38.アメリア姉さん
さんさんと降り注ぐ太陽の光。
太陽の光をさえぎる七色のパラソル。
パラソルの下に置かれた真っ白なガーデンテーブル。
ガーテンテーブルの上にはケーキスタンド。
ケーキスタンドに並ぶ色とりどり菓子。
ここはティルミナ王国王都の一角に位置する高級カフェテリア。上品な造りのカフェテリアは多くの人々で賑わい、甘い香りが辺り一面にただよっている。
カフェテリアの屋外に設けられたガーデンテーブルの1つに、ショートカットの女性が腰かけていた。まっすぐに切りそろえられた髪はまぶしい蜜柑色で、同じ色合いの瞳はどこか眠たげだ。桃色の唇からはときおり「ふぁぁ」とあくびが零れる。
その蜜柑色の女性の元に、すたすたと歩み寄るこれまた蜜柑色の少女。
「アメリア姉さん、遅くなってごめんね。馬車乗り場が混んでいてさ」
蜜柑色の少女――アンがそう謝罪すれば、アメリアを呼ばれた女性は子どものように頬を膨らませた。
「遅ーい! 見てよこれ、ケーキの生クリームが溶けててろてろだよ。せっかく限定のティーセットを頼んだのに」
「だからごめんってば。これでも急いで来たんだよ」
アンは額に浮いた汗粒をぬぐう。
ここ数日は連日気温が高かったが、今日はその中でも一番の猛暑日だ。照り付ける太陽はじりじりと皮膚を焦がし、吹き抜ける風は熱気をはらむ。通りを歩く人の中には、涼しげなサンダルを履いた人や、頭に麦わら帽子をのせた人の姿も目立つ。
これだけ気温が高ければ、要冷蔵の生クリームがとろけてしまうのも当然だ。
「まぁ、生クリームが溶けるのは別にいいんだけどね。私、溶けかけのアイスとか生クリームが好きなんだよ。生ぬるい紅茶も好き。この気持ち、アンにわかるかな?」
「……溶けかけのアイスが好きな気持ちは、ちょっとわかるよ」
風変わりな挨拶が済んだところで、アンはガーデンテーブルの一席に腰を下ろした。おやつ時には少し早い時間であるにも関わらず、テラス席はほとんど満席状態だ。
アンが店員にアイスティーを注文したところで、にこにことご機嫌なアメリアが口を開いた。
「いやいや、それにしても久しぶりだねぇ。2……3か月振りくらい?」
「ゆっくり話すのは4か月振りじゃない? 前会ったときは、お土産だけ置いてさっさと帰っちゃったでしょ」
「そうだっけ? あ、今回もお土産買ってきたよ。アンの好きな焼き菓子。たくさんあるからたくさん食べてね」
アメリアはカバンの中から巨大な箱を取り出した。座布団のような大きさの箱を受け取ればずっしりと重たい。箱の中にはどれだけ大量の菓子が詰まっているのだろうと、アンは途端に不安になった。
「……これ、多くない? あたし1人暮らしなんだけど」
「半分はアリス姉さんにあげるつもりだったんだよ。でも昨日モーガン家にお邪魔したら、つわりがひどいんだって言われちゃってさ。食べられない人の家にお菓子を置いてくるのもどうかと思って、全部持って帰って来ちゃった」
何となしにされたアメリアの報告に、アンは目を丸くした。
「ちょっと待って。アリス姉さん妊娠してるの? 3人目? 初耳だよ」
「妊娠がわかったのは最近らしいよ。上の2人は男の子だから3人目は女の子がいいなぁ、って言ってた。洗面器に顔を突っ込みながら」
「た、大変だね。繁華街でつわりに効くハーブティーを探してみようかな……」
ドレスフィード家の長女であるアリスが、大貴族であるモーガン家に嫁いだのは、今から5年前の出来事だ。結婚後は子宝に恵まれ、現在夫婦は2人の男児を育てている。
加えて3人目の妊娠。子育てに忙しい毎日を送っていても、夫婦仲は良好なようだ。
「そういうわけだから、そのお菓子は全部アンにあげるよ。頑張って食べてね」
アメリアが力強くそう言うものだから、アンは苦笑いを浮かべた。
「さすがに全部は食べないよ。酒場で人に配るよ」
「どうぞどうぞ、お好きにー」
ドレスフィード家の次女であるアメリアは、2年前にジェンキンス家へと嫁いでいる。ジェンキンス家の生業は楽器の輸入販売、一族そろって音楽の才に秀でていると言われている。
その音楽一家にアメリアが嫁ぐことになったのは、アメリア自身が音楽の神に愛された存在だからだ。
幼い頃は楽譜を絵本代わりにし、ままごと代わりにピアノを弾く。誰に導かれるでもなく音楽の道へと進んだアメリアは、一時は音楽の神ミューズの生まれ変わりとも言われていた。
幼い頃のアメリアは、アンなど比較にならないほどの変わり者であった。本にも玩具にも美しい花にも興味がなく、ただただ毎日ピアノを弾いて過ごしていた。その性格は大人になった今でも変わらない。
それでもアメリアには音楽があったから、父ローマンと良好な関係を築くことができた。結婚適齢期を迎えたあかつきには、いくつもの良家から縁談の申し込みがあったものだ。
――あたしにも何か一芸があれば、親父と良好な関係を築けたのにね
アメリアの顔を見るたびに、アンはそう感じざるを得ない。
そんなアメリアと夫であるテオは、1年のうちの半分ほどのときを国外で過ごす。国外諸国で開催される音楽界に参加したり、国内に輸入するための楽器を検分したりと、目的はさまざまだ。
そして国内にいる残り半分の月日も、基本的に自宅にはおらず、王国各地で開かれる演奏会に参加して過ごす。だからアンがアメリアに会うことができるのは、「しばらく家にいるからお茶会でもしよーよ」と呼び出しを受けたときに限られるのである。
ちなみにアメリアにはまだ子どもはいない。というのも夫であるテオが、アメリアいわく『女を抱くより楽器を撫でるが好きな変人』だから。
気まぐれな男女の営みはあれど、いまだ懐妊には繋がらないらしい。3度の飯よりもピアノを愛するアメリアが、そのことを気にかける様子もない。
お似合いの夫婦、ということである。
重量級の菓子箱をカバンの中に押し込み、今度はアンが口を開いた。
「それで、アメリア姉さん。今日はあたしに何か用だった?」
アメリアは軽い調子で答えた。
「ん? これといった用事はないよ。可愛い妹とお茶しようと思っただけ。……あ、でも強いて言うならあの話が気になるかな。アンにもついに結婚話が持ち上がっているんでしょ? しかも相手はあの『捨てられた王子様』ときたもんだ。今、どんな感じなの?」
できればその話には触れて欲しくなかったな、とアンは思った。
「一応親父と一緒に挨拶には行ったんだ。でも……多分あたしは選ばれないよ。かなりの数のご令嬢が、結婚候補者として名乗りを上げていると聞いているもの。しょせんあたしはケーキスタンドに並べられたケーキの1つだよ。しかも他より小さくて、形もいびつなやつ」
アンはカフェテーブルの真ん中に置かれたケーキスタンドを見つめた。アメリアが頼んだという限定のティーセット、3段重ねのケーキスタンドにはまだたくさんのケーキが残されている。
アメリアは不思議そうな顔で尋ね返した。
「そうなんだ? この話をするとき、パパがやたらご機嫌だったから、てっきりうまくいってるもんだと思ってたよ」
「親父がご機嫌なのは、王族相手にリーウのワインを売り込めたからでしょ? 多分、もうあたしの結婚なんてどうでもいいと思ってるよ」
「んー……なるほどね。言われてみれば、そうかもしれない」
アメリアがそう言ってうなずいたとき、テーブルにはアンの分のアイスティーが運ばれてきた。今日は気温が高いから、急いで飲まないとすぐに氷が溶けてしまいそうだ。
冷たいアイスティーをストローで吸い上げながら、アンは「これはチャンスかもしれない」と考えた。
音楽一族であるジェンキンス家は、社交界でとてつもなく顔が広い。貴族の家に呼ばれて演奏を披露する機会も多いから、家々の資産状況や力関係も把握しているはずだ。
アーサーの結婚候補者である令嬢について、グレンですら知らない情報を知り得ている可能性は十分にあった。
アンはさりげなく話題を振った。
「ねぇねぇアメリア姉さん。ハート家のおうちにお邪魔したことはある?」
「ハート家? って言うとぉ……当主はロジャー候?」
「ん、どうだったかな。シャルロットという名前のご令嬢がいるんだ。シャルロット・ハート」
アメリアは顎に手をあて「んー……」と唸った。
アンがグレンから調査協力を依頼された令嬢は4人。
ローラ・クロフォード
イェレナ・ハンス
ドリー・メイソン
シャルロット・ハート
このうちローラ・クロフォードとイェレナ・ハンスについてはすでに調査が済んでおり、ドリー・メイソンとも接触済み。残された調査対象者はシャルロット・ハートただ1人だ。彼女に関する調査が済めば、グレンに頼まれた仕事は全て片がつくということだ。
「シャルロット家……シャルロット家……お宅にお邪魔したことはないんじゃないかな。でも国内の演奏会で、何度か顔を合わせたことはあると思うよ。シャルロット家と何かあったの?」
「あたし個人が何かあったわけじゃないよ。アーサー王子の結婚相手には、かなりの数の立候補者がいると言ったじゃない。その中でも有力候補者の1人と言われているのがシャルロット嬢らしいんだよ」
「へぇー、そうなんだ。アンのライバルってこと?」
「別にあたしはアーサー王子との結婚を望んじゃいないからね。ライバルではないんだけどさ。どんな子なのかなって気になっただけ」
いくらか考え込んだ後、アメリアは煮え切らない口調で話し始めた。
「どんな人物と聞かれてもなぁ。私、シャルロット嬢とは社交辞令の会話しかしたことないよ」
「そっかぁ。社交辞令の会話をした感じ、どんな印象を受けた?」
「うーん……普通に可愛い子だったと思うけど。しゃべり方も上品だったし、ちょっとしたし仕草も愛らしくてさ。きらきらぁーっとした感じだったよ。多分、私はあんまり仲良くなれない」
「そうなの? まぁアメリア姉さん、変人だもんね」
「そうそう。変人だからさ、変人としか仲良くなれないの」
ここで「私は変人じゃないよ! 失礼な!」と言わないアメリアを、アンは心底愛しているのである。
「……じゃあアメリア姉さんは、シャルロット嬢と大した接点はないのかぁ」
「残念ながらね。どうしてもシャルロット嬢のことが気になるというのなら、アリス姉さんに聞いてみれば?」
思いもよらない名前を聞いて、アンは目をまたたいた。
「アリス姉さん? 何で?」
「確かハート家は商人の家だよね。モーガン家も事業の1つとして卸業を営んでいるはずだから、ライバル貴族の情報は何かしら持っているんじゃない?」
――なるほどそんな繋がりがあったか
アンは目から鱗が落ちた心地だ。
ティルミナ王国でも5本の指に入る大貴族のモーガン家は、銀行業から不動産賃貸業、製造業から卸業に至るまで、幅広い分野で活躍を見せている。現当主の妻であるアリスが、ハート家のお家事情を把握している可能性は十分にあった。
しかしそうは言っても、だ。
「確かにアリス姉さんなら、ハート家のことを知っているかもね。でもつわりが酷いんでしょ? 家に押しかけて話を聞くのは気が引けるなぁ」
「苦しいときだからこそ行ってあげれば? 昨日私が会いに行ったときも嬉しそうだったよ。『人と話していると気持ち悪さがまぎれるのよ』って言ってさ」
「……そんなもんなんだ。それなら近いうちに会いに行こうかな」
「うんうん、それがいいよ」
溶けて柔らかくなったチーズケーキをフォークで切り分けながら、アメリアは続けた。
「吐かずに食べられる物を探しているみたいだったからさ。下町のグルメを色々と買って行ってあげるといいよ。今のところまともに口に入れられる物は、唐揚げとジンジャーエールだけだって」
アンは思わずアイスティーを噴き出しそうになった。
「待ってよ。アリス姉さん、唐揚げとジンジャーエールだけで生きてるの?」
それは一刻も早く食物を届けてやらねばなるまい。




