検査値が毎回変わる男
血液検査の結果は、患者の嘘を暴く。
だが、その嘘を「検査値の方がついている」ような男が現れた。
夜勤明けの病棟。名古屋総合医療センターで研修医として勤務する氷川颯真は、モニターに表示された血液データを見て、首を傾げた。
「……毎回、値が違いすぎる」
問題の患者は、小山達郎。五十八歳、独身。主訴は倦怠感と食欲不振。入院から五日目にして、検査値がすべてバラバラだった。
初日は炎症反応が高く、二日目には正常に戻る。三日目には肝機能が跳ね上がり、四日目には腎臓の値が悪化。そして五日目、すべて平常値。
病気が治ったわけではない。症状は一貫して「なんとなく調子が悪い」。にもかかわらず、検査結果だけがカメレオンのように色を変えていく。
氷川は画面に向かって、低く呟いた。
「くだらない。検査値で、俺を騙せるとでも思ったか」
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氷川は小山の病室へ向かった。
男はベッドに寝転び、テレビを見ながら「あー、今日も胃が重いっすね」と言った。
「昨日、夕飯の後くらいから、ちょっとムカムカしてて……。あ、水なら飲んでます」
そう言って手渡された水筒の中身は、ポカリスエットのような淡い色の液体だった。
だが、沈殿物がある。何かが混ざっている。
「これ、何か入れてる?」
「え? あー、まあ……ビタミン剤? ドラッグストアのやつ」
氷川は水筒をテーブルに置き、ため息をついた。
さらに奇妙なことがあった。小山の検便の結果である。
寄生虫抗体が陽性。トキソカラ症疑い。サルモネラ菌まで出ていた。
だが、問診では生肉を食べた履歴はない。ペットもいないと言っていた。
氷川は検査技師に確認した。
「先生……これ、たぶん犬の便ですよ。人間じゃまず出ないものが、複数……」
氷川はまた、ため息をついた。
「くだらない。犬の病気の検出に、病院の検査室を使うな」
極めつけは、採血だった。
検査室から送られてくるサンプルの血漿が、妙に薄い。
成分がバランスを欠いており、何度も再検査になっていた。
氷川は朝の採血を自分で行うことにした。
採血直後、検査室へ直送。すると結果は正常。すべての臓器機能が問題なし。
つまり、それまで出ていた異常値は、**患者自身による“採血の細工”**だった可能性が高い。
尿を混ぜたか、水で薄めたか。氷川は問いただした。
「……すみません。実は、入院してたくて」
小山はうつむいて言った。
「家、暑いし。電気代ももったいなくて。食事も出てくるし、テレビも見れるし……。病気になれば、ずっといられるかなって」
「だから、犬のウンコ出して、血まで細工した?」
氷川は静かに言った。
「くだらない。だが、くだらないにも限度がある」
エピローグ
数日後、小山は自主退院した。
だが、病棟の検査室前には新たな貼り紙が貼られた。
【注意】
・採血は常に本人確認を行うこと
・検便は人間のものに限る
夜勤明けの氷川は、それを見て小さく笑った。
「次は、俺の血と便でやってくれ。そっちは信頼できる」
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補足
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・医療機関とは一切関係ありません。
作者の医学監修には基づいていますが、作品内の診断・処置は創作上の演出を含みます。