焦げた微笑み
午前四時五十六分。
名古屋総合医療センター形成外科の術後回復室に緊急の声が響いた。
若い女性患者が目を見開き、激しく涙を流していた。
「顔が…熱くて…痛いんです…」
抱きかかえられた彼女の左頬は赤黒く腫れ、皮膚は炭のように焼け焦げていた。
氷川颯真は、疲労の色が濃いながらも状況を即座に理解した。
これは通常の手術後の炎症ではない。深く異常な熱傷だ。
「形成外科の中木原先生の執刀だろう?」
看護師の声に頷きつつ、氷川は冷静に手術記録と監視カメラ映像を確認した。
しかし、映像の一部が切り取られていることに気づく。
「これは事故か、隠蔽か……」
彼は拳を静かに握り締めた。医療現場の闇が、今、目の前にあった。
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左頬の焦げ跡は、痛みとともに彼女の表情を歪めていた。
回復室の静かな空気を切り裂くように、彼女のすすり泣きが響く。
氷川は再度、手術記録に目を走らせた。
手術台の詳細な記録が残されているはずだったが、映像の一部が無断でカットされていた。
「なぜだ……?」
形成外科の若きエース、中木原零士の名前が画面に映る。
彼は名医と称され、医療センターのホープだった。
しかし、その瞳には隠しきれない焦りが潜んでいる。
一方、看護師の佐藤美咲は、不倫関係にある中木原を守ろうと必死だった。
彼女は手術中に起きた事故を隠蔽しようとしていた。
氷川は淡々と証拠を集め、患者の熱傷が単なる擦り傷ではなく、電気メスの誤使用によるものだと推理する。
だが、証拠は消されている。
「記録が改ざんされている以上、直接的な証拠は掴みづらい」
彼はそう呟いた。
しかし、患者の痛みの叫びが隠された真実を物語っていた。
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形成外科病棟の控室。
氷川は中木原零士と向かい合った。
若くて精悍な顔立ちの医師は、どこか神経質な影を纏っている。
「氷川先生、彼女の顔の傷は手術の範囲外のものだ。私も信じられないが、電気メスの誤操作で熱傷が起きた可能性がある」
「しかし、映像記録は途中でカットされています。なぜ隠す必要が?」
「……それは…」中木原は一瞬目を逸らした。
「実は、手術室の看護師が…」と切り出した時、廊下から看護師の佐藤美咲が駆け込んできた。
「私が悪かったんです!」彼女は震える声で告白した。
「電極パッドを一時的に剥がし、そのまま貼り忘れてしまいました。あの時は怖くて…中木原先生が守ってくれると思って」
中木原は険しい表情で看護師を見つめ、深いため息をついた。
「俺たちは間違いを隠そうとして、傷つけた彼女に二度目の傷を負わせてしまった」
氷川は静かに言った。
「隠蔽は医療の最も重い罪だ。傷ついた患者の心を思えば、なおさらだ」
佐藤は絞り出すように言った。
「私、もう看護師を続けられないかもしれません…」
中木原が肩に手を置いた。
「それでも、君には償う道がある。患者さんに正直に謝り、未来のために動くんだ」
廊下の窓から夜明けの光が差し込み、氷川の瞳を静かに照らした。
「医療は人の命と尊厳を預かる仕事だ。その責任の重さを忘れずに、次の一歩を踏み出すんだ」
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病室のベッドに横たわる女子高校生、美月。
鏡に映る自分の顔をじっと見つめていた。
左頬はまだ赤黒く焦げている。かつての輝きを取り戻すには長い時間と手術が必要だ。
だが彼女の瞳には、諦めの色はなかった。
「失った顔も、失った笑顔も、取り戻せる」
そう、心の中で決めていた。
窓の外、朝陽が少しずつ病室を暖かく染める。
遠くで氷川颯真の声が響く。
「再建は医療の奇跡だ。でも、それを支えるのは患者の意志だ。美月さん、君は強い」
美月は小さく頷いた。
「ありがとう、先生。私、負けません」
ゆっくりと手を握り返す氷川。
「共に歩もう。次の一歩を」




