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37.恋するあなたにプレゼント

 偶然にも『魔女の妙薬』を手に入れたアンドレは、その足で繁華街を北側へと向かった。目指す先は『リトルプラネット』という名前の酒場だ。


 重たい木の扉を押し開ければ、そこには幻想的な空間が広がっていた。広い店内に窓はなく、しかしドーム状の天井は見上げるほど高い。そしてそのドーム状の天井には、数千数万の光の粒が映し出されている。

 

 天井の中央を横切る光の密集帯は天の川。アンドロメダにぺガスス座、五つ星のカシオペヤ。ドーム天井に広がる満天の星空は、思わず息を呑むほど美しい。


 満点の星空に包まれたような店内で、アンドレはすぐに探し人を見つけた。カウンターテーブルで1人酒を楽しむドリーだ。

 アンドレはカウンターテーブルに歩み寄り、ドリーの肩をとんとんと叩いた。


「ドリー、久しぶり。僕のこと覚えてる?」


 振り返ったドリーは、アンドレの顔を見てぱっと表情を明るくした。


「アンドレ様、お久しぶりです」


 朗らかに笑うドリーを見て、アンドレはふと違和感を覚えた。ドリーの見た目から受ける印象が、以前とは全く異なるのだ。

 

 マッドアップルで一緒にパフェを食べたとき、ドリーはすみれ色のワンピースを着ていたし、髪も下ろしていた。

 それが今夜はどうだ。赤茶色の髪はきっちりと結い上げ、服装は貴族の女性としては珍しいパンツスタイル。ダークグレーのパンツスーツが、細身の身体によく似合っている。


 アンドレはドリーの容姿にしばし見惚れ、それから素直な感想を口にした。


「ドリー……何だか以前会ったときと全然印象が違うね。その服、すごく似合っている。ドキッとしちゃった」


 ドリーは照れ臭そうに肩をすぼめた。


「私、小さい頃からパンツスタイルの方が好きなんです。剣の稽古のときには男性と同じ訓練着を着用しますから、それに慣れてしまって」

「そうなんだ。でも以前会ったときにはワンピースを着ていたよね?」

「意識してスカートを穿くようにしていたんです。貴族の社交の場では、女性はドレスかワンピースが一般的ですから。でも私は私らしい恰好をしても構わないかなって。以前アンドレ様とお話しして、そう思えるようになったんです」


 アンドレは驚いて自分の顔を指さした。


「え、僕? そっかぁ、ドリーの考え方を変えるきっかけになったのなら良かったな」


 アンドレが優しく微笑めば、ドリーもまたはにかみ笑いを零した。そしてそれから、思いついたように本題に触れた。


「アンドレ様、今日はどうしたんですか? ひょっとして、私に何か用事でした?」

「そうそう、ドリーに大事な用事だよ。実は僕、ここに来る前にすごい物を手に入れちゃってさ」

「……何をですか?」


 ドリーは興味津々で聞き返すので、アンドレは上着の前身頃を開き、内ポケットから薄桃色の小瓶をのぞかせた。


「これ、何だと思う? ……これさ『魔女の妙薬』」


 もったいぶって伝えれば、ドリーは目を見開いた。


「……本物ですか?」

「さぁどうだろう。真贋の判断はできないな。でも店員の説明を聞く限り、本物っぽい雰囲気は感じたけれど」


 周りに聞こえないようにと声を潜め、アンドレは今日ここに至るまでの経緯をドリーに説明した。


 偶然立ち入った雑貨店で魔女の妙薬に出会ったこと。

 魔女のような風貌の老婆が店員だったこと。

 入荷は不定期で商品に出会えるかどうかは運次第であるということ。


 全てを語り終えたとき、ドリーはかつてなく興奮した様子であった。


「話を聞く限りでは本物のような印象を受けますね。魔女のような外見の女性が売っているから、魔女の妙薬という名前がついているのでしょうか?」

「そうなのかなぁ。それとも薬の効果が、人間の作る物を遥かに超越しているか……。魔法的な効果を感じることができる妙薬、ってことかもね」

「確かにその可能性もありますね」


 アンドレとドリーは顔を見合わせ、しばし黙り込んだ。

 

 魔女の妙薬は手に入れた。しかしその得体のしれない妙薬を服用することは簡単ではない。魔女の風貌をした老婆は「この薬を飲めば美しくなれる」と言ったけれど、具体的な効能がまるで不明のままだからだ。


 もし本当に服用者の容姿に変化をもたらす薬なのだとすれば、その効果は一時的なものなのか、それとも永久的なものなのか。効果の程度を服用者自身で操作することができるのか、それとも変化したままの姿を受け入れるしかないのか。

 

 正直なところ、アンドレは魔女の妙薬を服用してみたいとはまるで思わなかった。そこでドリーの表情をうかがいながら遠慮がちに尋ねた。


「……ドリーはさ、この薬を飲んでみたいと思う?」


 沈黙、長考。やがてドリーは意を決したように答えた。


「アンドレ様。私はこの薬を飲んでみたいです」

「そう? 怖くはない?」

「怖くないと言えば嘘になります。でも私にはもうあまり多くの時間は残されておりませんから。自分に自信を持つために、やれることは全てやっておきたいんです」


 アンドレは小首をかしげ、問い返した。


「時間がないって、それどういう意味?」

「縁談が持ち上がっているんです。お相手の男性は、私にはもったいないくらい高貴なお方。縁談が成立するかどうかはまだわからないのですけれど、父は手応えは悪くないと感じているみたいなんです」


 アーサーのことだ、とアンドレは思った。

 しかし何も言わず、ドリーの告白に耳を澄ませた。


「お相手の男性は、とある事情から生活に介助が必要です。私は一般の女性よりも力がありますし、怪我の手当てや救急救命の方法も心得ております。身体が不自由であれば社交の頻度は少なくなりますし、私のような無愛想者でも不都合はないだろうって、父はそう言うんです」

「……そうなんだ。ドリーはその縁談に不満はないの?」


 ドリーは言い淀んだ。

 

「不満は……ないとは言い切れませんけれど。でも私はこの無愛想さが原因で、いい縁談を何度か不意にしているんです。だから私のような変わり者でも、受け入れてくれる人がいると思えば救われる思いです」

「無愛想って言うけどさ……ドリーはそんなに無愛想かなぁ? 僕から見たら、十分表情豊かで可愛いんだけどな」


 ――少なくともドレスフィード家の三女と比べれば、月とスッポン並みの差があるよ。もちろんドリーがお月様だよ

 アンドレの心のつぶやきは、誰にも届くことはないのである。


 ドリーの告白はさらに続く。


「そのお方が私のことを受け入れてくださるのなら、生涯をかけて生活をお支えする覚悟です。ですがそうなる前にどうしても伝えたい想いがあるんです。決して結ばれることのないあの人に、私の想いを伝えたい。一番綺麗な姿で『愛しています』と伝えたいの」


 ドリーの告白は、満天の星空の下で讃美歌のように響く。


 ドリーの恋の相手をアンドレは知らない。どのような出会いをしたのかも知らない。けれども自身なさげであったドリーが、こうして愛を伝える覚悟したのであれば、それは大きな前進だ。

 勇気を出して伝えた言葉は生涯を通して人の心に残る。ドリーの伝える溢れんばかりの愛は、『あの人』の記憶に鮮やかな色を焼き付けることだろう。


 アンドレは内ポケットから取り出した小瓶を、ドリーの目の前に差し出した。


「じゃあ、これはドリーにあげるよ」


 ドリーは目を丸くした。


「……よろしいのですか? せっかく買い求めた物を」

「いいんだ。僕が魔女の妙薬を買ったのはただの好奇心で、僕自身が飲もうと思っていたわけじゃない。それに僕、ドリーのこと好きなんだよ。ドリーが頑張りたいと言うのなら、その頑張りを応援したい」


 ドリーはアンドレの顔と差し出された小瓶を交互に見やり、それからおずおずと小瓶を受け取った。幸運が重なり手に入れた魔女の妙薬を。


「あ、ありがとうございます。これ、代金はおいくらでしょう?」

「代金は要らないよ。僕の激励の気持ち」

「でも……」


 ドリーは申し訳なさそうな様子だが、アンドレはまるで気にしないと手のひらを振った。


「本当にいいんだ。実はそれ、お値段はたった銀貨1枚なんだよ。だからどうぞ遠慮しないで受け取って?」

「……そういうことでしたら遠慮なく頂きます。ありがとうございます、アンドレ様」


 はにかむ笑うドリーを見て、アンドレはとある未来を思い描いた。ドリーがアーサーの妻となった未来だ。


 陽だまりに揺れるロッキングチェア。

 うとうとと寝入るアーサー。

 そのかたわらに椅子を置き、のんびりと読書に耽るドリー。


 その光景はきっと誰しもにとって望ましい未来だ。何よりもドリー自信が、その未来が訪れることを受け入れているのだから。


 ――アーサー、よかったね。いい子がお嫁さんに来てくれそうだよ

 アンドレは遠く離れた王子様へ言葉を贈った。

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