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4.不吉な言伝

 繁華街から徒歩で5分ほどの場所に位置するアンの住まい。

 普段は滅多に他人の立ち入らないその場所に、珍しくも来訪者があったのは、クロエと出会ってから2週間ほどが経った日のことであった。

 

 その日はどんよりとした曇り空で、アンは薄いコートをはおって食料の買い出しに出ていた。そして家に帰りついたとき、玄関前でその人物と鉢合わせたのだ。


「アリス姉さん」

「アン、久しぶりね」


 アンの自宅の玄口前に立っていた者は、アンの実姉であるアリスだった。もう5年も前に他家へと嫁いでいるから、ファミリーネームはドレスフィードではなくモーガン。

 アリス・モーガン、それが突然の来訪者の名前だ。


 アンは食料品でいっぱいの紙袋を抱え直し、尋ねた。


「突然どうしたの。あたしに何か用事だった?」


 アリスは蜜柑色の髪を揺らし、ふんわりと笑った。


「アンの顔を見に来たのよ。元気にしているかなと思って」

「元気元気。なんにも問題なくやっているよ」

「そう……少し、おうちに上がっていってもいい?」

「……別にいいけど」


 アンは肩かけカバンから取り出した鍵を、ドアノブ下の鍵穴へと差し込んだ。鍵を回し、扉を開け、窮屈な玄関口にアリスを招き入れる。

 

 小さいながらも整えられたワンルームを眺め、アリスはふふ、と微笑みを零した。


「相変わらず、秘密基地みたいで素敵なおうちね」


 アンは素っ気なくお礼を言った。


「どーも。そう言ってもらえると嬉しいよ」


 アリスがアンの自宅を訪れるのはこれが初めてのことではない。

 

 アンが生家を離れ、この家で1人暮らしを始めたのが今から2年前の出来事。そのときすでにモーガン家へと嫁いでいたアリスは、何かと理由をつけてはアンに会いに来る。

 例えば面白い本を見つけただとか、アンの好きな菓子を手に入れただとか、そんな用事ともいえない用事を見繕ってはアンの家を訪れるのだ。

 

 訪問の理由は単純、家族と離れたった1人で暮らすアンのことを心配しているから。

 それがわかっているからこそ、多少のわずらわしさを感じながらも、アンはアリスを追い返せない。


「アン。これ、ケーキを買ってきたの。一緒に食べようかと思って」


 アリスは右手に下げていた手さげ箱をダイニングテーブルの上にのせた。このときばかりは、アンはわずらわしさを忘れ歓喜の声をあげた。


「え、本当? 食べる食べる。実はあたし、朝ご飯まだなんだよね」


 料理の手間が省けたと大喜びのアン。しかしアリスは、信じられないことを聞いたと眉をひそめた。


「あなた、今日1度もご飯を食べていないの? もう午後2時を回っているわよ」

「起きた時間が遅かったんだよ。ご飯の準備をしようと思ったらちょうどパンを切らしていてさ。パンを買いに出て戻ったところで、アリス姉さんと鉢合わせたんだ」

「そう……それで、まさかケーキをご飯代わりにするつもりなの?」


 アリスの声は諌めるような調子だ。アンはむっと眉を釣り上げた。


「別にいいじゃん。夜ご飯はしっかり食べるんだから。酒場のまかないは結構豪華なんだよ」


 アンが強い口調で言い返したので、アリスはそれ以上何も言わなかった。


 アンが繁華街の酒場で客引きをしていることをアリスは知っている。以前アンが教えたからだ。

 教えたとは言っても、まさか「変貌魔法で男の姿になって令嬢相手にホストをしている」などという事実を馬鹿正直に語ったのではない。アリスは、アンが変貌魔法を使えるということを知らないからだ。


 アリスだけではない。アンの家族はアンの特技を知らない。アンが稀有な変貌魔法の使い手であるという事実を知る者は、アンを除きこの世界に誰1人として存在しないのだ。

 だからアリスは、アンが看板片手に酒場の店先で客引きをしているものだと思い込んでいる。


 アリスが黙り込んだのをいいことに、アンは土産の手さげ箱を開けた。真っ白な紙箱の中からは、色も形も違う4つのケーキが顔を出す。苺のショートケーキに抹茶のトルテ、フルーツタルトにモンブラン。

 

 アンがフルーツタルトを持ち上げたとき、アリスがおもむろに口を開いた。


「アン、ケーキを食べる前に本題を話してもいい?」


 アンはケーキを片手に目をまたたいた。


「本題? アリス姉さん、あたしの生存確認に来たんじゃないの?」

「それもあるけれど、お父様から伝言を預かっているの。『日曜日の午後2時、身なりを整え本邸に参られよ。1分たりとも遅れることは許さない』ですって」


 予想外の言伝を聞き、アンは盛大に顔をしかめた。


「糞親父からの呼び出しぃ? 嫌な予感しかしないんだけど」


 アンが父親であるローマンとの不仲を理由に家を飛び出してから早2年。ローマンがアンに接触を図ってきたことは過去に1度もない。これが初めての出来事だ。

 

 アン宛に手紙を書くのではなく、アリスを伝言役に任命するあたりに、ローマンの本気をひしひしと感じてしまう。アンはアリスに逆らえない。開封されるかどうかもわからない手紙を書くよりも、ずっと確実な招集方法だからだ。


「お父様の呼び出しの理由は、私にも想像がつかないわ。でも間違いなく顔を出してね」

「んん……全っ然行きたくない」

「また喧嘩にならないように、当日は私も本邸に顔を出すわ。話には同席できないかもしれないけれど、近くの部屋にいるからね。怒鳴り合いになる前に大声で私を呼んで」

「……んん、自信ないなぁ」


 アンとローマンは絶望的なくらい相性が悪い。アンがまだ自宅で暮らしていた頃は、顔を合わせるたびに喧嘩ばかりであった。

 家族だからといって必ずしも仲良くできるわけではない。それはアンが十数年に及ぶ実家生活で、嫌というほど思い知ったことだ。


 アリスは膝の上に置いていた紙袋を、アンに向かって差し出した。


「あとこれ、アンに似合いそうなワンピースを買ってきたの。化粧道具とアクセサリーも一式。靴はサイズがわからなかったから、ワンピースに合う物を買っていらっしゃい。お金は入っているから」


 アンはケーキを右手に掲げたまま、左手で紙袋を受け取った。そして紙袋の中身をのぞきこむこともせず、ぶっきらぼうに言い放った。


「わざわざ買ってきてもらわなくても良かったのに。ワンピースもアクセサリーも、手持ちの物でなんとかするよ」

「アンとお父様は服の好みが違いすぎるでしょう。よくそれで喧嘩をしていたじゃない」

「そうだけどさぁ……」


 アリスはアンの瞳を見つめ、泣き出しそうな口調で言った。


「ねぇアン、お願いだから私の選んだワンピースを着てきて。喧嘩の火種は少しでも少ない方がいいわ。アンとお父様が喧嘩をすれば、お母様だって悲しむんだから」


 アリスの懇願にアンは言葉を返さなかった。

 

 紙袋を床に置き、みずみずしいフルーツタルトにかじりつく。大好きなケーキを食べているはずなのに、気分は重たく沈んだまま。

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