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3.令嬢探し

「酒場の2階にこんな場所があったのね。知らなかったわ」


 クロエは興味深そうにあたりを見回した。


 ここはシェリーの酒場の2階部分に位置する宿部屋だ。

 繁華街に軒連ねる酒場は、大抵が上階部分を宿屋として使用している。ベッドと最低限の調度品が並べられただけの手狭な空間だが、一晩を過ごすために不足はない。


 部屋の扉を閉めながら、アンドレはくだけた口調で説明した。


「繁華街にある酒場は、たいていが宿屋との兼業なんだ。1階は酒場、2階が宿屋、3階部分が店主の私宅、という構造が一般的かな」

「そうは言っても宿屋に泊まる人なんて多くはいないでしょう。王都に住まう人ならば、馬車を走らせれば今日のうちに自宅へ帰りつくわ。お金を払って宿屋に泊まる必要なんてないもの」

「それが意外と需要はあるみたいだよ。観光客が利用する場合もあるし、酔い潰れて馬車に乗れなくなってしまう人もいる。あとは酒場で意気投合した男女がね、夜遊びのために利用したりもするから」


 含みのある発言にクロエが言葉を返さなかったので、アンドレはすぐに本題へ移った。


「それで、そのイザベラというご令嬢の何を知りたいの? 質問に答えることは構わないけれど、個人情報を売るわけだから、先にあなたの立場やイザベラ嬢との関係を明かしてくれると助かるかな」


 クロエは腕を組んで答えた。

 

「イザベラは私の友人よ。親友というほどではないけれど、知り合い以上の付き合いではあるわね」

「ということはクロエも貴族の生まれ?」

「私自身は貴族でも何でもないわよ。貴族である主にお仕えしている身、というところかしら」

「ふぅん、そうなの」


 アンドレは、クロエの地位にはさして興味がないという風に相槌を打った。

 たおやかな腕を組みかえて、クロエの語りは続く。


「つい先日、イザベラの自宅へお邪魔したときに、彼女の母親が『イザベラが繁華街に出入りしているようだ』と零していたの。出入りしている、というだけならさほど問題ではないのだけどね。貴族の子息子女にとって、繁華街に立ち入ることは一種の通過儀礼なのだし」

「確かに、そんな話は僕も聞いたことがあるなぁ」


 王都の一角に位置する繁華街は、厳しい戒律に縛られて生きる貴族の子息子女にとって憧れの場所だ。家族や使用人の目を盗み、繁華街を訪れる若者は多い。市民生活を学ばせるために、あえて子どもの繁華街通いを黙認している親もいるくらいだ。

 

 しかし彼らの多くは、ときが経てば自然と繁華街通いを止める。優雅な生活に慣れた貴族にとって繁華街は異質な場所。酒場に充満する安いたばこの臭いも、通りに響く野次怒号も、ただ酔いを回すためだけの酒の味も、1度2度であれば楽しいものだがしだいに飽きてしまう。

 そこに通い詰めたところで、窮屈な生活から解放されることなどないと気づくのだ。

 

 そしてあるべき生活へと戻っていく。

 イザベラの繁華街通いも一過性のものなら何ら問題はない――のだが。


「ただイザベラの場合、少々事態が深刻なのよ。彼女の母親いわく、イザベラはドレスの趣味や化粧まで変わったというわ。茶会に行くのだと家を出たのに、たばこの臭いをぷんぷんさせて帰ってくることもあるらしいの。それで彼女の母親が、イザベラは繁華街で恋人を作っているんじゃないかと焦っているのよ」


 なるほどねぇ、とアンドレはうなずいた。

 

 一時の恋心ならいいにしろ、貴族の令嬢が一庶民と本気の恋に落ちるのはまずい。万が一、子どもを身ごもってしまうことにでもなれば、イザベラは貴族界の弾き者だ。イザベラの母親が不安を覚える気持ちもよくわかる。


 クロエが繁華街を訪れた理由には何となく理解が及びながらも、アンドレはあえてとぼけた振りをして尋ねた。

 

「イザベラ嬢の現状はわかったよ。でも、それでどうしてクロエが探偵の真似事をしているの?」


 クロエは眉をつりあげ、強い口調で答えた。


「真実を見定めて、イザベラと話をしなきゃいけないと思ったからよ。もしイザベラが許されない恋をしているのだとしたら、友人である私が止めてあげないと。一時の恋心で一生を棒に振ってしまうだなんて、友人としてやるせないじゃない」

「へぇ……クロエは友人思いだね」


 アンドレの賛辞に、クロエはふんと鼻を鳴らしただけだった。


「ここまで語れば十分でしょう。次はあなたの番よ。イザベラについて知っていることを教えてちょうだい」


 上から目線の催促に不満を感じながらも、アンドレは素直にうなずいた。イザベラの抱える問題が明らかになった今、クロエの要求を拒む理由はないからだ。


「僕が初めてイザベラ嬢と出会ったのは、今日から3か月くらい前。酒場の隅っこでもじもじしていたイザベラ嬢に、僕の方から声をかけたんだ。その後30分くらい話をしたけれど、その日初めて繁華街を訪れたみたいだったよ」


 クロエは少し考え、質問した。

 

「イザベラとはその後も何度か会っているの?」

「いや、顔を合わせて話をしたのはその時だけだね。その理由はイザベラ嬢が繁華街通いを止めたからじゃなくて、彼女が僕のテリトリー外の酒場に出入りするようになったから。繁華街の東端にある『デイジー』という名前の酒場、僕んちの傍なんだ。日中買い出しに出るときに、酒場に入っていくイザベラ嬢の姿を何度か見かけたよ」


 アンドレはそこで言葉を区切り、クロエの反応をうかがった。


 アンドレが提供した情報は『イザベラが繁華街で恋人を作っている』ことの証拠にはならない。しかし『デイジー』という名の酒場を訪れれば、真実にたどり着く可能性は十分にある。

 

 間もなくしてクロエの顔には満足げな微笑みが浮かんだ。


「十分な情報よ、ありがとう。では早速お支払いをさせていただくわ」

「お支払い? ああ、情報料ってこと? それなら――」


 アンドレは何となしにクロエを見た。その瞬間、アンドレの目に飛び込んできた物は、白桃を思わせる豊かな乳房だ。その乳房は言わずもがなクロエの物で、アンドレは驚きに飛び上がった。


「ちょちょちょちょっと待ったぁ! 何で脱いでるの⁉」


 シャツワンピースのボタンを開け放ったクロエは、アンドレの驚きの意味がわからないというように首をかしげた。


「何をそんなに慌てているの? こうしてベッドのある場所に連れ込んだのだから、支払いは身体でしろということではないの?」

「違うってば……ここなら誰にも話を聞かれる心配がないと思っただけだよ……。勘違いしてもらっちゃ困るけど、僕、お客さんと身体の関係を持ったことはないからね。2人きりで話がしたいと言われたときに、こうして宿部屋を使うことはあるけれど」


 アンドレが頭を抱えながら言えば、クロエは意外なことを聞いたと目を丸くした。


「そうだったの……『もてなし役(ホスト)』だというくらいだから、てっきり……」

「情報料なら金貨を1枚もらえれば十分だよ。それですっぱり清算しようじゃないの」


 アンドレの提案に、クロエはすぐにうなずいた。


「わかった、それでいいわ。お金で話が済むのなら私としてもありがたいもの」


 クロエはシャツワンピースのポケットから取り出した金貨を、アンドレの方へと差し出した。アンドレはたわわと揺れる乳房から視線をそらし、その金貨を受け取った。


「はい、確かに受け取ったよ。じゃあ僕は仕事に戻るから、後はどうぞごゆっくり。また酒場で会うことがあれば、ぜひ声をかけてね」


 ぎこちない挨拶をした後、アンドレはそそくさと宿部屋を後にした。


 部屋に残された者は、まだワンピースのボタンを開け放ったままのクロエ。アンドレの消えた扉をじっと見つめ、低い声でつぶやいた。


「『繁華街の貴公子アンドレ』……か。使えるな、あの男」

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