静寂のバウンサー
僕の好きな人はバウンサーだ。
そのことを知ったのはたまたまだった。それはとある日の休憩時間のこと。
彼、鈴木匡係長が自動販売機と観葉植物の間でポツポツと話しているのを見かけた。
「……あぁ。……また……。いや、はい……。やれます。俺はバウンサーですから」
ゲームや漫画の世界でしか聞いたことのない単語に僕は後退りした。
カッコ良すぎるだろ。
鈴木係長は会社では若手なのにもう役職付きで、営業成績も常に一位。なのに全然驕った感じがなくて自分を律する?ていうのかな。武士みたいな人だ。
見た目もまあ、すっげえカッコいい。
切れ長の一重瞼から覗く黒い瞳、精悍ながらもどこか色っぽい顔立ち、口元の黒子がなんともセクシーで僕は毎度見惚れてしまう。きっちり固められた黒髪が一層格好良く見せ、肉体も……本当、スーツに隠れているけれど素晴らしいものを持っていると思う。それに、通りがかるだけでふわっと甘い香りがする。
正直に言う。僕は鈴木係長にめちゃめちゃ恋をしている。
その日、僕は鈴木係長が仕事を終えるのをこっそり待った。さっきの電話の様子だと今日バウンサーの仕事があると言うことだろう。
あとをつけてみよう。
コートを羽織り、カバンを片手に持った鈴木係長は残業する職員たちに小さく挨拶をすると出ていった。僕は「お疲れ様です」と頭を下げて鈴木係長を形ばかりで見送り、姿が見えなくなると僕も仕事場を後にした。
鈴木係長は会社から出ると街の方へ歩いていった。僕は数メートル距離をとりながらなるべく人影に隠れながらついていく。初めこそ人もまばらだったがいつの間にか繁華街のど真ん中に来ていた。明日は土曜日ということもあって押し寄せる人混みに気押されそうになる。
鈴木係長はあるビルの前に着くと足を止め、キョロキョロと辺りを確認し始めた。
ヤバいっ
そう思って僕は近くの路地裏に隠れた。どすっと何かにぶつかる。
「いったぁい……」
低い声が醸し出すにはあまりに不釣り合いな甘い声色に僕は飛び上がった。
「ひっ!」
「なによぉ。人を化け物みたいに見ちゃってさぁ」
そこにいたのは僕よりもずっと大きな身体をした男……女、か。この場合は。その人はぺろんとしたピンク色のワンピース姿でじっと僕を見つめていた。この季節にその格好は寒くないのか?と思ったけれど、逞しい二の腕と、ジャングルのような胸毛、太い眉毛と少し生えてきてしまっている顎髭を見たらそんなことどうでも良くなった。
「す、すみません」
とりあえず謝っておこう。
「いいのよ。アンタみたいな可愛い子がぶつかってくれるなんて今日はラッキーだわ」
彼女はクネクネと肢体を揺らしながら笑った。腰まである質の悪そうな金色の髪がゆらゆら揺れる。
「で?」
「……へ?」
「やぁねえ。お姉さんには全てお見通しなの。たーちゃんがお目当てってことでいいかしら?」
「たー……ちゃん?」
「鈴木匡よぉ」
反射で僕の身体はびくっと跳ねてしまった。
彼女は僕の反応を見て「がはは」と笑った。雄々しい笑いに僕も釣られて笑う。
「あーもう、カワイイ!いいわ、お店に招待してあげる」
そう言いながら彼女は逞しい腕で僕の腕を掴んで歩き始めた。断る隙はなかった。
彼女のお店にはすぐ着いた。鈴木係長が入ったビルの隣の隣。ドアには木でできた看板が一つぶら下がっていた。
「ただいまぁ!」
猛々しい声を上げながら彼女は僕を引き連れて入店した。内装はなかなか凝っている。アンティーク調のシックな雰囲気。バーカウンターがあるだけのこじんまりした店だ。
そのカウンターの中にはこれまた雄々しい男……女性がタイトなワインレッド色のワンピースを着て立っていた。
「うっさいわねえ。ここは落ち着いた大人の店よ!ナナちゃん」
「あーん、だってカワイイ子見つけてきたのよ」
「あらやだ、ホントだわっ」
僕を連れてきた彼女……ナナちゃんは僕の背中をぐいぐい押しながら店内に押し込んだ。客は僕だけのようであっという間に椅子に座らされ、ナナちゃんはどかっと隣に腰を下ろした。
「ママ、この子ね、たーちゃんに興味があるみたいなのよ」
「あら、罪深い子猫ちゃんね。何が飲みたいかしら?」
「あえ?あ、じゃ……」
「やーん!子猫ちゃんなんだからミルクでしょうよ」
「そーよね。ミルク入れてあげるわ」
僕のことを話しながら僕のことをまるで無視し、ママは勝手に決めた飲み物をコップに注ごうとする。僕は立ち上がって前のめりで聞いた。
「鈴木係長は、バウンサーなんですか?」
僕の問いにその場の空気がガラッと変わった。今までニコニコしていた二人の視線がすっと細められる。
ナナちゃんは「ふう」と溜息を漏らして頬杖をついた。
「どうしてそれを?」
やっぱり内緒だったんだ。それはそうだろう。バウンサーと言えば表だった仕事ではない。寧ろ裏の仕事だ。
ママはふふっと鼻で笑った。
「たーちゃんの腕は大したものなの。騒ぐ獲物もあっという間に寝かせてしまう。天賦の才、と言うのかしら。まぁ……生い立ちも関係しているでしょうけれど」
「ここら辺の人は皆、たーちゃんに感謝している。これからもずっと頼りにしているの」
続けてナナちゃんが言った。
そうだ。バウンサーは守る仕事。決して悪いことではない。
「僕、言いません。鈴木係長の秘密」
我ながらちゃちな言葉だ。でも本心だった。
表も裏も、ない。
僕の言葉にナナちゃんはぱっと表情を明るくし、ぽんと手を叩き立ち上がった。
「そうだわ、よかったらたーちゃんの仕事見に行かない?」
「え?」
ナナちゃんの長く太いまつ毛がバチンと瞬きウィンクした。
僕はナナちゃんに腕を引かれて店を出た。
「いいかしら、子猫ちゃん。たーちゃんの仕事はとても繊細なの。静かに、静かぁに」
「……っ、はい」
バーの隣の隣のビル。聳え立つ建物を見上げると僕の喉にひやっとした生唾が通った。
ナナちゃんに連れられ、コツ、コツ、と階段を登っていく。3の数字が見えたところでナナちゃんは振り向き、自分の唇に人差し指を当てた。僕は声を出さず頭を振って頷き覚悟を決めた。
会議室のような扉がゆったりと開く。
「あれ?ナナちゃんさん。こんばんは」
薄暗い部屋の中には受付のようなカウンターがあり、一人の優しそうなおばさんが座っていた。
「たーちゃんの仕事見学なの。見てもいいかしら?」
「あらあら、どうぞ」
彼女は普通に話しているがナナちゃんは変わらず鬼気迫る感じで小声でボソボソ話している。ナナちゃんは小さくガッツポーズをするとヒールの靴を脱ぎ捨て部屋に上がった。僕も倣って靴を脱いでついていった。
常夜灯だけがぼんやりと照らしているだけで部屋の中は暗い。壁に貼られている可愛らしいイラストを追うのがやっとだった。それになんだろう。ふんわり甘い匂いがする。
キィ、キィ
と、規則正しい音が小さく響いている。
「な、なに?」
「シッ!」
「っ……」
ナナちゃんがそっと向こう側に見える人影を指差した。
目を凝らす。じっと向こう側に見える大きな人影。その者は目の前にある何かに触れては次の何かに触れる。その度に「キィ、キィ」と規則正しい音が響く。
なんだ、何をしているんだ。
僕の疑問を理解したのか、ナナちゃんは「ふふっ」と口元を押さえながら笑った。
「たーちゃんの技は大したものよ。程よいリズムと力強さ。あの数のバウンサーを揺らせる人はそういないわ」
バウンサー……、揺らす……?
「……え」
お題:しごできリーマン、裏稼業、BL
リクエストを受けて書くということを初めてしました。自ら1000から3000文字と制限をかけ、首を絞めました(笑)筆者の最近の傾向としまして長い文を書くことが多かったので。
贅沢な挑戦をさせていただき、とても勉強になりました。
そして、ギャグにしてしまい申し訳ございません(スライディング土下座)
ことの発端は「裏稼業」
一般的な人が思う「裏稼業」てなんだろうと思って。それで身近にいた一般人に聞いたんです。そうしたら「バウンサー」と。
バウンサー?なぜ、ゆりかごの話が。
と思って尋ねたら「用心棒だよ」と教えてもらいました。
それで、私ツボっちゃったんです。バウンサー、バウンサー、いいね。と。
鈴木係長が「裏稼業」として働いている場所は夜に子どもを預かる保育園です。といっても朝まで寝かせるタイプではなく、夜のお仕事をしている方のお子様をいい時間まで預かると言う形です。認可か非認可かはご想像にお任せします。
寝かしつけの際に「バウンサー」結構使えるんです。そのまま寝かせるのは体に悪いかもしれませんが。
支援センターにもたくさんあったんですよね、バウンサー。
赤ちゃんはここに寝かせてママたちはゆっくりお話ししててね、と言われた経験からこのお話を思いつきました。
いわゆるBLにならずごめんなさい。゜(゜´Д`゜)゜。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
懲りずに他作品も読んでいただけると大変喜びます。BLもNLもあります。
2024.1.17 江川オルカ