異形の救急患者 —神経細胞が踊る腕—
深夜の救急外来。
氷川颯真は疲れた身体を引きずりながら、モニターの前に立っていた。
そこへ、非常に異様な患者が搬送されてきた。
身元不明の若者で、意識は朦朧としている。
血液検査の結果は、氷川の経験則を大きく逸脱していた。
代謝パターンはヒトのものではなく、むしろイカや軟体動物に近い数値を叩き出していたのだ。
さらに診察を進めるうちに、患者の腕と足には、脳と同様の高度な神経細胞が分布していることが判明する。
氷川の眉が険しくなる。
「これは……どういうことだ?」
氷川颯真は精密検査のため、患者の腕に設置された多機能モニターを見つめていた。
電気生理学的検査の結果、腕や足の筋肉群に脳と同じ種類の神経細胞が多数分布し、複雑な信号のやり取りが確認されている。
しかも、その信号は人間の末梢神経とは明らかに異なり、まるで別の意志が存在しているかのように変化を続けていた。
「こんな神経分布は医学書にも存在しない……人体の常識を超えている」
看護師が震える声で報告した。
「患者さん、手足が独自に動いているように見えます…まるで自分で意思を持ってるみたいに…」
氷川は冷静にカルテにメモを取りながら考え込んだ。
(この“腕の脳”は、一体何のためにあるんだ?)
同僚の神経内科医・佐藤がやってきて、氷川に言った。
「颯真君、こいつはもう人間じゃない可能性が高いよ。
あの生体データ、イカの脳神経系に非常に近い。多分、擬態してる異星生物だ」
氷川は眉をひそめた。
「本気で言ってるのか?そんな話が通ると思うか?」
だが、目の前の“異形の患者”は、今にも何か言葉を発しそうに、ゆっくりとその腕を動かした。
「……俺は、誰だ?」
氷川はじっと患者の動きを観察した。
腕の神経細胞は確かに人間とは異質だが、患者自身の意志が混ざり合い、まるで二つの存在が同居しているかのようだった。
「君は誰だ?」氷川が静かに問いかけると、患者はかすれた声で答えた。
「名前は…覚えていない。だが、ここは…どこだ?」
検査結果をまとめていた佐藤が、不意に口を開いた。
「氷川君、この患者、特殊なウイルスに感染してる可能性がある。
しかも、ウイルスが彼の神経組織に組み込まれて、神経細胞の構造を変えている」
「つまり…彼は人間ではなくなりつつある?」
「そうだ。しかし、ウイルスの正体が問題だ。普通の病原体じゃない。
我々の知る生命体の範疇を超えている」
氷川はこの言葉に背筋が寒くなった。
病院内に貼られた謎のウイルスのDNA配列。
調べれば調べるほど、それは未知の生命体のものであり、過去に一切報告のないものであった。
「これは…宇宙から来たものかもしれない」
そんな矢先、患者の腕が突然震え出し、本人とは別の意思で電子カルテを操作し始めた。
画面に浮かび上がった言葉はこうだった。
「私は“彼”を支配している。しかし、彼もまた独立した意思を持つ。私たちは共存を望む。だが、時間がない…」
氷川は愕然とした。
「共存…?つまり、患者の体の中に異なる二つの生命体が存在しているというのか?」
そこに、氷川の携帯電話が震えた。画面には、病院の理事長からの着信。
「氷川、すぐに来てくれ。話がある」
氷川は患者の瞳を見つめながら、ゆっくりと立ち上がった。
(この事件の背後には、もっと大きな秘密がある…)
氷川は理事長の呼び出しに急ぎ病院の管理室へ向かった。
理事長は重い表情で待っていた。
「氷川君、この件は表に出してはならない。患者の正体は病院の上層部でも極秘扱いだ」
「なぜですか?」
「彼はただの患者ではない。特殊な研究対象だ。異星生命体と人間の融合、それを隠蔽し、利用しようとしている」
「そんな…」
「これから君には協力を頼みたい。秘密裏に治療と調査を進め、もし問題があれば即刻報告せよ」
氷川は冷静に頷いた。
「分かりました。しかし、この患者の意思は尊重すべきです。共存とは何か、彼の言葉の真意を探るべきだ」
理事長は黙ったまま頷いた。
⸻
患者の病室に戻った氷川は、再びベッドの横に立った。
腕がゆっくりと動き、まるで意思を伝えようとしている。
「私の名は“オーガッソー”」
患者の口から、その名が囁かれた。
「私たちは、あなたの体を借りてここにいる。侵略ではない。共存の可能性を模索している」
氷川はじっと耳を傾けた。
「しかし、私たちの存在は、あなたの体に負担をかけている。急速な変異は危険だ」
患者の目に、微かな恐怖が浮かんだ。
「助けて欲しい。共に生きる道を探そう」
氷川は深く息を吐き、覚悟を決めた。
「分かった。君を救い、真実を明らかにする」
⸻
しかし、病院の一角では、研究スタッフが不穏な動きを見せていた。
秘密裏に患者の体液を採取し、何かを抽出している。
「これが成功すれば、人類は新たな進化を遂げる」
背後に誰かの冷たい笑みがあった。
⸻
氷川颯真は、未知の存在との共存、そして病院に潜む陰謀に立ち向かうことになる。
命と倫理の狭間で揺れ動く彼の戦いが、今始まろうとしていた。
研究スタッフの不穏な動きが増す中、氷川は患者オーガッソーの状態を見守り続けていた。
検査の度に変わる彼の生体データは、依然として通常の人間とはかけ離れている。
だが、彼の意識は確かにここにあり、氷川に語りかける。
「君には感謝している。しかし、私たちの共存は難しい。体は限界に近い…」
その言葉を聞きながら、氷川は感じていた。
何か大きな力が病院の奥底で動いていることを。
真実の一端が見えたようで、また闇に覆われる感覚。
理事長の圧力は日に日に強まり、調査は制限されていく。
氷川は密かに資料を持ち出し、外部の研究者と接触を試みるが、すぐに妨害される。
「俺たちは何かに操られているのかもしれない」
そう呟きながらも、諦めずに探り続ける氷川。
⸻
氷川颯真はまだ知らない――
真の敵は、病院の中だけでなく、世界のどこかに潜んでいるのだと。




