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解熱剤が効きすぎる男


名古屋総合医療センター、夜間救急外来。

当直明けの午前0時すぎ、診察室に入り込んだ看護師が、こっそりと氷川に耳打ちした。


「先生、変な患者さんが来てます。高熱で搬送されたんですけど……」


「で?」


「解熱剤が“異常に”効いてるんです。さっきまで40度だったのに、今は33度台です」


くだらないな、と氷川は思った。だがその“くだらなさ”の裏に、何かありそうな気もした。



診察室のベッドには、額に冷却シートを貼った若い男が横たわっていた。

田村徹、26歳。会社員。夜8時半に発熱と倦怠感を訴え、救急搬送されてきたという。

看護記録にはこうある:


「20:47 解熱剤(アセトアミノフェン500mg)内服」

「21:15 再検温:33.4℃」


氷川は眉ひとつ動かさず、電子体温計を手に取った。自分で測定してみると、またしても表示は33.5℃。

しかし、患者の皮膚は温かい。顔色も悪くない。

通常、33℃台の低体温で見られる震えや意識障害は、どこにもない。


「君、今の体温が正しいと思うか?」


「え……いや、でも実際下がってるんですよね?」


「違う。薬が効いたんじゃない。体温計が“効いてるふりをしてる”だけだ」



氷川は体温計を分解し始めた。数分後、センサー部に異常が見つかる。

わずかに銀色の反射素材が、先端内部に貼り付いていた。


「これは……静電反射シール。君、こういうの持ってるだろ?」


田村は目をそらした。


「体温計のセンサーにこれを貼れば、赤外線の反射が乱れ、異常に低い温度が表示される。

たいていの電子体温計は赤外線放射量で体温を推定してるからね」


「……すみません」


田村は肩を落とした。観念したようだった。



「ちょっとでも、休みたかったんですよ」

ぽつりと漏らした声は、どこか切実だった。


「職場が地獄なんです。インフルかコロナじゃなきゃ休めないって言われて。

休むなら診断書を出せって。熱くらいじゃ無理って。

だから、すぐに解熱したように見せかけたら、家に帰されると思って……」


氷川はしばらく黙っていた。

そして、静かに尋ねた。


「仕事中に息苦しくなったことは?」


「あります。プレゼン中に過呼吸みたいになって、手が震えて……」


「朝は起きられるか?」


「毎朝、吐き気がして……ギリギリまでトイレにこもってます。夜も、眠れません」


カルテに、淡々と記録しながら氷川は告げる。


「君の診断名は、“適応障害”。

身体症状を偽装する必要は、最初からなかった」


「……え?」


「これは精神疾患だ。環境が合っていないだけで、君自身に欠陥があるわけじゃない。

二週間、自宅で安静にするように。診断書を書く」


田村の目に、うっすらと涙が浮かんでいた。


「……本当に……そんな、ことしてもらえるんですか?」


「間違いない。くだらないトリックに頼らなくても、正当な理由で休める人間なんだ。

少なくとも、俺はそう診断する」



その日のカルテには、こう書かれた。


「主訴:発熱(偽装)/心理評価により、職場ストレスに起因する適応障害を疑う。

 二週間の自宅安静を要す。必要に応じ、精神科紹介」



翌朝。仮眠室で看護師が言った。


「先生、あの患者さんのSNSに“奇跡の解熱剤”って投稿がありました。

“10分で6度下がる薬”って。バズってますよ。“再現性なし”って炎上してますけど」


氷川はまぶたを閉じたまま、眠そうに答えた。


「くだらない……でもまあ、ちょっと効きすぎる薬が、今の社会には必要なのかもしれないな」

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