表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/19

誰がワシのオムツを履いたのか


名古屋総合医療センター・東病棟。午前三時過ぎのナースステーションに、突然ナースコールが鳴り響いた。


「オムツが違うんじゃ! ワシのオムツじゃない!」


そう叫んだのは、認知症病棟に入院中の安藤善三(八三歳)だった。

看護師の西村が慌てて駆けつけると、安藤はベッドの上で仁王立ちになって怒鳴っていた。


「この素材感……この伸び……これは“やわ肌極吸プレミアム”じゃない。

ワシは“超通気ロイヤルケア”しか履かんのじゃ。間違っとる!」


看護師たちは困惑した。オムツの銘柄を判別できる高齢者は珍しい。しかし、彼の異常な執着に、病棟スタッフはひそかに「オムツソムリエ」と呼んでいた。


結局その場は「認知の混乱による言動」という扱いで処理され、誰もがその夜の騒動を忘れかけていた――翌朝までは。



翌朝、再びナースステーションがざわついた。


「安藤さんの股間が……まっ赤にただれてるんです!」


診察に呼ばれた研修医・氷川颯真ひかわ そうまは、安藤の臀部の状態を見て、すぐに首をひねった。


「違う。これは普通のオムツかぶれじゃない。

接触性皮膚炎、それも金属系のアレルギー反応だ。何か異物があったな、オムツに」


驚いた看護師がオムツ保管棚を確認すると、安藤用のストックからだけ、微細な黒い粉が検出された。繊維の奥に入り込んだそれは、わずかに鉄の匂いがする。


「ふむ……黒い粉末。酸化鉄。静電気吸着性……これは、ハゲ隠しだな」


氷川が見つけたのは、増毛用の黒ふりかけスプレーの成分。

一部製品には微細な鉄粉が使用されており、長時間皮膚に接触すればアレルギー反応を引き起こすことがある。

しかも高齢者のデリケートな皮膚では、なおさら危険だ。


犯人はすぐに判明した。隣のベッドに入院していた元高校教師・宮川廣造(みやがわ こうぞう・81歳)。

病棟の監視カメラには、夜中に安藤のロッカーを探る姿がしっかりと記録されていた。


ベッド下の引き出しからは、使いかけの黒いふりかけスプレー。

事情を聞かれても、宮川はしばらく黙っていたが、氷川の一言でついに口を開いた。


「……あいつが言ったんだ。“ウニ頭”って。

ワシはな……いじられたくて生きとるんじゃない。

ただでさえ看護師に若ハゲ扱いされて……安藤にまで笑われたくなかったんや……」


動機は、くだらない。


だが、くだらなさの中には、たしかに老人たちの誇りと孤独があった。

安藤善三の「オムツ銘柄マウント」、宮川廣造の「静かな仕返し」。

全てが、たった一本のオムツの上で起きた仁義なき戦いだった。


事件後、宮川はしおらしくこう頼んだという。


「ワシのオムツ……もう“プレミアム”じゃなくていい。普通のでええよ……」


氷川はカルテに淡々と記録を残したあと、ひとりつぶやいた。


「くだらないな。だが、くだらない争いの中にしか、

彼らが今を生きる理由はもう、なかったのかもしれないな」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ