診時の処方薬、交通費などの補助を二重に受け取っていた。


 母親は泣き崩れた。

「だって、どうせ誰も見てくれない。うちの子なんて、見てくれない……」

「それで病気を作り出したのか」

氷川の声は静かだった。


「いいか。腸重積は、赤ん坊が泣くから気づく病気じゃない。泣いていても無視される赤ん坊を救うための医学だ。お前が演技でそれを再現したところで、医療は騙されない」



エピローグ


 双子は保護された。

 母親は精神鑑定を受けたのち、代理ミュンヒハウゼン症候群と診断された。


 氷川は報告書を書きながら、ふと赤ん坊の顔を思い出す。

 泣き止んだとき、双子のうちどちらかが小さく笑った気がした。


 「腸が重なっていたのは、母親のほうだったのかもしれない。

 ――育児と孤独、嘘と愛情。なにかを、必死で繋げようとしていた」




現代日本では、児童手当や医療費助成が命を救う一方で、時に制度が“歪んだ動機”を誘発することもある。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ